鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2024年7月号では、第120回ゲストとしてアイスリボン・藤本つかさ選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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藤本つかさ(アイスリボン)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

自分だけのためにやるよりは、
誰かのためにやる方が強くなるし、
痛い思いしてでもできる

藤本つかさ(アイスリボン)

ベストフレンズvsサンダーロック戦が
流れる経緯を聞き耳立てて聞いていました

4月に限定復帰の会見をおこなって(取材の時点で)まだ1ヵ月ほどしか経っていないにもかかわらず、慌しいほどにいくつものことが同時進行していますね。

藤本 本当に、育休明けの人間がやることじゃないなって自分でも思います。中島安里紗の引退ロードと私の件とがありますけど、安里紗のペースに自分も乗っかって一緒に走っちゃっている感覚ですね。

主婦業との両立も含めると、実際のところ大変なのではと。

藤本 でも、意外と大丈夫なんですよね。前の私のペースに戻った感じで、辛さとか大変さより面白さの方がまさっている。ノーストレスで今の自分を取り巻く状況を楽しめています。睡眠も十分とれていますし…子どもは今1歳なんですけど、ありがたいことにちゃんと寝てくれる子なので。10時間ぐらい寝ていた産休前と何も変わらなくて、今も子どもと同じペースでそれぐらい寝ちゃっているんで、すごく健康です! 時間のやりくりもね、なんかできちゃうんですよね。

スターダム5・18横浜武道館大会でタッグ対戦した岩谷麻優選手に関して、実際に肌を合わせて感じたことはどんなものでしたか。

藤本 やっぱりゾンビと言われているだけあって、やってもやっても壊れないイメージだったから攻撃し甲斐があるなと思ってやり続けました。体が頑丈だと攻撃、いっぱいできていいねってなるじゃないですか。その結果、体ではなく心が折れたって言われちゃったんですけど、私の相方が相方なので!

そこまでやるつもりは…。

藤本 でも、あれは(中島との)ベストフレンズとしてはいつも通りであって、特別に気合が入っていたとかでもなく、本当にいつも通りにやっただけなんですけど…。

2016年にベストフレンズvsサンダーロック(紫雷イオ=現イヨ・スカイ&岩谷)戦が一度は浮上しながら実現せぬまま終わったことがありましたが今回、直接的に肌を合わせるまではプロレスラー・岩谷麻優はどう映っていましたか。

藤本 スターダムのアイコンと言われるだけあって、発言が面白くてそれで目を引く存在に映っていました。ベルトを持っていようといまいと、団体の顔だなと。私、他団体のこともメチャメチャ勉強するので、いろんな選手に対して「面白いことを言うな」って思うことがあります。あとは、体は細いのに受ける人だなって。私も受けて受けてテンションが上がるタイプなので、同じような感じなのか、それで対戦したらどうなるんだろうっていう感はありましたね。

それは一度対戦が流れたあと、今回タッグで当たるまで持ち続けていた思いですか。

藤本 正直言うと、流れたところで一回途切れました。サンダーロックとベストフレンズ、どっちが強いんだ!?ということをすごく言われただけに、あの時当たったらどうなったんだろうっていうのはありましたけど、本当にどうでもいい大人の事情なのか、大人同士の話し合いなのかでなくなったことで「なんかもう、しょうがないなあ…」と思って、そこからは、もうなくなりました。

あの時は、実現しかけたところから状況が変わっていく過程を把握していましたか。それとも事後報告のような形だったのでしょうか。

藤本 私は経緯も聞いていました。それこそ、ここ(蕨のアイスリボン道場)にロッシー小川さんが来たんですよ。たまたま私も道場にいて、佐藤(肇)社長との話し合いをドア越しで聞き耳立てて聞いていました。

けっこうダイレクトに入ってきていたんですね。

藤本 それで聞いているうちになんだかこれ、実現しないんじゃないか?という流れになっていって。結果的にそうなってしまいました。

望んでいたものが会社間の話し合いで消滅するという現実を目の当たりにしたと。それでプロレスに対し嫌気がさすことはなかったんですか。

藤本 でも消滅したことで、私が当初から一番やりたいと思っていたさくらえみさんとの試合ができたわけで「こうつながるのかー」って客観的に思っていましたね。それが結果オーライと言えるのかどうかはわからないですけど、決まるまでは横浜文化体育館のビッグマッチなのに「どうしよう…誰と試合をしたらいいんだろう?」って髪の毛が抜ける夢を見たぐらい悩んだんで。

それが今回、自分から動いたこともありますが、一度は消えたものがこのタイミングで実現したわけです。

藤本 いや、持ってるな!って思いましたよね。4月21日に復帰して、27日にスターダムの会場に来場をして…こんなもドンピシャに(復帰と)時期が被ることなんてないじゃないですか。

しかも今回の復帰は、人生設計的には想定外だったそうですね。

藤本 このタイミングでの復帰はまったく考えていなかったです。それがあっという間に大きなこととして膨らんで…。ただ、復帰を決めた時点でちゃんと何かを残さなければと思ったんで、それには過去を振り返るよりも新しい、現在の人と対戦したいと思っていました。だから羽南選手(タッグ対戦時の岩谷のパートナー)とできたのはよかったと思うし。

本当なら、今は育児に専念していたんですよね。

藤本 そうです。何年経ったらというのは特に決めていなかったんですけど、自分の中で「こうなったら」というのがあって、そのあとに…思っていたのがメチャクチャ早まりました。安里紗から試合をしてほしいと言われたのは、今回が3回目だったんですよ。1回目と2回目は断ったんですけど、今回に関しては普通のケガじゃないじゃないですか(首の負傷から4月21日に復帰し、SEAdLINNNG8・23後楽園ホールで松本浩代を相手に引退試合)。何かあってからだと一生後悔すると思って…悩みに悩んだけど(引退ロードと)一緒にいくって決意しました。

断った2回というのは?

藤本 1回目は去年の10月で、2回目は12月です。

10月ということは、7・30利府で一日限定復帰したあとですよね。それならYESと言ってもよかったのでは?

藤本 10月の時点で「引退を考えているから発表の時には隣にいて、試合もしてほしい」と言われたんです。でも「ここで私がOKしたら、引退発表しちゃうってことだよね? それなら断る」って答えたんです。その時点では、引退は嫌!って安里紗の延命措置をしているんです。だから本当だったらもっと早く引退していたかもしれません。12月は(海樹)リコがいなくなった(退団)じゃないですか。それで安里紗の相手がいないとなって、やってほしいって言われたけどそれも断って。

やるべきではないと判断したら、たとえベストフレンドからの頼み事であってもNOと言うんですね。

藤本 はい。でも、3回目に関してはケガがケガで、本当にいつどうなるかわからない職業と思ったので、もしも次に安里紗から言われたら、それはイコール引退だろうから受け入れようって思っていました。

中島が“べスト”なのは殴り合いで
意思疎通できた初めての相手だから

あのう、もちろんアイスリボン内やそれ以外のプロレス業界内で友達と呼べる人は何人もいると思われますが、なぜその中で中島選手が“ベスト”な存在となったのでしょうか。崖から落ちそうになったところ自分の命を投げ出してまで助けてくれたみたいな決定的なエピソードはあったんですか。

藤本 最初は本当に社交辞令のように「私が友達になりましょうか?」ってLINEを交換しただけで一切連絡していなかったんです。週刊プロレスさんの企画で対談したんですけど、全然知らない者同士だったから「中島さん、よろしくお願いします」という感じのままLINEを交換して。そのあと、2014年の昼夜タイトルマッチ(12月28日の昼・アイスリボン後楽園では中島が藤本のICE×∞王座に、夜・JWP女子プロレス後楽園では藤本が中島のJWP認定無差別級王座に挑戦。いずれも王者が防衛)をやった時に、これはプロレスラーの特権なんですけど、リングの上で殴り合うことによってお互い意思疎通できたのが、私にとって彼女が初めてだったんです。

それまで、そういう相手はいなかった?

藤本 殺意を覚えるぐらいに殴ったあとに、愛おしい感情が芽生えたのは初めてでした。それまでの私がやってきたプロレスには勝ちたいはあっても殺意まではなかったですから。

「プロレスでハッピー」をうたっているわけですからね。感情の起伏がすさまじかったと。

藤本 あとはリングの中と外の安里紗って全然違うんです。闘っている時はあんな凶暴なのに、リングを降りると本当に純粋だし、映画と読書とピンクが好きでお花が大好きな女の子で、そういうギャップも好きだし。彼女は「この人を信じる!」って思ったら絶対に120%信じる人だから、裏切らないっていう具体的な信頼感があるんです。だから私は、彼女には全部話しています。

でも最初の対談の時点で友達になりましょうか?と振ったということは予感めいたものがあったのでは。

藤本 いえ!その段階で「私、友達いないんですよ。藤本さんは友達がいそうなのが羨ましいです」ということを安里紗が言ったんです。そこから、じゃあ友達になりましょうって言いながら、LINEを交換した以外は何も進展しなくて、昼夜タイトルマッチをやったあとも急激に仲よくなったわけでもなく、そのあとにまたオファーが来た時も安里紗との対戦だったんです。でも、昼夜の時に口元を貫通して12針縫ったばかりで抜糸もしていなかったので、また安里紗と!? ここをやられたらたまらないと思ってオファーを断ったんです。そうしたら、じゃあタッグはどうかと打診されて、それだったらとOKを出して。それきっかけで「組むのもいいじゃない」と周りに言われるようになって、正式なタッグチームを組もうとなりました。チーム名は何にする?ってなるじゃないですか。それで私から「友達になります?って振ったから“ベストフレンズ”ってどうですか?」って投げたら「ダサい」って言われたんですけど、わかりやすい方がいいということで、それになりました。

一緒にご飯を食べにいくような、いわゆる友達付き合いは始まったんですか。

藤本 最初はしていないんですけど、参戦選手参加の打ち上げがあって、そのへんから仲よくなりましたね。「タッグチームらしいコスチュームを作りませんか?」って安里紗から言ってきたのを聞いた時、本当にやる気なんだって初めての彼女の気持ちを知って、そこから敬語をやめようという話になりました。私の方が年上なんですけど、安里紗の方が業界では先輩なので、その頃はどっちも敬語を使っていたんです。それを「敬語で話したら500円の罰金ね」って、それが3万円ぐらい貯まって、2人でいいランチを食べにいこうとなりました。

罰金なのに結局は自分たちのために使うという。

藤本 アハハハハッ。そういう積み重ねから、本当に仲よくなりました。

そういう友人関係の築き方はそれまでなかったですよね。自然と仲よくなるのではなく、自発的に歩み寄り合ってなるという。

藤本 そうですよね。それが自分にとって大切な存在にまでなった。安里紗のおかげで、私のプロレスラーとしてステータスも上がったと思いますし、それに対する感謝とともに尊敬もしています。産休中も会場へ見にいっていましたし、あとはよくテレビ電話がかかってくるんですよ。なんかすごく寂しがり屋で、会場に私がいないと悲しいとかかわいいですよね。夜中電話が来たり、朝の4時にかかってきたりしたこともありました。でも出るんですよ。私、やさしいですよね。

やさしすぎます。

藤本 ウチの旦那さんとも仲いいですし。

逆に中島選手のお父さんが藤本選手のファンでしたよね。昼夜タイトルマッチの時に、実の娘を応援せず藤本つかさ写真集を買いにいったという話を聞いたことがあります。

藤本 そうなんです! けど、今度はウチの父も安里紗のファンになって「安里紗、元気か?」って電話しているんですよ。

すこぶる家族的なつながりに発展していっていますね。そういう話を聞いたら、人生設計が少し変わったとしてもやろうとなるのはわかります。

藤本 そうですね、安里紗のためなら少しぐらい自分が描いていた人生を変更してもいいって思える人です。

当初は中島安里紗のためにという思いで復帰したのが、岩谷戦のような個人の方にも流れが来ているじゃないですか。ただ、それも8月24日…中島選手引退試合の翌日、アイスリボン後楽園までの限定復帰であることを公言しています。限られた中での向き合い方としてはどんな感じなのでしょうか。

藤本 でもやっぱりカウントダウンではあるので。この期間にまず団体のために何かをつなげなければという思いはあります。私の復帰と同時に(星)いぶきと(松下)楓歩、トトロ(さつき)も欠場になっちゃって、これって最大ピンチじゃないですか。だけど私の復帰と安里紗の引退の流れに乗るじゃないですけど、他団体に参戦する機会が多くなったので、その間に団体としてつかめるものがあるんじゃないかって。スターダムに出た時は、私と安里紗の控室がまったく別の場所だったこともあって、自分たち以外の試合も見られなかったし会場の中の雰囲気もわからなかったんですけど、リングの上に立った時はもっと野次やブーイングや「帰れ!」という声が飛んでくると思ったら反対にすごく歓迎していただいて、ちょっとビックリしました。スターダムも知らない選手がいっぱいいた分、全部が新鮮だったから私自身も片っ端からやってみたいと思いましたし、真白(優希)vs誰か、咲蘭vs誰かとか見たくなりました。

岩谷選手のIWGP女子王座に挑戦するにあたり、アイスリボンのためにという意識もありますか。

藤本 それはありますね。ブシロード体制になってからのスターダムに初めて出て、スタッフの人数とか組織としての規模がしっかりしていると思って、そういう大きな会場でアイスリボンもまた大会を恒例化しないとという気持ちになりました。今回は私のセコンドとして大きな会場を経験しましたけど、いつかまた横浜武道館なり横浜BUNTAIなり、それ以上の舞台で試合するという気持ちになってほしい。

自分自身のプロレスラー人生にIWGPの4文字が関わってくるという現実を、客観的にどう思われますか。

藤本 もちろん、女子王座が新設されたことは知っていましたけど、自分には関係のないベルトだと思っていました。8年ぐらい(アントニオ)猪木さんのポーズをやってきましたけど、それがこういう形で結びつく…結びついたのかどうかわからないけど、無理やり結びつけていますが、こうなるとは思いもよらず…(猪木さんの)お墓にもいって岩谷選手とやることは伝えてきました。

プロレスラーになる前、新日本プロレスは見ていなかったですよね。

藤本 見ていないです。ただ、やっぱりプロレス=猪木さんっていうイメージが(世間では)いまだにあるので“価値”という言葉が恐れ多いぐらいですよね。

転校生だったから同じところに
留まることへのあこがれがあった

8月24日までの限定復帰とした理由は、プロレス以外でやりたいことをかなえるためと言われていました。ということは、それが実現したらまた復帰するということですね。

藤本 はい。それは、ちゃんと区切りのことを考えて戻ってくるということです。本当は8月24日で引退しようと思っていたんです。何度も復帰→休業って繰り返すと自分の価値が下がるから、安里紗と一緒に引退しようと考えたんですけど、彼女の引退に被せるのもそれは違うなと思ったし、いぶきや楓歩とも試合しないまま終わるのもなあっていうのもあったので(引退は)今ではないのかなと思ったのと、あとは佐藤社長に言われたのは「ケガでもうできないから引退とかじゃなくて、できるんだったら別に今決めなくていいんじゃないか」と言われて、そうだなよなあと思って、今回に関してはもう一度休業という形にしました。

一度、産休で離れたことでやっぱり自分はプロレスが好きなんだという再認識に至ったんですか。

藤本 確かにプロレスは自分にとってかけがえのないものなんですけど、かけがえのないものがもう一つできました。正直、休業期間中は我慢できない!ということはなかったんです。その環境にいたら、それに慣れるという順応が…転校生だったのもあるのかわからないですけど、そういうのがあって休業中は休業中ですごく幸せでした。でも、また試合することを前提に休業しているので、タイミングを見て必ず復帰するっていうのはずっとありました。利府での一日限定復帰に関しては使命感に駆られましたが。(『藤本つかさ地元凱旋!』と、自分がデカデカと載っているポスターを指さして)これですよ? 最初はトークショーの予定だったんですけど、これ見せられたら試合をやらないわけにはいかないじゃないですか。産後4ヵ月でしたけど、後輩に見つかるのが嫌だったので最初は自分一人で練習して、間に合わせました。

感覚はすぐに戻ったんですか。

藤本 スタミナは切れたかと思いましたけど、わりと大丈夫でした。

復帰明けは技を出す時以上に、実戦を離れることで体の耐久力が落ちて受ける方が大変だと言われます。

藤本 チョップで跡ができやすくなっていましたね。練習でもアザだらけでしたし…本当に、このポスターじゃなかったらあの時点で復帰戦はやっていなかったですよ。

リングを離れている間は子育て以外の楽しみ、趣味的なものは何か見つけられたんですか。

藤本 ありきたりですけどNetflixやAmazon Primeを見まくっていました。『バチェラー』にハマりましたね。でもそれって、プロレスをやっていた時と変わっていないんですよ。だから休んでいる間に新しく始めたことって…あ、ありました! ママ友とけっこういろんなところにいっていました。キッズランドや支援センターとか、ママ友ネットワークができましたね。サークルも作りました! その方たちが、プロレス見に来てくれるようになったんです。

それまで見ていなかった皆さんが。

藤本 私も最初は自分がプロレスラーだって言っていなかったんです。それで復帰するとなった時に、実はプロレスラーなんだけど、見に来ない?って。ママ友の間ってお互いの名前を言わずに「○○ちゃんのママ」って呼び合うんです。だからこちらの名前も知らなかったんですけど、1人だけ「絶対見たことあると思ったんだよ!」っていう人がいて。休業中もプロレスで広がりましたね! でも子どもがかわいすぎてずっと一緒にいれることでもう幸せでした。ちょっと寝返りしただけでもひゃ~!ってなっちゃう。

母になったことで人生観は変わりましたか。

藤本 ママになると強くなるって、よく言われるじゃないですか。もちろんそうであって、この子のために命を張ってでも絶対に守ってやるというのは思うんですけど、逆に弱くなる部分もあるんですね。この子のために危ないことはできないって、ビビりになる。

でもそれは大切ですよ。

藤本 自分だけだったら無理してでもやったようなことも、ちゃんとやらなくなる。だから車を運転しても警戒心が強くなったしある意味、誰も信用しないぐらいな気持ちで運転するようになりました。

そういう生活と並行することで守るものが増えましたね。

藤本 それが楽しく感じます。自分だけのためにやるよりは、誰かのためにやる方が強くなるし、痛い思いしてでも我慢できる。

中島安里紗のため、団体のため、家族のため…自分を突き動かすものが多い分、背負うものも大きくなります。

藤本 本当ですよねえ。この世界に入ってきた時は、そんなところまで考えが及ばなかったですよね。ルールもわからないままデビューして、今思うとナメてたよなって。なんとなく30歳で引退して結婚しているだろうなあって想像していたんですけど、結婚が遅くなっちゃった。

でも、実現はさせました。

藤本 結婚してもプロレスを続けているとは思わなかったです。こんなに長く続けることも、取締役になるとも思わなかったし、ましてやIWGPのタイトルマッチをやるなんて…。でも、レスラーになったことで出逢えたもの、得たものがいっぱいあるので、全部やったことは正解だと思うんです。

昔から物事は持続させられるタイプでしたか。

藤本 はい。でもこれは団体にいたからだと思うんです。私、親の都合で2年に1度転校していた子で、学校が変わるたびにそれが嫌で同じところに留まることに対するあこがれがずっとあったんです。アイスリボンに16年いるんですけど、もし引退しても私を見続けてくれたファンの皆さんは、箱推しになっているんじゃないかなと。次はこの団体の誰を応援しようってなる気がして。私は、団体プロレスが好きなんですね。

これまでの中で、他団体にいこうと考えたことはなかったんですか。

藤本 離れた方がいいかなと思ったことはありました。それは、アイスリボン=藤本つかさと言われるのが嫌だったから。ほかにもいっぱいいい選手がいるし、見てほしいと思っています。それに産休中に団体の出来事の是非も、直で私にコメントがくるのも嫌でした(笑いながら)。知らないんだけどな…って。だから他団体にいきたいというのは一度もなかったです。あっ、海外っていうのはもしかするとあったかもしれないけど。

自分のすべてを愛する者たちに捧げたらIWGP、団体対抗戦と物事がここまで大きくなりました。自分がプロレスラーとしてそこまでの位置に来られたことをどう受け取りますか。

藤本 それは、やめなかったからこその出来事ですよね。大小関わらず悩みって尽きないじゃないですか。何かに悩んでいたり、モチベーションが上がらなかったとしても、続けること、途切れさせないことでその先はつながるんだと。諦めないでほしいなと思います。プロレスに限らず。

あとは主婦レスラーとしてよいお手本になっていただきたいです。

藤本 そうなんですよ! ファンの方にも「結婚することで女性はキャリアが終わると思われがちだけど、藤本さんのように結婚しても最前線でいけるっていうのはうちの妻の励みになりました。頑張ってください」って言われて、逆に私が励みになりました。

アイスリボンには星ハム子選手というその筋の先駆者がいますから。

藤本 アイスリボンは団体として育休手当、産休手当、保育手当というような福利厚生がちゃんとしているので、それも続けられる理由なんです。

主婦で今からプロレスラーを目指したい人はアイスリボンに集まれと。

藤本 ママ友スカウトしようかな。ママさんプロレス団体になっちゃう。でも、そこにはその子どもたちもいて、プロレスを好きになってくれたらいいし、孫の代まで…ってなったらウチのカラーの一つになりますよね。主婦プロレス団体かー。いいですね!