スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ株式会社発行)では、毎月旬なゲスト選手が語る「鈴木健.txtの場外乱闘」が連載されています。現在発売中の2024年11月号では、第124回ゲストとして阿部史典選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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“BATI-BATI”を世界の
プロレス標準語に
することが「征服」です
阿部史典(格闘探偵団)
ヨダレを垂らしている
人間が一番カッコいい
かつて格闘探偵団バトラーツ(1996年~2011年)が活動していた頃、社長である石川雄規選手が「俺たちのプロレスを世間にぶち込んでやる」と宣言していましたが、旗揚げから四半世紀ほどが経過した今、こうして『月刊スカパー!』という雑誌上で他ジャンルの中に入り、一般の読者にまで届くことになりました。
阿部 これはもう、おじいさんの恨み晴らしますじゃないですけど、こうして成就しましたね。
まだ生きていますから、石川選手。
阿部 この前も日高(郁人)さんと話したんですけど、みんなトーイ(石川の愛称)から生まれて、飛び立っていったじゃないですか。でも逆に、トーイへたどり着く人間ってあまりいないよねって。
それこそ格闘探偵団である阿部選手と野村卓矢選手ぐらいですね。
阿部 自分たちは逆パターンというか、いろいろ見ていろいろ経験して、1周回ってトーイにたどり着いたから飛び立つようなことはしないんだと思いました。当時のバトラーツの皆さんはそこから次にいきたくて飛び立っていったと思うんですけど、自分はいろんなプロレスを見た結果、軸としてはバトラーツが一番面白いと思って、その力を蓄えて(前回の格闘探偵団興行を)やったんで。ここの島にたどり着いたのであれば、この島の名を少しでも広げるために…というのが自分の最終テーマだと思うんです。
29歳でもう最終テーマを迎えているんですか。
阿部 最終テーマが一番難しいんで、最終章がすごく長い章になるんですよ。スポル(スポルティーバ・エンターテイメント=阿部がデビューした名古屋のローカル団体)から始まって、普通に東京で生活できるようになって海外へいったりもするようになった中で、達成感のようなものはけっこう何度かあったんです。だから個人が軸の時間は終わったなっていう感覚で、今はタッグ…アストロノーツだったり、格闘探偵団だったりを、バチバチっていう死語のようになったものを思い起こさせて、ジャンルになるまで広めるのが一番のモチベーションであり、かつそのテーマが一番難しそうだからこそ、最終と位置づけているんですけど。
でも、20年以上も過去にあった文化を令和の時代にちゃんと復興させていますよね。今回の10・23新宿FACE大会はもちろん「バトラーツ」ではないのですが、サムライTVがバトラーツを中継するのはあの頃以来ですから。
阿部 でも、こういうエネルギーがバトラーツだったんですよね? 誰も知らないようなことに熱くなっているコアな人たちにこびりついたようなもので、人は少ないのにとんでもない熱量があるインディーズバンドみたいな。
支持者が少ないままの方がいいと思いますか。
阿部 大衆受けはしたいです。一番面白いと僕が思っているものが広がればいいとは思います。でも、どうなんでしょう。大衆に受けようとすると丸みを帯びるじゃないですか。メッチャ好きだったバンドが売れると丸くなったとか言われる。本当は丸まっていないのに、やろうと思えば角ばったものができるのに、世間に理解されるには丸みをつけなきゃいけなくなる。プロレスで生活していて、いろいろな団体から仕事をいただけるようになるとどれも面白いって感じていて。今だったら自分も上がっている全日本プロレスが勢いあって、見に来る人もいっぱいいるから一番面白いプロレスをやっているって思える。自分自身が世間の一人となって実際に見ると「これがプロレスだよな」って思うんですよ。その中に出る時はベストを尽くして面白いことをやって、爪痕を残そうと思ってそこにバトラーツのエッセンスや自分のオリジナル性を入れるんですけど、全部に入れたら噛み合わないし、通常のプロレスではやっていけないじゃないですか。
格闘探偵団の時が純度100だとすると、ほかのリングでは100でなはないと。
阿部 ハーフ&ハーフじゃないと無理です。
相手にもよるでしょうからね。
阿部 自分の中ではそれを現代のプロレスの中に落とし込む作業をずっとやっていて、その中で僕が入れ込んでいるエッセンスが気になる人が生まれたらこっちに引きずり込む。もちろん、どっちも全力でやってはいますけど…あれ、なんの話でしたっけ?
万人に受け入れられるものにするか否かという話です。
阿部 どう思います?
見る立場から言わせてもらうなら、このまま薄まることなく純度100の場はあってほしいですし、そのMAXは後楽園ホールでいいのではと思います。バトラーツの頃も、確かに両国国技館に進出できたのは夢でしたが、それよりも毎回の後楽園ホールを満員にしたことの方が当時のインディー団体の中で誇れることでしたし実際、後楽園の熱量がすさまじかったので。
阿部 そうですよねえ。今、一番の流行りのプロレスって、インスタとかで20秒で見られるプロレスなんですよ。プロレスって一から十まで見ないと面白くないと僕は思っているんですけど、でも一から十まで見てくれる人はそんなにいない。みんなツイッター(X)で見るし長くは見られない。それを思うと、引きずり込んで気にさせるしかないから、やっぱりスポットな見せ方も必要なんですよね。
だからといって、他団体でやっていることがスポット用というわけではないですよね。
阿部 そうです。全部がMAXだし、10人タッグとかなると自分の出番は1分しか回ってこないかもしれない。その中で目に留まるためスポットのものが必要だと思います。「あいつ、おもしれーな」って、一瞬で引っかかんないといけない。仕事を得るには、持っておかなければならない姿勢だと思っているし、同時にちゃんと主軸を持っておくのも大切。引っかかってもらわないと、その次にいけないんで。
純度100ではないと言いましたが、バチバチの要素とそうではないところの切り替え、使い分けは試合の最中に意図してやっているのですか。それとも試合展開等により無意識にそうなっているものなのでしょうか。
阿部 考えて切り替えます。場面場面によって、試合順、相手によって。どれも好きなんですよ。これは嫌だなと思ってやることは全部ないんで。全部が好きなのが困りますね。そこがトーイとは違うところで、僕は器用貧乏なのかもしれないです。昔はバトラーツが一番面白いと思っていたんですけど、全日本プロレスを見たら「デッカいやつ同士がぶつかるのって、これがプロレスだよな!」ってなったし。僕はプロレスラーになってだいたいのレジェンドとされる方たちと試合をしたり一緒に入場したりしましたけど、一番興奮したのはやっぱり石川雄規だったんですよ。「これ、トーイの曲じゃん!」ってなって。あとは澤(宗紀)さんの『リボルバー・ジャンキーズ』だとか、そういうものの方が脳汁も出る。プロレスラーになってからなんですよね、天龍(源一郎)さんのようなみんなが言うレジェンドにウォーッ!となったのは。だけど今でもトーイが一番興奮しますし、あの入場曲(コージー・パウエルの『Theme One』)は最高です。まあ、トーイはレジェンド枠ではないんでしょうけど、自分の中ではレジェンドなんで。プロレステーマって小中学生の心に戻してくれますよね。
石川選手とのリング上での絡みは今まで何度あったんですか。
阿部 カナダで一度、対戦だったか組んだかであります。
対戦か組んだかぐらいは憶えておきましょうよ。
阿部 あとは全日本プロレスで1度。埼玉というのもあったんでしょうけど(バトラーツは埼玉県越谷市にあった)、グラップリングマッチのようなものをやりました(2020年1月19日、春日部ふれあいキューブ。佐藤光留&石川vsジェイク・リー&阿部)。タッグを組むのは10月23日が初めてかもしれないです。
意外とそうなんですね。プロレスラーがあこがれを抱くと、その人の技を使ったり、あるいはその人と対戦、組んだりすることで自己実現をさせるじゃないですか。その中で阿部選手は石川選手があの頃にやろうとしたムーブメントをこの時代において形にしようと試みているのが独特な関り方だと思うんです。
阿部 それは、石川雄規のカッコよさが動きとかではないですから。蹴られまくった時の、韓国映画でやられているやつみたいにヨダレとか鼻血とかを流している“絵”が本当に痺れるんですよ。
体中から液を出しています。
阿部 今、この年になってわかるんですけど、ヨダレを垂らしている人間が一番カッコいいんですよね。それほど必死になっている人間が。
アントニオ猪木さんもヨダレを垂らしながら狂気性を出していました。
阿部 それが僕と今の若い選手たちの違うところで。煌びやかなものよりも、成績もよくないのになんか頭にこびりついて離れないのものって、やられている方なんですよね。立とうとすると、横から蹴られたりするじゃないですか。
ここは立ち上がってワーッとなるところだろうと思ったら、視界の外から蹴られてまたマットに沈むという。
阿部 立ち上がったら絶対に盛り上がるのに、そうならない。ああいうのがメチャクチャ好きで。僕はWWEが好きでプロレスを見始めて、パイロとかを見て喜んでいたんです。それが澤さんを見てバトラーツを知って、何もそういう舞台演出がなかった。ディーバがいるわけでなければ、映像も使っていない。お金をかけなくたって黒パン一丁で何回でも見られる試合を生み出していたんですよね。何回見てもすごすぎて笑っちゃうし、何回見ても違う気持ちになる。それはバトラーツにしかないんですよ。トーイだけじゃなくて、それこそ村上(和成)さんとのくだり(当時、両者がバチバチやり合う時期があった)なんて見るたびに笑える。この“笑える”っていうのが大切なんですよ。
どんなにエグくやっても陰惨に見えないということですね。
阿部 それです。やられすぎて笑えてくるって、ないじゃないですか。路上で人がボコボコにされていたら引きますよね。総合格闘技でずっと殴られていたら「早く止めて!」ってなるじゃないですか。トーイのプロレスに、ネガティブさがまったくないんですよ。それってすごくないですか?
9月21日に野村選手とお二人が出演し、格闘探偵団興行に向けてのトークライブが開催されたのですが、そこでも昨年の試合から石川選手が池田大輔選手の顔面のド真ん中に拳を入れている写真をスクリーンに映しただけで20分は笑って、語れましたよね。
阿部 あれは本当に最高な空間でした。あと、痛みが想像できるのも大切だと思います。頭から落とされる技って、危ないとは思うけど痛さはわからないものじゃないですか。それよりも頭をゲンコツされたり、人を蹴ったら自分の脚も痛かったり、そういうのってけっこう日常に潜んでいるもので、人をビンタしたら自分の手が痛いって誰もが経験している。バトラーツが一番身近なものに見えるプロレスなんですよね。だから僕は、入り込みやすかったのかもしれないです。
器の小ささを1ミリも悪びれることなく
正しいと思っているトーイが素敵
リアルタイムで見ていない阿部選手がバトラーツの存在を知ったのは、一般人・澤宗紀さんと出逢ったあとだったんですか。
阿部 そうです。澤さんと会って、新宿FACEにZERO1を見にいったんです。その時、プロレスは漫画のように吹き出しがあるんだって思ったんですけど。実際の喧嘩にしてもMMAの試合も吹き出しのように「この野郎!」「ぶっ飛ばしてやる!」なんて言っている場合じゃない。プロレスはライブでありながら吹き出しが入る余白があるのがちょっと衝撃でした。体が大きなキン肉マンよりも、限りなく人間に近い方が投影できて好きなんですよ。もちろん関本(大介)さんのような人たちも大好きなんですけど、サラリーマンにしか見えないような人がリングに上がったらメチャクチャすげえじゃん!みたいな方が好きで。それで澤さんの試合を見ていたら“やりすぎぐらいがちょうどいい”と言っているわけです。「そうか、こういうのがやりすぎるということなのかー。確かにやりすぎだよなあ」と思って、そこから自分で調べ出しました。
澤さんに教えてもらったのではなく、自発的に調べたんですね。
阿部 そこからいろいろあって、大学からお寺に入ってますます…お寺って、時間はいっぱいあるんですよ。同じことの繰り返しっていったら変ですけど、朝起きて掃除して…とやっている間って、考えることがいっぱいあるし自分の時間もある。
ちゃんと修行やろうぜ。
阿部 その時にいろいろ調べたら、澤さんのプロフィルの中に“バトラーツ”というワードが出てきて興味を持ったわけです。その頃はもう、ビデオやDVDではなくスマホでネットを漁りまくりで、外国人ってすごいオタクが多くて当時の映像をギュッとまとめてくれているんですよ。その中でUWFや初期パンクラスが僕は好きだったんですけど、最終的にはバトラーツにたどり着きまして。あとは石川雄規著『情念』ですね。
B-MANIAの間でバイブルと呼ばれる名著!
阿部 ドイツでの試合へいく時に、野村が飛行機の中で読んでいたんですよ。
現物が今もあるというのがすごいですね。2000年発刊の本ですよ。
阿部 御守みたいにキャリーバッグへ入れておくんです。「帰りに読ませて」と言って、読んでいる野村を見るとクスって笑うんですよ。それで帰りを楽しみにしていて、読んだら絶対ここで笑ったんだよなと思ったのが…本の中の1章分丸々が警察官に対する悪口なんですよ。
あー、憶えています。“ステカン”ですよね。ネットがなかった当時は町の中にポスターを貼って回るのがプロレス興行だったんですが、警察に見つかると叱られるという。
阿部 100%自分が悪いんですけど最終的にはその警察官の墓を見つけて、その墓から骨壺を抜き出して、その骨壺にクソぶっかけてやるって書いてあるんですよ。お墓の前で出すならまだわかるじゃないですか。わざわざお墓を掘り起こすという労力をかけてそこにぶっかけるって言い張っているんですよ。ひと手間かけるっていうのがすごいじゃないですか。
これぞ情念。執念を遙かに超越しています。
阿部 うひゃひゃひゃひゃっ。それが最高に面白くて。とにかく器が小さいんですよ。人間って、誰もが大きな器をしていないじゃないですか。プロレスラーはみんな、器を大きく見せようとするのにトーイはそういうところが一切なくて、本当に器の小さいことを1ミリも悪びれることなく正しいと思っているところが素敵なんですよ。我々だったら些細なことで怒るし、イライラしているところを出さないようにしているだけなのが、それを言葉にして出してくれる人がいると、すっきりしますよね。
そういう石川雄規という生命体の特徴も調べて知るわけですか。
阿部 そうです。当時、石川さんがやっていたブログが残っていて、そういうのを読むと面白くて。表現方法がすごくて、トーイ的な言い方をすればもはや恋文なんですよ。その言語感覚が勝手に自分の中へ入っちゃっているから、たまにマイクをやると「やべえ、トーイみたいじゃん!」って恥ずかしくなるんですけど。だから極力、壮大なことは言わないように気をつけています。
世界征服とか壮大すぎますよね。
阿部 そうなんですよ。そう言われたところで現実感がないじゃないですか。でも、そういうエッセンスがすごく入っちゃっていると思うんです。
リアルタイムで見ていて影響を受けるというのはよくありますが、あと追いでそこまで深く理解できているところが率直にすごいと思います。
阿部 リアルタイムで見ていた方にそう言われるのは光栄です。格闘探偵団をやるにあたって、実はそこが怖いと思う部分だったんです。熱狂的なものを少ないパイが支える世界って、ある程度アレルギーを起こすのが流れじゃないですか。「おまえらがやっていることなんて違うよ」みたいに言われもしました。ただその時に思ったのは、僕がやらなかったらあなたたちは文句すら言えない。ただの浮遊霊みたいなものだったのに、俺が場所を作ったおかげでそこに対して文句が言える。場所がなかったら文句さえ言えずに死んでいるだけなんだぞ、だから感謝してくれよなっていう話で。
いや、本当にそう思います。少なくとも、当時は両国国技館に進出するまでの勢いこそ生み出すも、最終的には世間にまで届かぬどころか業界的にも正当な評価を得られなかったのが、時を経て自分がそれを実践していることについてはどう受け取っているのでしょう。
阿部 僕は世間と言ったら広すぎるので、プロレス界を世間と見立てているんですけど、たとえば藤原喜明さんに「バトラーツのBはバカのBだな」とか言われるとメッチャ嬉しいんです。自分なんかスポルティーバから生まれた人間なのに、なんでかわからないけどそういう人たちの孫と言ったら変ですけど、みんなに認知してもらってかわいがってもらっている。技術に関しても惜しみなく教えてくれて、そういう中に紛れ込んでいるんですよ。それがすごくありがたくて嬉しくて、そういう方々が言う「プロレスの根本はこういうものだ」というのをみんな浅い部分だけ見ようとするから、そうじゃなくてもっと心の部分でルーツとされるものを大切にしたくて。それらのものが、今だと1周回って新しく映る。しかもそれを“格闘探偵団”って言っておきながら、自分と野村卓矢しかいないっていうのがカッコいいだろ?って思っちゃうんですよね。
“団”なのに二人しかいない。野村選手はどうしてこっち側に入ってきたんですか。
阿部 僕がスポルにいた頃、あいつは大日本プロレスですぐ売れてノアとかいろんなところに上がっていて、それをスポルティーバアリーナで流れていたサムライTVを通じて見ていたんです。自分とスタイルは似ているけど、テレビの向こう側の人間だから住む世界が違うよなって思っていました。でも、名古屋でやっているうちに大橋さん(フランク篤)が野村卓矢のバースデーマッチというのを組んでくれて(2017年10月26日、横浜にぎわい座。阿部の大日本マット初参戦で野村と初一騎打ち)。それがすごく楽しくて、今のような考えはまだ確立していなかったですけど、こういう感覚の人がこんな近い年でいるんだってなったのが最初でした。
でも、その時点で野村選手はバトラーツがどういうものかを知らなかったんですよね。
阿部 そうだったんですけど、ビッグマウスラウドの話で仲よくなったんですよ。
ビッグマウスラウド!
阿部 IGFがそのあとNEWという別ブランドを始めて、僕はそこに入団しようと思ったんです。村上和成と船木誠勝がいたらビッグマウスラウドみたいじゃないですか。現代に蘇ったと思って…というような話をしたら、話す内容も見方も盛り上がり方も一緒で、俺からしたら「こんな友達、初めてできた!」ですよ。レスリングの練習はよくやっていたんですけど、プロレスラーとの練習をやりたかったんですよね。やっぱりね、そういうところでやるのとプロレスラーと一緒にやる練習とは違うんですよ。
グラップリング以外のウエートなども含めてとなりますよね。
阿部 だから僕が野村を練習に誘って、野村も俺みたいになっていくんです。俺としかやっていないから。そこからずっと今もやっているんですけど。
どの段階でバトラーツというワードを注入したんですか。
阿部 ある時、石川雄規vs池田大輔の映像を「こういうのがあるんだよ」って突きつけてやったんです。野村はUWFが好きだったんですけど、話せば話すほどに「こいつはバトラーツだな」と思って…一撃でした。衝撃だったでしょうね。僕と同じような感性でありながらそれまで触れていなかったら、ましてや二十歳を超えて触れたらもう衝撃でしょう。
でしょうね。
阿部 野村も周りからバチバチだって言われていたと思うんですよ。そんな人間にホンモノのトーイの料理を食べさせたら「今までの俺はなんだったんだ!?」ってなりますよ。そこでドハマりしてくれて、そこからはもっと深い話をして、こじらせて今に至るんですけど。
野村選手に対してやったように、バトラーツをプレゼンした選手はほかにいるんですか。
阿部 いないッスね。バトラーツって面白いよ、見た方がいいよって同業者に言うことはないです。たぶん面白くないですしね。
いやいや、やってみないとわからないでしょう。
阿部 語弊を恐れずに言い換えると、これはデスマッチもそうだと思うんですが正統なプロレスに背中を向けたジャンルになるわけじゃないですか。
いわゆる通常のプロレスのスタイルと差別化を図るという意味で、ですね。
阿部 それは先輩たちからすればあまりいいモノではないんでしょうね、王道ではないから。ひょっとするとズルしているって受け取るかもしれない。それと同じで、大っぴらには勧めないんです。ましてや後輩になると、今もいろいろ聞かれますけどさっきも言った上辺の部分だけを教えるのはなおさら悪影響だと思うので、そういう部分を教えたりはしないんですね。
だとすると野村選手だけが特別だったんですね。
阿部 唯一できた友達ですから。友達には教えたくなっちゃいますよね。
バトラーツ、バチバチとは
最後まで立っている人間の勝ち
格闘探偵団は二人のままがいいですか。
阿部 どうなんでしょう…今、スポルティーバに去年の野村と俺の試合を見てあこがれてデビューしたやつ(名島アリ=父親が猪木ファンで、兄がハルクと名づけられる。3人目が生まれたらアンドレと名づけられたという)がいるんですけど、そういう人たちに対しては伝えていかなきゃいけないものだとは思います。ちゃんと面と向かって教えたいとは思うんですけど、いかんせん毒素が強すぎるんで。まずは普通のプロレスをちゃんとやって、一般世界に馴染んで「おまえはいい若手だな」「頑張っているな」という評価で保険を得てから踏み入れてもらわないと、単なる狂った若者になりますから。
キャリア1年ぐらいでヨダレを垂らして不気味に笑いながら立ち上がられても…ってなりますよね。
阿部 ウハハハハハッ、顔じゃねえよ!ってなるじゃないですか。感性に関しては教えるものではないと思うし。ただ、ルーツは大切にしてほしいんで、トーイとかそういう先人たちが継ぎ足し続けて残した秘伝のタレじゃないですけど、そういうのは大切にしてほしいなとは思います。
現世代の人間である阿部選手と野村選手が格闘探偵団を復興させたことに関し、石川選手本人はどんな受け取り方をしているのでしょう。
阿部 面と向かって言われることはないですけど「まだまだだな」とは言いつつも喜んでくれるんですが…孫が焚きつけたことによっておじいさんが目を覚まして、心が活発になったわけじゃないですか。そうするとお父さんの代…日高さん的には「呼び起こすなよ!」ってなるんですけど、それも喜んでいるんですよね。それぐらいみんなが活気立っていて『フィールド・オブ・ドリームス』のようなものができて、石川さんが生きがいを…僕はまだ29年しか生きていないですけど、そのうちの15年間ぐらいは石川さんに変えてもらったわけで、自分がやることによってそういう存在の人が漲ってくれたり、生きる活力になってくれたりすると「やっぱり俺のじいちゃん、すげえだろ!」って誇りたくなる。だから、自分が売れたり名を広げたりしたい理由っていうのは、自分が影響を受けたものを知ってほしいから…になりますね。
少なくとも格闘探偵団を名乗ることについて認めてもらっていることが、一つの評価の形だと思います。
阿部 でも、いまだに格闘探偵団って恥ずかしくて言えなくて。挨拶をする時、自分の名前の前に「○○の」って入れますよね。前は「スポルティーバの阿部史典です」って言えましたし、フリーになってからは言わなくてよくなったんですけど、僕はずっと「格闘探偵団の阿部史典です」って言いたいんですよ。
言いましょうよ。
阿部 それがまだ恥ずかしさが抜けきれないんです。全日本のような大きなカンパニーに上がると「フリー」って言ってしまう。でもやっぱり広めたいし言いたいし、格闘探偵団というジャンルになりたいんで、ちょっとでも言える人には言おうかなと思っているところです。
自分が影響を与えられたように、後進に自分の影響が及ぶのはいいことだと思いますよね。
阿部 それは思います。ただ、自分が影響を与えたなんていうのを聞くと恥ずかしくて。さっきの話にしても、23歳の子(名島)が29歳の俺に影響を受けるなよ!って思っちゃうんですけど、その人はそう思ってくれているからちょっと試合を見ると僕に似ているんですよ。それって恥ずかしいじゃないですか。まだ俺、生きているし。
一般誌の読者層にバトラーツがどういうものなのかを言葉で伝えるとすると、どんな言い方になりますかね。
阿部 僕が言っているのは「お金の取れる喧嘩」。格闘芸術なんで、そこに技術があってただ殴って蹴っているだけじゃなく。バチバチって言葉はニラミみ合っているだけでバチバチだし、何もしていない状態でもバチバチしているかもしれない。別に殴り合うことだけがバチバチじゃない。若手同士の闘いがバチバチしているって表現されるのも、そこですよね。ロックアップで組み合ってもバチ!っていう音が聞こえる感覚になることもある。それの純度100が格闘探偵団だと思ってください。90年代から2000年代にかけてはそれがバトラーツのものだったわけですが、今この時代になって名前であったり熱量であったり空気感を僕らで独占したいんですよね。笑って酒飲んで見られる喧嘩って究極ですよね。
厳密に言うなら、野村選手と二人でやっているのはバトラーツのリメイクではなく、あくまでも格闘探偵団としてバチバチスタイルをやっているということなんですよね。
阿部 そういうことです。僕らは二人ともバトラーツの道場を経験していないんで。先人を立てて教わって、でも自分らでやっていることはオリジナルだって信じてここまでやってきたから、バチバチや格闘探偵団というワードを新しい言葉のようにプロレスファンへ響かせたい。
殴る蹴るというスタイル自体は通常のプロレスの中でも見られるものですよね。バトラーツを知らない人が見れば、その違いはどこにあるのかとなる可能性があります。
阿部 そこに関しても明確に言えます。バトラーツルールはピンフォールがありません。今は僕もフォールがあった方が面白いと感じるんですけど、それは丸め込みの応酬だったりゲーム性が増すことであったりという理由なんですが、そういったものをもっと削ぎ落とすことで昔の闘いに近づく。ピンフォールがないから何回倒れても立ち上がっていいし、UWFルールのように何回エスケープしたらロストポイントで負けというのもないからいくらでもエスケープして、最後には勝てばいい。とにかく、最後まで立っている人間の勝ちですね。もしかすると通常のプロレスよりも、むしろデスマッチの方に似ているのかもしれない。それをパンツ一丁でやるっていうのは、すごく人間の本能を駆り立てられると思うんです。世の中で頑張っている人たちって、上司を殴りたいとか、ツバをかけてやりたいと思う時があるじゃないですか。それを一番わかりやすく投影できるのがバチバチなんだと思うんです。
日常でそういう感情を抱いた時に、難易度の高いプロレスの技をやろうとは思わないですよね。バチバチはそういう感情がダイレクトに表れているものだと。
阿部 去年の格闘探偵団興行で野村とシングルをやった時も、やる前にああしようこうしようと考えていたことが全部吹っ飛んじゃって、結果的にはシンプルにバチバチやり合っていたんです。あれはお互いにそうしようと思ったのではなく、本能でやっていたらそこにいき着いてしまった。
当時のバトラーツの選手はみんなそうでした。だから試合前に作戦を立てても意味をなさなかったんです。
阿部 日常の中に現れる感情って、そういうものでしょう。プロレスはリズムであったり、気持ちのいい流れであったりが発生するものですけど、あの人たちはいちいち改行したり行間を持ったりするんですよね。
それでギクシャクしたプログレッシブなものになるんです。
阿部 それが意外と日常の中に潜んでいるものなんだと思うんです。物事、そんなスムーズにいかないじゃないですか。
先ほど言ったような、立ち上がろうとすると横から蹴りが飛んできて立てないような。
阿部 よーし、やってやる!って言った矢先に、視界外から車が走ってきてはね飛ばされるようなものですよ…あのう、今僕の言うことに対し、ここにいる皆さんがうなずいてくれていますけど、こういう表現がわかる人たちに囲まれるのって幸せですね。
石川選手は今でも世界征服と口走っているんですか。
阿部 そういうことをいまだに言っています。世間にキレていますね。とにかく誰かにキレています。あんなバイタリティーにあふれた人、いないです。些細なことでイラッとするのは誰もが日常の中でありますけど、それを20倍ぐらいに感じとれるのがトーイなんですよ。なんか一人で「バカばっかりだな!」ってブツブツ言っているんですよね。僕らなら、やってくれって頼んでもできない時って「そうか、やっぱり無理か」で終わるじゃないですか。トーイはそこから「日本の教育のせいだ!」みたいな話につながっていくんです。だからね、面白いんですよ。近すぎるといろいろ大変だけど、今の距離感が一番いいんでしょう。
孫というのが、一番いい距離感だと思います。これが息子…日高選手の世代になるといろいろ大変になってくる。
阿部 孫が「おじいちゃんたちがやっていたことが面白かったから、今の時代に僕がもう一度やりたいんだ」なんて言ったら「そうかそうか嬉しいよ、みんな(元バトラーツ勢)で頑張れよ」って言ってくれるものじゃないですか。と、思ったら「あいつはダメだ」って言うんですよ。うわー、いまだに仲が悪いんだって興奮しますし、仲が悪かったから面白かったっていうのもさんざん聞かされてきましたから。「もういいじゃん! 時間も経ったんだから」というようにはならない。だからいいんでしょうね。
そういう先人の方々との付き合いをこれからも続けて格闘探偵団という器を継続させていきたいと。
阿部 続けたいです。石川さんたちが生きた証って、世の中から見たらマイナーなものかもしれないですけど、僕らはそこに生きているんで。今日、誰々が何々をしたと思ったら、今度はこいつがこんなことしたって気にするじゃないですか。でも別に世間の人はそんなこと知らないし、なくても変わらない。狭い世界で感情を一喜一憂させている自分がすごく小さい人間に思えた時期があったんです。でもこの世界で生きているからには、格闘探偵団をひとつのジャンルにしたいと思ったんで。人でいっぱいにならなくてもいいから、後輩たちに残す作業と、あんなやつらがいたぞとお客さんに擦り込ませる作業を体が持つ限りは続けたいです。長くできると考えてやっているようなジャンルではないですけど、長くできないながらに捧げたいと思う段階にはなれました。
世界征服は目指さないんですか。
阿部 世界征服、したいッスねえ。プロレスを世界だとしたら、マジでしたい。ドイツは征服したんですよ。ドイツのレスラーたちが殴り合う表現を“BATI-BATI”って言うんです。これは、丸藤(正道)さんの動きを外国人選手が“マルフジ”と呼んでいるのと同じで。それって、ひとつの征服じゃないですか。バチバチを“BATI-BATI”の綴りにしたのは池田さんですけど、それを世界のプロレス標準語にしたいんです。
“バチバチ”はバトラーツより前の藤原組時代、石川選手と池田選手がシングルマッチで対戦した時に、週刊プロレスの試合リポートの見出しとして使われたのが語源です。そうなると嬉しいです。
阿部 それが僕らの世界征服ですね。石川雄規がやろうとしたことをアストロノーツが請け負って、それがトーイの耳にまで届くようにしたいです。