スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ株式会社発行)では、毎月旬なゲスト選手が語る「鈴木健.txtの場外乱闘」が連載されています。現在発売中の2024年9月号では、第122回ゲストとして全日本プロレス・綾部蓮選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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“明るく楽しく激しい”を
見せる上でユニットという
見せ方が合っていると思う
綾部 蓮(全日本プロレス)
自分に合ったスタイルの
ベースが作られたカーニバル
「王道トーナメント」は今回が3度目、全日本プロレス所属になってからは初のエントリーとなります。2022年はジェイク・リーに、2023年は石川修司に1回戦で敗れていますが、その時と比べて今回の手応えはどうでしょうか(取材はトーナメント1回戦組み合わせ決定前)。
綾部 リーグ戦の「チャンピオン・カーニバル」と違って、トーナメントは当たり前ですけど負けたら終わりの形式において、その時点で一番強くて勢いのある人間を決めるものだと思っています。1回戦から決勝戦まで短い期間でおこなわれ、最後は準決勝と決勝戦を一日で闘う。それには勢いが絶対に必要なんだと。過去2回は、客観的に見ても僕自身に勢いが足りなかったと今になって思います。
1回戦の時点では横一列ですから、トーナメント以前から勢いをつけていなければ優勝は難しいと。
綾部 そうですね。去年までは自分が優勝している姿を想像できなかったですから。それほど、優勝に必要な勢いが自分でも感じられていなかったんだと思うんです。実際、何を考えていたか思い返すと、トーナメントに爪痕を残してやろうぐらいのモチベーションでした。それに対し今回は、客観的に見ても優勝しているシーンが鮮明に浮かんできますし、なんなら優勝してトロフィーを掲げている姿の先に三冠ヘビー級に挑戦している姿も想像できているんで、自分にそれほどの勢いがあると思える。そこが去年と違うところですね。
その勢いの根拠は何になりますか。
綾部 今年の4月1日にフリーから全日本所属となってすぐチャンピオン・カーニバルがあった中で、見た目だけでなくファイトスタイルも若干変えてみたんですけど、今の形がフィットしてきた感覚があって、そうなると闘いのリズムも自分に合ったものがつかめてきた手応えがあったんです。カーニバル自体は開幕戦の宮原健斗と最終公式戦(黒潮TOKYOジャパン)に勝っただけだったけど、勝敗以上に一試合ごといい感触が得られた。あの1シリーズを通じて、自分に合ったスタイルのベースの部分が作られました。この前の(7・20)後楽園で三冠ヘビー級次期挑戦権を懸けた青柳優馬との試合も、負けはしましたが客観的に見て押していたのは自分だった。三冠王座が関わる試合を争うまでに自分が来ているという事実の方が、トーナメントに臨む上では大きいんです。
宮原選手に勝ったのが大きかった分、そのあと白星をあげられなかったのは勢いが落ちたように映ったかもしれませんが、ご自身的にはむしろ勢いをあげられているという感触なんですね。
綾部 はい。それが次期挑戦権を獲れなくてもまったく下がっていないです。
自分のリズムと言われましたが、それを構築する上できっかけになったことはあったんですか。
綾部 それまではいかにも若手というか、とりあえず全力でガムシャラにいくということしか考えていなかった。それは実力的にもそうするしかなかったというのもあったんですけど、カーニバル開幕戦で1勝をあげたことで得られた自信によって、それ以後は自分の思い描いたように動けるだけの余裕を持てるようになったんでしょうね。思い切りいくのは変わらないですけど、そこに自分のやりたいようにやる部分を入れられるようになった。公式戦2戦目以後の中で、やろうと思ったことをいろいろ試しながらやるようになって、それらがけっこう自分の中でしっくり来たんです。たとえば、会場の雰囲気を自分が思うようにコントロールできる場面が少しずつ増えていった。そういうものや間合いも含めて、自然と自分がやりやすいリズムができてきました。
デビューして3年やって得られなかったものを、チャンピオン・カーニバルの期間中に体得してしまったと。物事が変わるのは一瞬ですね。
綾部 そこは全日本の主力勢と連日シングルでやれたっていうのも大きかったんだと思います。体のサイズが大きく、かつタイプは違う相手と自分で考えた上でぶつかることによって自分のペース、リズムをしっかり得られた。それ以前から、石川さんにはデカい人間の試合の仕方…動きだったり体の使い方だったりアドバイスはいただいていましたし、タッグを組む中でもコーナーに控えていて目の前で見て学ばせていただいたのが、それを形にする場としてシングルマッチの連戦であるチャンピオン・カーニバルが合っていたのかもしれません。
石川選手に教わったことを生かす場でもあったのが、カーニバルだったと。
綾部 個人の嗜好として、シングルマッチが一番楽しいっていうのもそういう場になった理由の一つでしょうね。今、ELPIDA(エルピーダ=ギリシャ語で「希望」の意)というユニットを始めたばかりですけど、そこで一緒に闘う楽しさも感じています。でも、最終的にはプロレスって個人じゃないですか。1対1の闘いをどんどんやっていきたいっていう思いが強いんで、その意味でも王道トーナメントが早く始まってほしいです。ずっとチャンピオン・カーニバル・ロスを引きずってきていたんで、それもようやく解消されますね。
ELPIDAはまったく違ったプロレスキャリアを歩んできた4人によるユニットじゃないですか。行動をともにすることで見えてきたものはありますか。
綾部 言われてみれば対戦することはあっても同じコーナーに立つことはほとんどなかったですよね。それが先ほど言った一緒にやることによる楽しさになっているんだと思います。闘いを重ねるごとに見えるもの見えるものが新鮮ですから。
安齊勇馬、本田竜輝のNew PeriodにライジングHAYATOが共闘を申し入れたあと、自分も出ていった決め手はなんだったんですか。
綾部 安齊勇馬vs宮原健斗の三冠戦をすごい試合だなと思いながらモニターで見ていたんですけど、試合後に本田竜輝とライジングHAYATOが入ってきて、それを見たらなんか面白そうだなってその場の思いつきで動いていました。
直感ですか。
綾部 あそこで理屈的に考えはしなかったです。あれほどの試合のあとということで自分自身のテンションが上がっていたのもあったんだと思います。
同世代の安齊選手が三冠ヘビー級王者として脚光を浴びる中、反対側に回るという選択肢もあったと思われます。
綾部 本当にそれはおっしゃる通りで、別のユニットとして対角線上に立つというのは今考えてもアリだなって思うぐらいです。ただ、あの時は一緒にやってみるのも面白いよなっていう衝動が勝っちゃったんですよね。でもこの前、本田竜輝が挑戦したように同じユニットでも競い合うライバルだと思っていますから、闘う時はバチバチにやり合いたいですし、ユニットを始めてからは実際に面白さを味わえていますけど仲よしこよしでやるつもりはないんで。そんなつもりでやったら、あの3人の中に埋もれてしまいますから。気を抜いたら存在感がなくなるという緊張感が刺激につながっている。敵対することでは得られないものですよね。
4人の中で綾部選手はどういうポジションを担っているんですか。
綾部 全員まったくカラーが違う中で、僕はそんなに喋るタイプじゃないので、普段からそんなにワイワイすることもないんです。僕が2つほど年上ということもあって、3人を後ろから見ているような立ち位置ですかね。
全体を見ているような。
綾部 ああ、そうですね。あえてそうしているとかじゃないですけど、自然とそういう感じになっていると思います。だから、いい感じにキャラクターが分かれていますね。ELPIDAは誰がリーダーとかはないんで。三冠のベルトを持っているから(取材の時点)実績では安齊が一番ですけど、だからといって“安齊のユニット”という認識はみんな持っていない。
石川選手とのハイツハイツはチームとすると、JUST TAP OUT(現JTO)時代も含めてユニットとして活動するのはこれが初めてです。
綾部 僕は全日本プロレスの“明るく楽しく激しい”を見せる上でユニットという見せ方が合っていると思っています。今は北斗軍に斉藤ブラザーズがありますけど、ユニットごとの色の違いが顕著に出るほど明るさ、楽しさ、激しさを描ける。ELPIDAを始めて、現に僕自身がその中の一つである楽しさを感じられています。
斉藤ブラザーズのメンバーが増えるというのは意表を突かれました。4年前はJUST TAP OUTでデビューした自分自身が、全日本プロレスという老舗団体で主力の一人となってやっていることを客観的にどう受け取っていますか。
綾部 全日本プロレスに参戦し始めた時は、所属になってやるのは想像していなかったです。最近はいい感じになってきている部分もあると思いますけど、自分はまだベルトも獲っていなければリーグ戦もトーナメントも優勝という結果を出せていないので、主力に近づいてきてはいるけれど今の位置は納得できるものにほど遠いです。それに実績プラス、世間的に届く存在になっていきたいという気持ちがあるので、理想は遥か遠いところにあるという認識です。
プロレスに触れていなかった中、
レインメーカーに衝撃を受ける
2022年1月より全日本へ上がるようになった中、いつかは所属としてということは考えなかったんですか。
綾部 あの時点ではまったくなかったですね。名前と歴史のある老舗の団体に定期参戦させていただいているという感覚でした。上がり始めて1年ぐらいは入団という考えはなくて、意識したのは後半になってからですね。
昨年末のJTO退団は、ゆくゆくは…という考えがあった上での選択ではなかったんですか。
綾部 なくはなかったですけど、全日本入団とJTO退団は直結したものではなくて、退団に関してはここでやり続けて、これ以上大きくステップアップできるかどうかを考えた上での選択でした。どこかにあてがあったわけではないですけど、とにかく区切りを一つつけて環境を変えようというのが目的で。でも、いざフリーになってみたら自分でも精彩を欠いているのがわかったし、あの3、4ヵ月は自問自答する日々でした。その結果、3・30大田区で入団を直訴したわけですけど。
JTO退団と前後して石川選手が全日本を退団しました。石川選手を頼ってフリーになった面もあったと思われます。
綾部 いや、あれは本当に「マジか!?」って思いましたよね。「世界最強タッグ決定リーグ戦」に石川さんとのコンビで出させていただいて、結果は残せなかったですけどいい感じにできたと思って、2024年はこのタッグでどんどん実績をあげていこうと思った矢先でしたから。
石川選手からは事前にやめるという話はあったんですか。
綾部 大晦日の代々木第二大会が終わって家に着いたぐらいに連絡が来て言われました。それこそ自分自身がJTOを退団するリリースが出されるタイミングという。
石川選手の退団で定めていた方向を失ってしまいながら、シングルプレイヤーとして立て直したのですから、すごいと思います。プロレスラーになる前、全日本プロレスは見ていたんですか。
綾部 流れてきたらつまむ程度でした。僕がプロレスを見始めたのが2012年ですから、見たといってもそれ以後です。なので、ジャイアント馬場さんが設立された団体というのは知っていても正直、歴史とかその重みというのは当時、実感できなかったですね。今、道場に住んでいるんですけど、練習内容はもちろんとして練習生の後輩が率先して雑用をやるシステムを見ると、老舗団体だからこそ代々受け継がれてきているんだなって、そういう形で実感します。そうしたシステムが今もしっかり受け継がれている団体って限られますよね。
昔ながらの文化が継承されているとなると、そうですね。
綾部 前の団体の場合は、道場はあってもそこに住んでいたわけではないので練習場所という感覚だったんです。もともとそういう距離感だったので、自分が全日本のプロレスラーになるというのは本当に想定外のことでした。
自分の想像さえも上回ったと。
綾部 プロレスラーを目指した時に、いつか全日本へ上がるんだと思っていたわけじゃないですし…何が起こるかわからないですよね。
2012年というと15歳の頃になります。それまでプロレスという文化には触れずに来たんですか。
綾部 はい。ボクシングとの違いもわからないぐらいでした。中学と高校がバスケットボール部だったんですけど、2012年ってオカダ・カズチカさんがレインメーカーとして凱旋した年で僕は最初、棚橋弘至さんから入ったんですけど何かのインタビューでオカダ・カズチカという人にベルトを獲られたと話しているのを読んだんです。「棚橋に勝ったなんて、どんなプロレスラーなんだ!?」と思って、そこからいろいろ調べるうちにあのレインメーカーショックの試合(2012年2月12日、大阪府立体育会館でオカダが棚橋からIWGPヘビー級王座を初戴冠)にいきついて衝撃を受けたんです。
まったくプロレスに触れていなかったのが、棚橋選手から入っていったのは何がきっかけだったんでしょう。
綾部 高校に入る前の春休みだったと思うんですけど、たまたま家で親がBSをつけていて『ワールドプロレスリングリターンズ』を見ていたんです。それが2011年1・4の小島聡さんと棚橋さんの試合で、最初は何かやっているなーぐらいの感じだったのが、だんだん見入ってしまって。それで興味を持ち始めていろいろ調べるようになっていくうちに…という感じでした。
プロレスの何が引っかかったんでしょうね。
綾部 なんでしょう…闘いというもの自体が普段目にするものではなかったということと、チョップ合戦でやり合うところから大技が出て、それをワン、ツーで返すのが繰り返された揚げ句、最後に3カウント入る時にお客さんが一緒に大合唱で数えて決まる瞬間の感覚がけっこう忘れられないものだったんです。
プロレスを知らないのに、それでも心が揺さぶられた。
綾部 そうですね。それで高校を卒業する頃にはプロレスラーになりたいと思ったんですけど、バスケをやっていたとはいえこれといった実績はあげられていないし、今よりずっと細かった。確かに身長はあったから書類審査は通るだろうけど体力テストは無理だろうなと思って、大学にいってレスリングか柔道をやって体力をつけようと思ったんです。たまたま大学には柔道部しかなかったので、入部して4年間やりました。普通は大学の柔道部って経験者の中でもすごい人たちが集まって、そのレベルでやるじゃないですか。でも、うちは一応部活ではあったけどそれほどガチガチの強豪校ではなかったので、初心者でも教えてもらえたんです。僕以外にも部員にプロレス好きなやつがいて、一緒に見にいっていたんですけど、その時も全日本にはいかなくて。見始めた頃に諏訪魔さんとオカダさんがタッグマッチで絡んだ試合(2012年7月1日、新日本・全日本創立40周年記念大会)を映像で見たぐらいでした。
みんなが使う技を必殺技級に
見せられるようなプロレス
ということは、大学を卒業したらプロレスラーになるつもりでいたんですね。
綾部 はい。それで知人からTAKAみちのくさんを紹介されたんです。JUST TAP OUTの存在は知っていました。大学卒業後、SNSを見ていたらTAKAさんが新団体を始めたってツイートされていて。
新日本のリングでTAKA選手を見ていたんですよね。
綾部 実際にお会いした時は、イメージよりもやさしいという感覚でした。あの頃、TAKAさんは鈴木軍でしたからプロレスを教えているイメージもなかったのが、実際はていねいに教えてくださったので、いい意味でギャップがありました。
入門した頃は錦糸町でした?(設立当初、JTOはスターダムの道場を借りていた)
綾部 僕はそうでしたね。(田村)ハヤトさんも、今DDTに上がっているKANONさんもいらっしゃった頃です。お二人には、練習が終わったあとのジムにも誘っていただいてトレーニングの仕方を教えてもらいました。ハヤトさんもKANONさんも今、すごい体をしているじゃないですか。僕もあの頃は細かったのが、ここまで大きくすることができたのは、お二人に教わったトレーニングの仕方を今でもやっているからで、あそこで体作りのベースを教われたんだと思います。
JTO時代の忘れられないエピソードは何かありますか。
綾部 これ、ホントしょうもない話なんですけど…その日も3人でトレーニングにいって、KANONさんは取材があるからお先にってなって、ハヤトさんが飯食いにいくかって言い出して秋葉原に出たんです。それで「何がいい?」って聞かれたので「自分はなんでもいいです」って答えたんですけど、ハヤトさんに「じゃあ、ここのカレーはどう?」と言われた時、本当に無意識だったんですけどカレーはなんか違うなと思って「いや、カレーはちょっと…」と答えちゃったんです。
なんでもいいって言ったのに。
綾部 ハヤトさんも「マジか?」っていう感じにはなったんですけど、それでもじゃあもう一軒探すかとなって、最終的に油そば屋に入ったんです。ああいうお店って、特製タレみたいなのがテーブルに置いてあるじゃないですか。それをハヤトさんが「レン、これ旨いからかけてみ」って勧めてくれたんですけど「自分、そういうのかけないんですよね」って。それも意識しないで言っちゃって。でも、これもまた無意識だったんですけど後半、それじゃないタレを僕がかけていたっていう話を後日、ハヤトさんがKANONさんに話したんです。大変失礼な後輩だという、しょうもない話しかJTO時代は残っていないです。
夏の甲子園で全国制覇した人間にそんなことを言える後輩は綾部選手だけですよ。ハヤト選手、やさしいなあ。
綾部 本当に今考えたら、前橋育英高校野球部っていったら絶対にガッチガチ(な上下関係)ですよね。
コロナ明けの有観客試合再開一発目(2020年7月20日、新木場1stRING)で「練習生A」としてリング上から紹介されたのが、初めて人前に出た時と記憶しています。当時、2mの身長に恵まれた練習生をどこから引っ張ってきたのかTAKA代表に聞いたら「長身の人材を発掘する極秘ルートがあるんですよ、グフフフフ」と言っていました。
綾部 ああ、憶えています。学生時代、部活をやりながらアルバイトもしていたんですけど、レジ打ちしながら「絶対にこれは違うよな…」と思っていました。だから普通にスーツを着たサラリーマンだったり、何か店舗のスタッフだったりではないだろうというのが常にどこかあった。これが普通の身長だったら、プロレスラーを目指していなかった気がします。
いつぐらいから伸び始めたんですか。
綾部 中学2年の最初は背の順でいうと後ろから2、3番目ぐらいが定位置で、一番ではなかったんです。それが中2の後半から爆発的に伸びて、卒業する時点で190ジャスト。そこから高校3年間でヤバいと思うほど急激に伸びて、今ぐらいになりました。
なりたいと思っていたプロレスラーになれた時は、どんな気持ちでしたか。
綾部 いやー、なりたくてなったものであっても最初の1年間は毎試合「早く終わってくれないか」ぐらいのマインドでした。無事に終わってくれればいいというレベルで、楽しむ余裕などあるはずもなく、ただただ必死でした。もちろん試合をやる上で楽しいと思えることもありましたけど、ネガティブな感情の方が大きくて。試合を心の底から楽しめるようになったは、ここ最近です。
JTOで培ったもので、一番大きかったのは?
綾部 TAKAさんから常々言われていたことなんですけど、基本的な技、みんなが使うような技…ブレーンバスターだったりボディースラムだったり、そういう技を必殺技級に見せられるような試合をしなさいと。今はつなぎ技として見られているのも、デカいおまえがやれば3カウントを獲れると思われる使い方を意識しろとずっと言われていて、それは今も染みついています。ブレーンバスター一発をとっても、2mの高さから出せば3カウントには至らずとも一気に場面を変えられるぐらいの技にはできていると思うので、そういう技の使いどころですね。最初から全日本プロレスに入っていたらどうなっていたかはわからないですけど、JTOで学んだことが武器となっているので、あの団体に入ってよかったと思えます。
長身のプロレスラーとして、この業界で自分が担っていくべきものは定まっていますか。
綾部 他団体になりますけど、やっぱりオカダ・カズチカさんの影響を受けたのは間違いなくて、山のようなデカさじゃなくああいうタッパがある上でスピードもあって、打点の高いドロップキックがあったり、一つひとつの技の美しさがあったり、それでいて瞬発力もあったりというのが、自分の目指す最終的な形だと思っていて。それを突き詰めるとオカダさんになるんですけど、マネするだけじゃなく自分のオリジナルの色をつけ加えていかなければならない。それが綾部蓮のレスラー像として確立できたらと思っています。
プラスアルファという意味では石川選手を間近で見てきたのは大きかったですよね。
綾部 そうですね。あの体で動けて突進力もありますからね。本当にすごいなと思います。
日本の背が高いプロレスラー=綾部蓮と出てくるぐらいになっていただきたいと思います。
綾部 はい、ならなきゃいけないなと思います。