スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txt/場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2015年12月号には、第26回ゲストとして大日本プロレスの関本大介選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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年越しプロレスは
マッスルモンスターにとっても
非日常の場
関本大介(大日本プロレス)
2004年から大晦日はプロレス
終わると駅のホームで座っている
―大晦日に後楽園ホールでおこなわれる年越しプロレスは、2006年に「インディーサミット」として開催されたのが最初でした。以後、関本さんは9年間も新年を後楽園で迎えていることになります。
関本 その前から僕は新宿プロレスというイベントに出ていたんですよ。
―歌舞伎町のクラブハイツでおこなわれていたプロレスの興行ですね。確か2004年と2005年に出場しています。
関本 だから試合のない大晦日っていっても、どんな過ごし方をしたのか全然憶えていないですね。憶えているのは、その時は新宿だったんで試合が終わって外に出たら外国人の人たちが「ハッピーニューイヤー!」って叫んですごく喜んでいるんですよ。確かにおめでとうだけど、そこまで喜ぶものなのか…って思ったことぐらいですかね。
―では、プロレス会場で年を越すのが普通の感覚なんですね。
関本 そうなりますね。もう、これをやらないと新年を迎えた気がしないっていうのはファンの皆さんと同じです。だから今後も抜けきれないでしょうね。ずっとやらないと。
―いいんですか? 毎年、大晦日を家族と過ごせないわけじゃないですか。
関本 いいんです、皆さんが楽しんでいただければ。ウチは大丈夫です。
―理解がありますねえ。
関本 子供たち連れて実家に帰るんで、僕はどのみち一人なんですよ。もう、いないもんだと思われているし、一人でいてもすることもないですから。大晦日って朝まで電車動いているじゃないですか。でも、僕が帰る時に乗る線は動いていないんです。だから始発が動くまで乗換駅のホームのベンチで黙って座っています。
―年越しプロレスが終わったあとは、そんな過ごし方をしていたんですか。
関本 そうやって朝、家に戻ると一人。たまには一人になりたいです…これは無理してるか(つぶらな瞳で笑う)。
―年によっては元日14時開始のZERO1にも出ていましたよね。
関本 正月ぐらい奮発してタクシーで帰ってもいいんですけどね。
―これまでの年越しプロレスで一番思い出に残っている試合は何が浮かんできますか。
関本 これは年越しじゃなかったかもしれないですけど…新崎(人生)さんに勝った試合があったんです。
―それは2005年のインディーサミットだから12月9日ですね(関本&火野裕士&柿本大地vs人生&スペル・デルフィン&TAKAみちのく)。
関本 あー、そうか! 大晦日だとばかり思っていました。その試合って、3団体のジャーマン・スープレックスを得意とする若い3人が当時のトップの方とやるっていうテーマで組まれたんですけど、ジャーマンで新崎さんに勝てたっていうのが大きかったんです。でも、大晦日って独特のノリみたいなのがあるじゃないですか。そっちのイメージが強いんで、どの試合っていうのとは違うのかもしれないですね。
―なるほど。
関本 去年、アントーニオ本多選手と組んでタッグトーナメントに出たんですけど、普段ではあり得ないような自分がいたんです。気持ち悪いというか、こう(手を鳥のようにして腰をクネらす)やったりとか。
―本多選手のバイオニックエルボーを一緒にやっていました。
関本 絶対やらないですからね…いや、僕はやれないですから。それを1000人以上の前でやってしまった。あれはプロレスの力ですよ。
―プロレスの力!
関本 僕はどちらかというと傍観者なんで。でも、お客さんのノリと本多選手のノリに乗せられたんでしょうね。
―去年は当初、男色ディーノ選手とのコンビでエントリーされていたのが、ヘルニアで欠場となり本多選手に替わったんですよね。もしもディーノ選手と組んでいたら同じこと(ゲイレスリング)をやっていたんでしょうか。
関本 ……お尻を見せたり、リップロックですよね。それは今、ここで答えるのは酷ですよ。
―でも、本多選手の動きはやりました。
関本 そうですよね、ここでできないって言ったら差別になりますよね。
―差別にはならないでしょうけど。
関本 まあ、プロレスでハッピーになれれば。
―アイスリボンみたいですね。
関本 そういう空間を作れるのがいいんだと思います。いつもハッピーにしたいっていうのはありますけど、その意識がいつも以上になる。年越しで普段の闘いのように殺伐とするのもアレじゃないですか。
―一昨年は大日本、DDT、KAIENTAI DOJOの3団体主力によるワンナイトシングルトーナメントがおこなわれましたが、直前でケガをして辞退してしまいました。
関本 あれは出たかったですよね。あの年以外はずっと出ていたし。一昨年、去年と優勝できなかったんで、今年のシャッフルタッグトーナメントこそはって思います。
―もちろん出るからには優勝を狙うわけですが、一方では年越しプロレスならではの企画や試合形式も可能です。やってみたいことはありますか。
関本 ふんわりとした、なおかつワクワクするようなものがいいですね。これ…俺、どうなっちゃうの?みたいな。自分が知らない自分が見られたら。
―365日中364日は、関本大介らしい関本大介を体現していますよね。
関本 非日常を体験したいです。何にしましょうか…一日だけできることかあ。
―手っ取り早いのはペイントするとか。
関本 いや、ペイントはしたくないですね。横浜プロレスでやったことがあるんですけど、描くのが大変だったんで。やりたいこと…そもそもプロレスなのかなあ。
―なんでしょう?
関本 サバゲー。
―……それは会場全体を使ってということですか。
関本 後楽園全体…いいですね。でも、リング関係なくなっちゃうか。
―最終的にはリング内で勝敗が決するルールにすればいいのでは。サバゲーの腕前を見せてください。
関本 いや、腕前ないです。1回しかやったことないんで。なんか、みんなで盛り上がるものがいいんですよ。お客さんとの一体感がほしい。みんなでサバゲー、できないかな。
―みんなって、観客もサバゲーをやると。
関本 やめましょう、言ったら本当にやるってなっちゃうじゃないですか。ああ! 最近、相撲にハマっているんですよ、相撲やりましょう。
―言われてみれば年越し相撲は日本相撲協会もやっていないです。プロレスファンだけでなく大相撲贔屓筋にも来てもらえると。
関本 でもなあ、DDTのリングでやっちゃってるしなあ。
―関本さんも出場して準優勝を果たしました(優勝は石川修司)。でも、もともとリング上で相撲をやったのは大日本の方が先ですよ。大日本相撲協会を設立して。
関本 ありましたねー。解散はしていないと思います。でも、相撲だとハッピーになれない人もいるじゃないですか。好きじゃない人の前でやっても…。
―それはプロレスで楽しめるわけですから、相撲好きの方に楽しんでもらえればいいのでは。
関本 個人的な趣味を押しつけている気がして…。
―関本さんはどうしてさっきから自分で出した案を自分で潰してばかりいるんですか。
関本 ハハハハハハ。やっぱりお客さんも参加できるものがいいですよね…カラオケ大会?
―それこそまったくプロレスと関係ないです。
関本 プロレス関係の唄だけを歌うという。
―『怒りの獣神』みたいな。
関本 それならプロレスと関係あるし。選手とお客さんにもエントリーナンバーでエントリーしてもらって。
―出ますか?
関本 僕は出ません。審査員なんで。傍観者ですから。
神谷が、岡林が…団体全体に両国効果
もう来年の両国へ向けて同じ意識に
―サバゲー、相撲、カラオケ…何年後かの年越しプロレスで実現したら関本さんの希望が通ったと思ってください。話を変えますが、2015年は実り多き一年でした。DDTでは岡林裕二選手とKO-Dタッグ王座を奪取し、ZERO1では佐藤耕平選手とのコンビでNWAインターコンチネンタルタッグを獲得。大日本でもBJW認定世界ストロングヘビー級王座を奪取して7・20両国国技館のメインにチャンピオンとして立ちました。秋には岡林選手とのコンビで最侠タッグリーグ戦にも優勝し、BJW認定タッグ王座も獲得と大活躍でしたね。
関本 振り返ってみると、大日本として両国国技館に初進出したことに尽きますね。なんていうか、ひとつの高い山を登ったなあという感覚。これで「富士山登ったことあるよ」って言えるようになった感じですね。
―大日本のビッグマッチとしては2001年に横浜アリーナを経験していますが、違う感覚でしたか。
関本 まったく違いました。充実感も満足度も何もかもが違った。(岡林に)負けてしまったわけですけど、それによってこれからもっと頑張れるって思えるようにもなれたんで。
―7月20日に両国国技館があることで、そこに行き着くまでの過程も今までとは違うものが味わえたのではと思います。
関本 それまでも各自、目標やテーマはあったわけですけど両国があることでみんなの気持ちが同じ方を向いたというのはありましたよね。話を聞いたわけではないんですけど、僕は見ていてそれをすごく感じました。両国だけに力を入れるのではなくて、ほかのことも疎かにしないという意識がみんなから伝わったし。だから団体内の雰囲気も全然違っていたと思います。それって、大日本がこれまで経験してこなかったことですよね。
―ひとつの大きな目標を立てることで、ほかにもいい影響を及ぼした。
関本 たとえば1回のスクワットもやっていることは同じであっても、そこに「両国に向けてのスクワット1回」っていう意味が生まれるわけです。練習だけじゃない、ポスターを1枚貼るのもたとえほかの大会のポスターであっても、これが7月20日につながるんだっていう意識は常にありましたからね。
―それは日常生活でもありましたか。
関本 ああ、これはホントにすべてのものに対し手を抜かないっていうようになりました。歯を磨くのにしても、7月20日に向けてメチャクチャ磨きました。すぐ歯ブラシがダメになっちゃって。生活自体が変わりました。
―すべてにおいてモチベーションの役割を果たしていたんですね。
関本 自分の会社が両国をやるという…その感覚は、すごいものなんですね。夜中に原チャリで道場へ荷物取りにいくと、神谷(ヒデヨシ)が黙々とウェートトレーニングをやっているのを何度も見て、意識が変わってきているんだなって思いました。岡林選手は巡業先から夜通し走って朝7時ぐらいに帰ってきて、そのまま300kg近いバーベルを担いでスクワットやっていたりとか。
―恐るべし両国効果ですね。
関本 今になって振り返ると、今年いろいろやれたことの根っこにはそれがあったと思うんです。7月20日以後は、もう来年の両国に向けて同じ意識でやっています。なので年内最後のビッグマッチ(12・20横浜文化体育館)も、いい形にできると思っています。そのテンションを2016年も保ち続けるのがやるべきこと。これからも全力で歯を磨きます。