スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)コーナーでは、毎月旬なゲスト選手を招き、インタビューが掲載されています。現在発売中の2016年8月号には、DDTプロレスリングのKO-D無差別級王者・竹下幸之介選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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※鈴木健.txt氏 twitter:@yaroutxt facebook:facebook.com/Kensuzukitxt
21年の人生が描いてきた
プロレスの惹きつける力
竹下幸之介(DDTプロレスリング)
© カメラマン:中原義史
描いていたものとは
違う道を歩んできても
ゴールには辿りつける
―21歳という年齢で団体の最高峰であるKO-D無差別級王座を奪取したことについて、自身はどのように受け止めていますか。
竹下 僕はDDTという団体も、プロレスというジャンル自体もナメられたくないとずっと言い続けているんですけど、いろんなスポーツがある中で若い世代の選手が活躍している。僕と同じ1995年生まれの人たちがプロスポーツ界で名をあげているのを意識して、そういう人たちをライバルとして見ているんです。でも、まだ人気とか知名度では追いついてはいないと思うんで、ベルトを持つことで注目してもらえるのであれば…ほかのスポーツに負けないようプロレスを広めていきたい。それは、この若さがある時にしかできないことですから。
―竹下選手は高校時代、陸上競技をやっていただけに他のスポーツが身近にありますよね。
竹下 テレビのスポーツニュースをよく見るんですけど、そこではプロレスを扱わないじゃないですか。野球やサッカーと比べたらお客さんの絶対数も違うし…もちろん、ありがたいことにプロレスファンは増えていると思いますけど、地上波のゴールデンタイムで放送されているかといったらしていない。昭和の時代にはじっさいにおこなわれていたわけですから、あの頃はよかったとか時代が違うからとかで済ませるんじゃなく、そこを目指さなければいつまでもほかのスポーツより下に見られてしまう。僕はそれが嫌なんですね。スポーツニュースを見るぐらいだから、ほかのスポーツも好きですよ。好きですけど…やっぱり僕自身がプロレスをやっているわけですから、あらゆるスポーツの中で一番にしたい。
―他の競技のすごさや厳しさも知っている。
竹下 よく「プロレスラーの方ってすごいトレーニングをしますよね」って言われるんですけど、ほかのスポーツの選手は言われないけれどもちゃんとやっている。それは、プロレスがエンターテインメントでしかないと思われているからそこまでやっていることで驚くんでしょう。でも、練習なんてやって当たり前なんだから言われる方がおかしいんですよ。
―地上波のスポーツニュースでプロレスがとりあげられるのは…可能でしょうか。
竹下 絶対に可能です。それは、見ている人をどれだけ惹きつけるかなんで。
―見る人数が増えて、世間レベルのニーズになれば地上波はとりあげると。20代前半でそういうことを考えながらやっているわけですね。
竹下 僕は小さい頃からプロレスラーになりたくて、二十歳になって大人になったらこうしているとその頃から想像していたんです。小学校の卒業文集を読み返したら生意気なことを書いていますよ。小学生でメキシコに渡って、16歳でアメリカデビュー、十代でWWEに入ると。その頃、ランディ・オートンが史上最年少の24歳で世界ヘビー級王座を奪取したんですけど(2004年)、僕はその相手のクリス・ベノワが好きで、あの試合そのものに感化されたものだから「オートンの年齢を超えてWWEのチャンピオンになる」って書いているんです。もう、自分が二十代の頃はプロレスというジャンルを超えているぐらいになっているぞ!ぐらいの勢いでしたね、想像の中では。
―小学生でメキシコには渡れないでしょう。
竹下 いや、じっさいにいこうとは思ったんです。でも、親に止められました。十代でアメリカにいるはずが普通に中学校へ通って、今も大学生ですからね。だいぶ空想とは違ってしまいましたけど、プロレスは本当にやっている。だから、違う道を歩んできても描いていたゴールには辿りつける。その過程の中で理想と現実のギャップを感じることもありました。周りはデビュー4年、21歳で最高峰のベルトを獲れたことを速いねって言いますけど、自分の中ではけっこう試行錯誤を重ねた上での今回なんで、苦しい時もありました。
―ギャップというのはたとえば?
竹下 僕と同じ世代で今、プロレスをやっている人たちは飯伏(幸太)さんを見てなろうと思った年代なんです。でも僕は小学2年の時から見ているんで、バックボーンや発想にズレがある。僕は“ザ・フューチャー”というフレーズで呼んでもらっていますけど、過去のプロレスを体現し、保存していきたいという意識なんです。
―昔から現在まで脈々と受け継がれているトラディショナルなスタイルですね。
竹下 そういうものを大切にしつつも、新しいものを創っていかないと進化はしないですよね。
―若い時期は自分が体得した技やオリジナルに開発した技を出したいと思うものです。そこからキャリアを重ねて削ぎ落とされ、本当に必要なものだけが残るわけですが、竹下選手は二十代前半ですでにそういった意識があると。
竹下 でもそれは、若い頃の姿勢がダメで自分が正しいと言っているのではなく、見ているプロレスが違うからなんですよ。見ている年数や試合数って大きいと思うんですよね、やる上でも。2歳の時にレンタルビデオでプロレスを見始めて、あまりにその数が多くて置いてある本数も限られているから幼稚園の年長生になった時の誕生日プレゼントでサムライTVさんに加入してもらって。そこから24時間プロレスが見られる人生が始まったと。いや、本当に24時間見ているぐらいの子供で…レンタルビデオの時点で同じものを何回も借りて見ていたから、リピート放送も見るのが当たり前の感覚なんですよね。
―完全に“元”をとっていますよ。
竹下 それまでは専門誌で見て、写真で想像していたのが動画で見られるのは夢がありました。だから地上波のドラマやアニメはまったく見ていませんでした。
―クラスの友達と話が合わなかったのでは。
竹下 それで小学校高学年から映画を見始めるようになったんです。映画ぐらい見ておかないと、本当にまったく話が合わなくなる。今も映画はたくさん見ますけど、それもそれで古い作品の方に傾倒していって、結局は話が合わないというね。
―竹下選手はプロレスが好きで続けてきた一方、映画を見たり陸上競技をやったりとそれ以外の文化も採り入れ、経験もしてきたわけじゃないですか。好きなものややり甲斐が持てるものが増えていった中で、それでも最終的にプロレス一本となれたのはどこに決め手があったんでしょう。
竹下 それは、何をやるにしてもプロレスが在りきでやっていたことだったからです。プロレスのための陸上競技ですから、記録を伸ばすことでやり甲斐を感じたり喜びを得られたりしても、その道に進もうという選択肢にはならなかった。僕にとっての選択肢ははじめからプロレスだけだったんですよ。
―成長していく中で子供の頃の夢から離れるのは、そういった予期していなかったものとの出逢いもあると思うんです。
竹下 ああ…僕はそこで夢が変わってしまうのがわからないんですよね。なりたいと思って頑張って、どこかで挫折はするかもしれないけれども、それが本当に自分のやりたいこと、なりたいものであれば続けられると思うんですよ。
オリンピックに出る選手に
「プロレスラーはヤバい!」
と思わせたいんです
―さて、このまま防衛し続ければ、DDT年間最大の大会である8・28両国国技館のメインに王者として立てるかもしれません。
竹下 この若さでチャンピオンだとか、両国のメインだとかはプロレス界とその周辺でしか通用しないものだと思っているんです。話は戻りますけど、そこから一歩外へ出たらそれがどうすごいことなのかがわからない。だから、今までの常識を覆していかなければ世間には届かないんです。普通では考えられなかったことをやっていかないと僕自身もプロレスもステップアップしていかないんで、両国はそれを実践する場だと思っています。もちろんいい試合を見せるとか、チャンピオンとして防衛しなければならないというのもありますけど、それはやって当たり前。そこまでで収まっていたらプロレスは広がっていかない。
―個人の願望よりも、プロレスに対する思い入れが先に在りきなんですね。
竹下 一人の人間が物心ついた時からずっと見続けて、じっさいにやりたくてなってしまうわけですから、その惹きつける力ってとてつもないと思うんですよ。プロレスにはそういうパワーがあるのに、ほかのスポーツと比べて知られていない。それってすごくもったいないし、やっぱりいいモノは一人でも多くの人に知ってほしいじゃないですか。
―現在はDDTから独立した飯伏選手が、同じようにプロレスを世間に届かせるべく路上プロレスや地上波への露出といった独自のアプローチをしているのを間近から見ていましたよね。
竹下 僕はスポーツとしてプロレスを広めていきたいと思っているんです。ひとつの手段としては、他のスポーツ選手が見て「プロレスラーはヤバいぞ!」って思わせたいですよね。たとえばオリンピックを見ていて「やっぱりオリンピックに出る選手はすごいな。でも、プロレスラーが出たら…」と思わせるような。最終的にはオリンピックでプロレスという競技をやるのが、僕の一番の夢です。
―プロレスをオリンピック競技に!
竹下 そこで個人戦は自分が優勝して、団体戦ではDDTが優勝します。これ、夢物語としてしゃべっているんじゃないですよ。それを現実のものにしていかないと、プロレスはいつまでたっても世間における立ち位置が変わらない。もちろんプロレスならではの持ち味や表現できることは消さずに、ステータスをあげていく。
―壮大な目標です。
竹下 でも、やれます。僕は今までもやれると思って実現させてきました。そしてそれがやれるのは17歳という年齢でデビューできた特権、責任だと思っています。
―21歳で責任を負ってしまうのですか。
竹下 責任負いまくりです。自分が生まれてきた使命を全うします。ただ、そこはチャンピオンとしてやるべきことをやった上でのことですから。僕はまだDDT内に勝ったことのない先輩たちがたくさんいます。その人たちと防衛戦をおこなっていって、実力の差を見せつけた上で勝つ。そこには内容もともなっていて「竹下がチャンピオンになってから面白くなったわ」と言われるようにしたいですね。よく、どういうチャンピオンになりたいかって聞かれるんですけど、自分の中でチャンピオン像っていうのはなくて、それは見る側に抱いてもらえたらそれでいいんだと思っています。
―プロレスというジャンルの器で物事を考えている竹下選手だけに、いつかは業界最大手である新日本プロレスの選手と交わる必然性が出てくるかもしれません。
竹下 新日本さんには感謝の気持ちが大きいですね。毎年1月4日に東京ドームで大会をやって、それがその日の深夜に地上波のスポーツニュースで放送されることで、世間にプロレスを伝えているわけじゃないですか。あれこそ僕が求めている形ですよ。あれを毎日のサイクルにするという。プロレスを世に広めるためだったらなんでもやりますし、その中で新日本さんと絡む機会が訪れたら喜んで。どんなにハードなスケジュールになってもやれる若さがあるし、メンタルも強いんで。