鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2019年10月号には、第68回ゲストとしてスターダム・林下詩美選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

※『月刊スカパー!』(ぴあ発行)の定期購読お申込はコチラ
※鈴木健.txt氏 twitter:@yaroutxt facebook:facebook.com/Kensuzukitxt

林下詩美(スターダム)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

私が何かをしたら林下詩美の
前に「林下清志の娘」となる。
家族のためにヘタはできない
と思っていました

林下詩美(スターダム)

©スターダム/FIGHTING TV サムライ/カメラマン:中原義史

プロレスの初期衝動は毒霧
「詩美の部屋はヤバい」

昨年8月にデビューして1年で4つのタイトルを獲得し、昨年のプロレス新人賞を受賞するなどの活躍を見せていますが、この世界に入る前に想像していたのと比べていかがですか。

林下 自分は器用なタイプではないので、地道にやっていくことで頑張れたらいいぐらいにしか思っていなかったですね。なので、思っていた以上にいい形で進んでいて自分でもビックリしているのが正直なところです。

なぜ自分の想定を超える活躍ができていると思いますか。

林下 もともと趣味と呼べるのがプロレスしかなかったんで、入門してからも練習して、テレビでプロレスを見て、スマホでもプロレスを見て、また練習して…って、ずっとプロレスだけの毎日を送ってきたんで、濃さが違っていたからだと思います。

寝るのと食べるの以外は全部プロレスみたいな。

林下 女子だけでなく男子もいろんな動画サイトに加入して見ているんで、いくら時間があっても足りないです。新日本プロレスさん、DDTさんをよく見ていますね。DDTは昔、林下清志さん(父)が出たことがあって(2013年9月14日、青森・夏の魔物)、それから見るようになりました。

ヨシヒコ選手と対戦してみたいですか。

林下 えーっ、ヨシヒコさんは難しそうですよね…今の私じゃ務めきれない。アクロバティックで強いですから。そこまで自分を高めないといけないです。

プロレスに関しては吸収力が高かったんですかね。

林下 いえ、私は人から教えてもらうことに対し理解が遅いんです。

理解が遅い?

林下 言葉で言われたことを理解するのに時間がかかるんです。なので、とにかく練習して身につけるタイプ。柔道をやっている頃からそうだったんですけど、理屈で教わるよりも体で覚える分、人より時間がかかると思います。

でも、体で覚える方が根性を要しますよね。

林下 うーん、頭脳がないんで体で覚えるしかない。それでもプロレスは頭を使っている方で、それ以外は全然ダメです。

それ以外の職業は何か考えたことがあったんですか。

林下 高校で家政科の調理コースを選んで、卒業してから調理系の仕事に就きました。料理はお父さんがやっている隣でずっとやっていたので、材料を正確に量ったりとかはできないけど感覚でやっていました。

感覚の料理!

林下 でも、どうしてもプロレスをやりたいという思いの方が勝っちゃったので、それも辞めてこの道を選んだんです。性格的にほかの職業に就くのも難しいと自分でも思うし、プロレスがあってよかったと思います。

もともとプロレスはよく見ていたそうですが、入り口はどんな形だったんですか。

林下 ウチではお父さんと1個下の妹、1個上のお兄ちゃんがプロレス好きで、よく見ていたんです。でも私は「おじさんが殴り合っているな」ぐらいにしか思わなくて、プロレスに興味が湧かなかったんです。それが中学2年の時に動画でTAJIRIさんの試合を見せてもらって、コーナーから飛んだり毒霧を吐いたりして、プロレスってただ殴り合うだけじゃないんだなと。

毒霧が引っかかったんですね。

林下 まさかプロレスにそういうものがあるなんて思っていなかったので、すごく衝撃的で。TAJIRIさんは動きも独特ですし、こういう人もいるんだと思ったら一気に好きになりました。スタートがTAJIRIさんだったからか、その後も好きになる選手は個性的な方が多かったです。矢野通さん、鈴木軍の皆さん…団体のエースではない方の選手に惹かれました。1つ下の妹もTAJIRIさんのファンで、見る時は一緒にいこうねと言っていて、去年ようやく見ることができました。地方に住んでいたこともあって、生では見られなかったんで。私にとってプロレスは動画の世界のことだったんです。

それが自分でもやってみたいと思うようになったのは?

林下 好きになった直後から思ったんで、中学の頃ですね。でも、周りから高校はいった方がいいと言われて。卒業する時もちょっと思ったんですけど、三つ子の妹が高校入学の時期で自分が働かなければと思って、それで調理の仕事をやったんです。

中学、高校と周りはプロレスの話をしても通じないですよね。

林下 高校は寮だったんですけど、みんな部屋をかわいらしくしているのに自分だけオカダ・カズチカさんのポスターが貼ってあったり、プロレスグッズが並んでいたりで「詩美の部屋はヤバい」と言われていました。クラスも女子だけなので見ているクラスメイトはいなかったですし、一緒に通っていた姉もプロレスは見ていなかったんで一人で楽しんでいました。

それでもなりたいと思ったのはなぜなんでしょう。

林下 もともと人と喋るのが苦手で、高校の頃も間にお姉ちゃんをはさまないと先生と喋れないぐらいだったんです。でもプロレスラーはリング上で輝いて、言いたいこともちゃんと言える自分とはまったく次元の違う人たちなんだと思って、自分もそういう人になりたいというあこがれが大きかったです。

自分にないものを求めたと。人と喋るのが苦手である自分が人前に出る職業を選ぶわけですよね。

林下 はい。そこは父も一番驚いて「おまえが人前に出る仕事をやれるのか?」って心配されました。でも、自分にはできないという思いよりもなりたい気持ちの方が勝っていたんで、そこは葛藤もなかったですね。

人前に出るのが苦手というのは、小さい頃から世間に露出する環境にあったことが関係しているんでしょうか。

林下 いえ、むしろ小さい頃の方が元気な子でした。それが中学の頃から家族の中には頭のいい子や友達が多い子もいて、それを間近から見ているうちに自分は何もないなと思うようになって、それから人と喋るのが苦手になっていったんです。何か言葉をかけられても、この人が思っている答えを返せなかったらどうしようと思って、会話を避けるようになっていきました。まともに喋れたのは家族だけでした。自分が人前で失敗したら自分だけじゃなく家族にも流れていっちゃうんで、そういうのを気にしたら喋れなくなっちゃいましたね。

……。

林下 私が何かをしたら、林下詩美である前に「林下清志の娘」ってなるんで、家族のためにヘタはできないって、中学ぐらいから思うようになっていきました。

そういう境遇から逃げ出したいと思ったことはなかったですか。

林下 通りすがりに指を差されたり笑われたりする時は、動物園の中の動物みたいで嫌でしたね。いい人ばかりじゃないんで、そういう人もけっこういたんで。

プロレスによって家族以外との絆が
深まっていく経験ができている

お兄さん(四男)がみちのくプロレスの練習生になって、デビューできぬままに終わってしまったのを間近で見ているので、この世界の厳しさはわかっていたんですよね。

林下 聞いていました。でも、何があってもやっていける自信はありました。家族の次に好きなのがプロレスでしたから迷うことなんてなかったです。お兄ちゃんも喜んでくれて「俺の分も」みたいな託された感はありますね、フフフ。

目指す上で、いくつかの団体の中でスターダムを選んだのは?

林下 それは(紫雷)イオさんの存在です。見ていた頃から女子プロ団体の中では一番と思っていたんですけど、イオさんが一番輝いていて、同性から見てもカッコいいと思えたんです。それでイオさんのようになりたい、いつかイオさんと試合がしたいと思っていたので同じ団体に入ろうと…でも、入ったら入れ替わりになっちゃいました。練習生の頃に数ヵ月一緒だったんですけど、イオさんがWWEへいく前の最後に会った時に「私はイオさんにあこがれてスターダムに入ったんです」と告げたら「なんとなくそんな気がしていました」と言われました。

ダダ漏れだったんでしょうね。

林下 プロレスラーになれた時点で一つの夢を達成している自分にとって、いつかイオさんと…というのがその次に持てた夢なんです。

あこがれていたプロレスの世界にじっさい入ってみてのギャップのようなものはありましたか。

林下 入る前はずっと動いていたり、自分よりも大きい人を持ち上げたりするのが当たり前のように思って見ていたのが、いざやってみるとそれが特別なことなんだなとわかりました。思い描いていた理想のプロレスラーに全然近づけなかったのがけっこうショックで。

理想というのはどういう形を描いていたんですか。

林下 イオさんのようにリングの中で堂々としていて輝けるようなプロレスラーを描いていたのが、デビュー戦でも全然そんなふうにはいけなくて。試合で精一杯で周りも見えていなくて、改めてプロレスラーってすごいんだなと思わされました。

それを思うと、短期間で次々と実績をあげられたことがより快挙なんだなとなります。

林下 そこは自分だけの力ではないと思います。同じユニットの方々とか周りの皆さんのおかげです。デビューしてすぐに渡辺桃さんと組ませていただいてタッグリーグに優勝できたんですけど、桃さんじゃなかったらタッグは苦手になっていたと思います。あまり周りが見えないタイプなんで、桃さんのように周りが見えてサポートしてくださる方だったらできるかもしれないと思えて、それでやれたんです。今は、それぞれの力でやれるとは思いますけど、柔道は個人競技であるのに対し、プロレスのタッグマッチで自分一人の力ではなく力を合わせて形にしていくというのを経験できた。それまでは、ほとんどが家族だけだったのが社会に出た中で家族以外のいろんなタイプの人と協力し合ってやっていく。それによって家族以外との絆が深まっていくのを経験できているんです。

他人と喋れなかった自分が、他者との関係性を築けている。

林下 プロレスのおかげで社交的になれていると思います。私はプロレスによって変えられたんです。プロレスが人生を大きく変えてくれた。

話を聞いていると自分自身の願望ももちろんありましたが、家族の存在が大きいことがわかります。

林下 私、デビューしてから試合前に緊張することがなかったんですけど、初めてタイトルに挑戦した時にベルトという大きな存在を懸けて闘うことで何日も前から緊張したんです。そこからは毎試合緊張するようになって、ベルトを4本持っていた時はプレッシャーに負けそうになったこともあったんですけど、そういう時は家族に連絡して癒してもらいました。それで気持ちを落ち着かせて。それでも入場する前はソワソワしてしまうんですけど、曲がかかってバッと出ていったらスイッチが入るようにはなりました。

キャリア1年であれほど堂々としているのは、よほど肝が据わっているのだとばかり思っていました。

林下 いやー、私はメンタル面弱いです。家族に支えてもらわないとダメです。それまでプロレスを見ていなかった兄妹も私がなったことで見にきてくれるようになったし、お婆ちゃんも最初は「プロレスは危ないから」って反対していたのが、今は応援してくれていますし。

盆と正月以外に家族ぐるみのイベントが増えたのはいいことですよ。早い段階で実績をあげたことで、ここからの自分の持っていき方がテーマになってきますよね。

林下 そうですね。ここからさらに勢いを上げることで、スターダムの中心にいくという明確な目標があるので、早く達成したから下がるというのは自分の中ではないんです。ベルトを獲ったといっても、スターダムの最高峰(ワールド・オブ・スターダム王座)に1度挑戦して獲れなくて、改めてこのベルトの重みを味わいましたし。

今の時点で団体最高峰のベルトに照準を合わせて、それをモチベーションにやっていると。

林下 はい。そしていつかはイオさんが「女子プロレス=紫雷イオ」だったように、私も女子プロといったら真っ先に「林下詩美」と出てくるようになりたいです。スターダムは若い選手が多いので、今も面白いですけどこれから安心して未来を託せる団体。2年後、3年後は確実にもっとすごい団体になっているんで、その中でトップになれたら女子プロレスとイコールで結ばれるんじゃないかなと思います。あとは、もっと大きな会場でやることでより多くの皆さんにスターダムを見ていただきたいというのはありますね。自分が見ていた後楽園ホールで初めてできた時は本当に嬉しくて、プロレスをしているって実感を味わえましたけど、大きいところでは…大田区。

大田区総合体育館! 両国国技館や日本武道館ではなくシブいところから来ましたね。

林下 大きい会場でやるのも夢ですけど、その大会の何試合目に自分が出るかというのが大事なんだと思います。

TAJIRIさんとは絡んでみたいと思いますか。

林下 いや、TAJIRIさんは絡まずに客席で見ているようにします。

TAJIRIさんの方から指名される日が来るかもしれないですよね。

林下 そうなったらぜひやりたいです。ずっと見ていた人なんで、遠いところから見ていたいとは思いますけど…うーん、その日は来るかなあ。