鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ株式会社発行)では、毎月旬なゲスト選手が語る「鈴木健.txtの場外乱闘」が連載されています。現在発売中の2025年4月号では、第128回ゲストとして“女子プロ界の横綱”ことセンダイガールズプロレスリング・里村明衣子選手が登場。4月29日の引退試合を前に、誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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里村明衣子(センダイガールズプロレスリング)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

どんな立場になっても、
幸せを感じて生きていく
というのが自分の根本

里村明衣子(センダイガールズプロレスリング)

引退試合を大会場にしなかった理由
全員で向かう目標として目指したい

昨日(2月26日)、イギリスから帰ってきたばかりということで、慌ただしい引退ロードの中での海外遠征でした。

里村 イギリスは2017年に初めていって、その後は生活するまでになった国なので最後の最後でケジメの場を作っていただいたことが嬉しかったですね。2戦やったんですけど、初日はPROGRESSという2019年に日本の女子選手として私が初めてタイトル(PROGRESS世界女子王座)を獲った団体なんですけど、2日目は仲間たちが引退前にとそのために開催してくれたショーだったんです。

YouTubeで映像を見ましたが本当に、イギリスにおける引退試合のような盛り上がりと周りの里村選手を送り出したいという思いが伝わってくる大会でした。

里村 そのために会場も新しいところを押さえてくれて。会場はロンドンだったんですけど、みんながロンドンに住んでいるわけではないんです。6時間ぐらいだから大阪から車で来るような距離にもかかわらず集まってくれた。主催してくれたスタッフも大変だったと思うんですけど、愛に包まれた大会ってこういうものを言うんだなと実感できましたね。

そのイギリスでの試合も含めて、引退ロードはいい形で進んでいると思われます。

里村 決めたタイミングがよかったなと思います。決断するまでは辛いところもあったんですけど、引退発表をしてからはもうそれに向けて動いているので。本当、発表から一気にオファーが増えました。ラストの3、4月で20試合あるんですけど、自分の中でここまでならという線引きをして、もうこれ以上入れるのは無理というところまでやる感じです。ですので、お断りさせていただいた話もいくつかあって。それが心苦しくはあるんですが、これまでかかわってきた人たちとの関係を最後まで築けていることを実感するような引退までの道になっています。

その選手との物語を、そのつど完結させるための場が連続で見られている感じがします。

里村 改めて見ると、長年かかわってきた人たちが多すぎて自分の中で整理がつかないところもあるんですけど、最後の最後まで変わらぬ関係でいられるというのは自分が大切にしたかったことなので、それをうまくやっていけているのはよかったなと思います。

12月の仙台サンプラザでのビッグマッチにおけるDASH・チサコ選手(センダイガールズプロレスリング)とのセンダイガールズシングルタイトル戦や、今年に入ってからのSareee(フリー)戦、同じく年内に引退する高橋奈七永選手(マリーゴールド)とのフルタイム戦、大きな話題となったウナギ・サヤカ選手(ウナギカブキ)との後楽園ワンマッチ興行、代々木第二体育館でのビッグマッチで橋本千紘選手との防衛戦と、何年かかけてやることをこの数ヵ月に詰め込んでいるかのようです。その一方ではシン・髙木三四郎(プロレスリングWAVE)との対戦やシン・里村明衣子(プロレスリングWAVE)とのタッグ(シン・広田さくら自主興行4・23新宿FACE)といった方面もやるという。

里村 (シン・里村とのタッグは)この試合こそ負けられないですよ。

自分自身と組むから?

里村 はい。

シンといえば、9月のTAKAYAMANIA EMPIREではシン・髙山善廣(プロレスリングWAVE)とも対戦しました。

里村 あの大会は…それこそずっと紡いできた人間関係がちゃんとリング上で表現できたのは、ありがたかったです。髙山善廣さん(髙山堂)にもすごくお世話になりましたし、鈴木みのるさん(パンクラスMISSION)には、もう15年ぐらい前からずっとお世話になっていますし、それこそ長年築いてきた関係があったからこそあの場にいられたんだと思うんです。それを引退する前に持てたというのが大きかったです。あのお二人のようなずっと変わらず尊敬できる先輩が同じ業界にいらっしゃるのって、宝だと思うんです。プロレスラーとしても人間としても、気持ちの部分で素晴らしいものを持っているお二人なので、このいい関係をずっと築いていっていただきたいなと思いました。

目の前で鈴木みのるvs髙山善廣戦が始まった時の思いは?

里村 (しばし考えて)これ以上のものって、ないんだろうなと思いました。はい、ないですよね…人生における大事なものを、鈴木さんと髙山さんに教わった場だったと思います。

4月29日におこなわれる引退試合ですが、発表会見の席で後楽園ホールにて開催すると明かしていました。それはデビュー戦の地だからですか。

里村 そこまで大きな意味ではとらえていなかったんですけど、最後は後楽園ホールだなっていうのは当たり前のように頭の中へありましたね。地元(仙台)でというのも考えはしたんですけど、全国から集まりやすいとなると東京かなというのと、大きな会場でやるのはみんなと目指す場所という思いがありました。

それで3・19代々木第二を引退の場にはしなかったんですね。

里村 はい。あくまでも仙女のビッグマッチとして臨みたかった。でも、自分の興行であるなら大きいところではなくても…という思いでした。その中で後楽園ホールというのはすぐに浮かびました。

より大きな会場で開催すればもっと多くの観客を集められるのに…という声も聞きます。

里村 自分にとっては引退よりもここからの方が大事なので。これからもこの業界に携わっていく人間ですから、ここで自分のために大きな儲けを出そうとかは思わないんです。

『月刊スカパー!』としてのインタビューは2015年の夏以来で、それから10年が経っています。デビュー20周年のタイミングでお話を聞かせていただいた時に「自分が40歳になった時には、月に一度後楽園ホールでできるぐらいになって、年に1回は日本武道館でやれるぐらいになっている」という目標を語っていました。その武道館も、自身の引退試合としてやれば実現できたのに…と思うわけです。

里村 言っていましたね。でもやっぱり…自分のための興行で大きくやるのと、全員で向かう目標としての武道館というのは違うので。何より、確実に日本武道館を満員にできるスーパースターがいるかどうかですから。それに基づいた人気がちゃんと定着した時点でやりたいと思っているので、今はまだまだですね。だからその夢は、引退してから実現させるものとして持ち続けます。

今までプロレスラーとして行き来
してきた行動範囲は狭めたくない

これも会見で明かしていましたが、プレイヤーを退く動機として、WWEでプロデューサーの仕事を目の当たりにしたことと言っていました。WWEにいかなかったら、まだ現役を続けていましたか。

里村 いえ、また別の理由を言っていたかもしれません。だからやめる時期は同じだったと思います。ただ、それほど私はWWEに対し感謝していて。大きい夢を見させてもらいましたし、ここまでの世界にいかなければダメなんだという思いを所属として感じられたのは大きな意味がありました。プロデューサーやコーチとしてやっている方々も、元スーパースターだった皆さんじゃないですか。その立場をいったん切り捨てて、これからスーパースターを目指す人たちにすべてを懸けているんです。どう育てていこうか、どう教えるか、とにかくその教える人たちに対し全身全霊を注いでいる。その姿に私は感銘を受けました。

それはセンダイガールズで後輩を育ててきたのとは違ったものに映りましたか。

里村 現役でやり続けていた分、私の場合は兼任でしたから違う感覚です。指導者でありプロレスラーであり、経営者でありと混乱して自分がおかしくなるぐらいまで追い詰められる時もあったほどでしたが、プロデューサーはそこにすべてを注ぎ込むことができるので。

ショーン・マイケルズ(WWE)のプロデューサーぶりに心を動かされたと聞いています。

里村 はい。自分自身も試合のあとに言葉をいただくこともあって、それも嬉しかったですけど、あれほど現役時代は自分をどう見せるかでやっていた方が人のために動いているのは衝撃を受けましたね。

コーチ契約を結ぶさい、トリプルH(WWE)からも「プレイヤーとはまた違った素晴らしい世界があるから」と言われたそうですね。

里村 でも、その2019年の時点では正直、ピンと来なかったんですよ。私は当時、WWE所属だったジョニー・エースさん(ジョン・ロウリネティスWWEタレント部門副社長)のようになりたいですと言ったんです。そこで、そういうことを言われたんですけど。

トリプルHもプレイヤーからプロデューサーに転身する決心がついたのはビンス・マクマホン(当時・WWE会長)からの言葉だったんですよね。「もうそろそろこっち(背広組)に来たらどうだ? そこで新しいものを築いてみろ」と。

里村 そうだったんですね!

やはりプロレスラーはいつまでもプレイヤーを続けたいと思う中で、次なるステップを踏み出すきっかけを与えてくれる人がいるかどうかが重要なんだと思います。その意味では、里村選手もそう思わせてくれた環境に恵まれたのが大きかったと言えるでしょう。

里村 大きかったんですね。だから本当に私は、いい時期にWWEにいけたんだと思います。実際にプロデューサーの方々が働いている現場を見られたのは、いかなければなかったことですから。たとえば選手として以外の仕事をしながらでもオファーをいただいたら試合に出る形も考えられますよね。それこそ年に一回でも出場すればプロレスラーを名乗れるから、私もその立場でズルズルと続けることはできたと思います。でもそれは、やりたくなかったんです。あの現場を見たら、なおさらですよね。

自分自身以外のプレイヤーのために動くこと、働くことに対する魅力はどんなところに感じていますか。

里村 これは、今後の課題でもあると思っているんですけど、今までは指導が思い通りにいかなくて、それがストレスになってもプロレスラーなのでリングの上ですべて表現できるわけですし、それが発散にもなったんです。でもこれからは、自分が表現者じゃなくなって、自分が稼ぎ頭でもなくなり人を商品にするわけじゃないですか。そこが難しくなると思っています。私がWWEにいったことで3年間、センダイガールズを頑張って回してくれて、その上で数字も上げたので、そこは安心して任せられるとは思っていますけど。質問の答えとしてはどこに喜びを感じられるかは今の時点ではつかめていないのが正直なところです。それほどまでに、プロレスラーとしての自分自身やその存在によるものが大きかったんでしょうね。引退後はどうなるのかがわからない分、すごくワクワクもしているんです。

引退後もWWEと契約してイギリスとの2拠点活動は続けるんですか。

里村 そこはまだわからないです。ただ、世界中の人たちを教えたいという気持ちはあります。私の場合は教えるというか、直接指導はもうあまりしていないので、プロデュース方面に関してですね。イギリスにいった時もいい選手がいて、さっそく試合後に8月のビッグマッチ(8・23ゼビオアリーナ仙台)へ出場してもらえるようオファーしたこともありました。過去にDDTさんにも上がっているレイン・レイバークセン選手なんですけど。

ああ、アイアンメイデンの元ドラマー、クライヴ・バーの姪ということで話題になった。

里村 はい。彼女がめちゃくちゃカッコよくて、すぐに声をかけました。試合をやるたびに、そういう新しい選手に巡り合えます。

彼女のように、日本に限らず海外も含めてアンテナを張っていくと。日本に呼んで指導するケースもあれば自分が海を渡ってプロデュースしにいくケースもあり得るわけですね。

里村 そうです。今までプロレスラーとして行き来してきた行動範囲は狭めたくないですね。

そうですか、引退後も現在のような昨日まで海外、今日は仙台、明日は東京…といった生活が続きそうですね。

里村 そうなんですけど、今週はさすがに代々木の準備と往復のフライトと現地での試合が2つと、48時間横になっていない時が1週間で2回あったので、さすがにこういうのはもうちょっと落ち着かせなきゃいけないなと思いました。

でも、里村選手ならやってしまう気がします。岩田美香選手(センダイガールズプロレスリング)や橋本千紘選手(センダイガールズプロレスリング)をこの世界へいざなったように、今後もスカウト活動は継続していく構想ですか。

里村 岩田や橋本の時は本当に選手がいなくて、もう1人、2人入れないと会社が続いていかないという状況だったこともあったので、こちらから「入ってください。お願いします」という状態だったんですけど、10年経って団体としての実績も積めて、自分自身の経歴もちゃんと作れているので、今後のスカウト活動としてはウチに入ったらこういうメリットがありますよと提示できるよう、そのためのことを築いていかなければと思うので、それも引退後の課題ですよね。

プロデューサーとして、そして経営者としては引退後もセンダイガールズに在籍し続けるんですよね。

里村 はい。だから、ここからは本当に自分の人生における経営者としての道を歩むことになります。どんな立場になっても、幸せを感じて生きていくというのが自分の根本にはあって…うん、幸せを感じられない人生は嫌なので。プロレスラーでいられたことって、根本的には幸せだったんですよね。次の人生もそこを第一に生きていきたいです。本当に心の底からから自分の仕事が好きなのか、今やっている立場にやり甲斐、生き甲斐があるのか、幸せを感じるのか。幸せだって感じていられないほど余裕のない時もありますけど、トータルで考えると本当に辛いことも最終的にはすごくやり甲斐があったから乗り越えられたっていうこともありましたので、一番に幸せを考えて生きていきたいです。

やることは変わってもそこは変わらず。

里村 それで経営者として団体をやっていますと言っておいて、大赤字をぶっこいて、まったく幸せを感じられない、みんなにガミガミ言われながら生きていくような人生になるのだったらやめた方がいいと思うんです。よく言われるんです、プロレスラーとしての立場じゃなくなるんだからとか、経営者なんだからと。でも、経営者が幸せじゃなかったら周りにいる人間の誰も幸せじゃなくなるじゃないですか。だからちゃんと、自分の幸せの場を確保しながら生きていきたいって思うんです。

経営者としては新崎人生(みちのくプロレス)の背中を見てきましたか。

里村 見てきましたけど、やはり会社が違うとまったくの別モノという感覚です。ただ(新崎)社長にはすごく協力していただいているので、いい関係でやっていけているのはすごくありがたいですね。

それこそ仙女の旗揚げからずっと変わらぬ関係です。

里村 本当に、そうですよね。一緒に会社へいた頃よりも、独立してからの方が相談させていただいていますし、何かあるとすぐにアドバイスをしていただけるので。

困った時や悩んでいる時に、ちゃんと明確な答えやアドバイスを出してくれる経営の先輩が身近にいるのは、これからの道を思うと恵まれていると思います。

里村 社長だけでなく、私はそういう方がたくさん周りにいらっしゃるんで。

これも10年前に言っていたことなんですが「20年後は道場でマダムと呼ばれて、世界中から集まってくる選手を侍らせて国分町を歩く」と。これ、当時から引退後の形を考えていて、ちゃんとそれに近づいているということですよね。

里村 (笑いながら)国分町でというのはもういいんですけど去年、外国人選手が住めるようにお家を購入したんです。

それって、マダムになるという影響を受けたタイ・バンコクのジムのオーナーさんと同じことをやっていますよね。

里村 そうなんです。世界中からムエタイのジムに集まってきて、そのための宿泊施設も完備している女社長さんにあこがれて、その人生プランの通りにやれています。あとは引退したあとに、自分自身がどう動いていくかです。

わかりました。それでは引退試合に向けての意気込みをお願いします。

里村 本当に30年という月日が大きすぎて、最後どうやって自分のテンカウントを聞くのかまだ想像がつかないんですけど、来てくださる皆さんには最後の勇姿を見ていただきたいので、精一杯頑張ります。よろしくお願いします。