スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txt/場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2016年12月号には、第38回ゲストとしてキックボクシング界で“神童”の異名をほしいままにする那須川天心選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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※鈴木健.txt氏 twitter:@yaroutxt facebook:facebook.com/Kensuzukitxt
己のすべてをキックに捧げる18歳
「個人の夢?
考えたことがなかったです」
那須川天心(TEAM TEPPEN/TARGET)
©KNOCK OUT/FIGHTING TV サムライ/カメラマン:中原義史
父に空手をやらされるのが嫌だった
小4でライバルに勝ちやり甲斐が
―キックボクシングイベント『KNOCK OUT』が新たに起ち上げられることを聞いた時は、どんなことを思いましたか。
那須川 まず、これは出たいなと思って僕の方からぜひ出してくださいと言いました。(起ち上げ発表の)会見も今までのキック界にはない大きなところで派手にやっていたんで、期待が大きいです。注目されているという実感があって緊張しましたね、あの時は。
―ずっと下を向いていましたね。
那須川 そうですよね。脚もガクガクしていたぐらいで、試合より緊張しました。闘っている時以外であんなに注目されるのは、経験したことがなかったので…もっといろいろ言おうと思っていたんですけど、なかなか言えなかったです。自分が何かを話すと(報道陣の)反応がすごかったんで、これはやってやらなきゃダメだなって燃えてきました。
―今回の参戦でもっともクローズアップされているのは、ヒジ打ちありのルールに那須川さんが臨むという点です。キックでデビューした直後に経験はしていて、会見でも「練習はしてきているので問題はない」と答えていました。やはり、いつかはというのを頭に置いて練習を積んできたんですか。
那須川 そうですね、これまでは日本人の強い選手を倒してきましたけど、それを続けるうちにヒジありルールでやる日が来るだろうなというのはあって、それを踏まえてトレーニングをしてきました。
―ちゃんと先のことを見据えていたんですね。練習で磨くと試合で出したくなるものじゃないですか。
那須川 そうなんです。だから、試合が近づいてきたらヒジの練習はやらないようにしています。試合の中で「ここはヒジ出せるな」っていう場面はあるんですけど…。
―そこで体が反射的に動かず、出さないようにできるものなんですね。
那須川 そこをパンチに変えたりとかしてルールに則ってやらないと。その抑えてきたものを今回は出せるわけですけど、いざやるとなると出せないんじゃないかという気がするんです。もちろん、ヒジばかりにこだわらず出せるタイミングが来たら出すというだけで、まずは自分の闘いをすること。ヒジが加わることで自分の新たな攻撃パターンも増えると思います。
―ヒジあり初戦で対戦相手が現役のムエタイ王者というのは異例です。
那須川 一発目にそれを持ってくるか!と。予想していなかったです。段階を追ってやっていくのかと思っていたらいきなり来て。その分、期待されているのかと思います。今は、相当ハードな練習をしています。内容的にはさほど変えてはいないんですけど、自分の中のモチベーションと集中力が違いますね。中学2年で初めてタイにいった時、タイ人との試合でこれでもかというぐらいボコボコにされたことがあったんですけど、そのレベルより全然上なんだろうなというイメージです、今回は。
―中学2年でタイ人とやるのは恐怖心も並大抵ではなかったでしょう。
那須川 怖かったです。環境からして僕らとまったく違う中でやっているじゃないですか。闘って勝つことでお金を稼いで、貧しい生活から抜け出すことを当たり前にやっている国ですから、勝利への執念がすごいんです。同じハングリー精神でも質が違いましたね。僕は「勝つ!」と思ってやりますけど、向こうは「生きる!」と直結している。試合もお客さんがお金をかけているから、雰囲気も日本では絶対ないものになるんです。僕はその雰囲気に飲まれてやられしまった部分もありました。
―技術的なムエタイの特長は?
那須川 日本の選手はけっこう雑というか、当てたもん勝ちみたいな感じなんです。レベルが上がっていくとそうではなくなるんですけど、タイ人の選手はポイント・ポイントを取ってどれだけきれいに闘うかで、技術は全然上です。それが全体的なレベルであって、チャンピオンになる人たちの技術は本当の一流。イメージ的には、今まで闘ってきた選手のいい部分を全部集めて一人にしたような感じですね。
―そうしたステージに足を踏み入れるわけです。
那須川 怖いなと思う自分はいるんです。だからこそ、それを乗り越えるために身につける練習をする。技術を磨くのはもちろんですけど、自分の中で「ここまでやれば怖くない」と恐怖心を取り除くのも、練習の意味ですから。
―2014年7月にRISEでプロデビューして以来、16戦無敗で来ています。一度も負けていない那須川さんであっても、怖いと思うものなんですね。
那須川 デビュー戦の時とかも恐怖はありましたけど、これまでも練習で克服してきました。今回はまだ、その自信を持つまでにはいたっていなくて。それが得られるまでどれぐらいかかるんだろうなと思います。
―無敗であることがプレッシャーになってはいませんか。
那須川 無敗を続けなければならないというプレッシャーは感じていないです。そこは期待に応えてやろう、期待以上のものを見せてやろうというようにしか受け取っていません。それが一試合ごとに続いている結果であって、全勝というものが最初にありそこへ縛られることは、僕はないですね。
―連勝も含めプロ入りする前から数々の実績を築いてきていますが、何もかもがうまくいくことによって自分を見失ってしまうケースも世の中にはあります。
那須川 たとえば、ベルトを獲っても僕は満足していないんです。なぜかというと、もっともっと自分よりも強い人がいるという現実が自分の中でわかっているから。世界で一番にならないと僕は満足できないんだと思います。
―自分が一番という認識ではないんですね。
那須川 はい、ないです。そういう存在がいるかぎりは過信も慢心もしないし、自分を見失うこともないと思います。
―一般的に十代は、まだ人間として確立されておらず、いくらでも脇目を振ってしまうものが溢れています。
那須川 僕は小学生の頃からこれをやっていたんで、友達に誘われても遊べなかったですからね。一緒に遊びにいきたかったなーとは思っていましたけど、今はこの道で生きると決めているので、高校に通っていてもそうは思わないです。
―特に中学や高校生の頃は強いからこそケンカに手を出してしまい、あらぬ方向へいってしまう人間もいます。
那須川 あのう、僕は人を殴ったりするのが好きじゃないんです。ヤンキーとかもいますけど、怖いんで目を合わせない。絡まれたらどうしようとか考えちゃうし。けっこう性格はビビり屋で、暗いところとかお化けが怖くて。
―お化けを見たことがあるんですか。
那須川 ないですけど、テレビでやっているのを見ると…だからケンカはやったことないし、できないです。
―そんな人を殴るのが好きじゃない自分が、この道で生きると決めたのはどの段階だったんですか。
那須川 プロでデビューしてからです。最初はプロになりたくて格闘技を始めたわけではなかったんですけど、高校生でプロデビューできるとなって2戦、3戦とやっていくうちにその思いが強くなっていって。
―十代で自分の人生の道が定まったと。
那須川 学校でもやりたいことが見つからなくて進路に悩んでいる方がたくさんいるんですけど、僕は昔からやりたいことがあった分、よかったですよね。やりたいことができているのが、一番しあわせなことなんだなと思います。
―小さい頃は、ほかになりたいものはあったんですか。
那須川 なかったッスねえ。テレビで格闘技をやっていて、それに出たいという夢は持っていましたけど、自分の生きる道というのとは違ったと思うし…確か小学校の文集に「格闘家になって世界一になります」って書いていた気がします。
―ほかに選択肢を持たないまま、ここまで来たんですね。5歳の時に極真空手を始めたところから現在までつながっているわけですが、これは自分からやりたいと思って始めたんですか。
那須川 いや、父親(弘幸さん)ですね。僕は入っても嫌で嫌で、どうやって道場を抜け出そうかしか考えていなくて、泣きながらやっていました。父が言うには、礼儀を学ばせるために通わせたと。それで、いきなり関東大会に出て1回戦でボコボコにされたんですけど、そこから父に火がついて鍛えなきゃダメだとなったみたいで。
―当初の目的と変わってしまったと。お父様は今も那須川さんのトレーナーを務めていますが、スポーツをやっていたんですか。
那須川 やっていないです。なのに、父の方が燃えてしまった。
―いつぐらいから嫌だと思っていたのが、やり甲斐を持てるようになったんですか。
那須川 小学4年で全日本大会に優勝したんですけど、それまでずっと勝てなかった相手(2015年第11回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に史上最年少の17歳で出場し、若獅子賞を受賞した南原健太)がいたんです。県大会ではずっと優勝していたのに、関東にいくとその子がいるから優勝できなかった。5年生からは同じ学年でも体重別に分かれてしまう。だから、2倍ぐらいある大きなライバル(当時、南原が身長151cm、体重53kgに対し134cm、30kgだった)と当たる最後のチャンスだったんです。その時ですね、自分の中で「ぜってーやってやる!」みたいに思えるようになったのは。練習も嫌だと思わなくなったし、何より勝つために必死になれた。打ち合うとパワーで押されてしまうんで、横に横に動いてというのも考えた上で練習を重ねたんで、実力も伸びますよね。それが今の闘い方につながってもいるし。結果、決勝で当たって(延長戦の末判定で)勝てた。そこで、本当の意味で勝つ喜びを知ったんだと思います。あの時は嬉しかったですねえ。
―小学生のうちに勝つための戦法であったり動きであったりを把握した上で、じっさいにその通り動いていたことになります。
那須川 その頃は頭で理解するというよりも、反復練習を重ねて体に染みつける感覚でした。
―小学5年で世界大会に優勝しその後、テレビでK-1を見てあこがれたんですよね。
那須川 単純に、すごく注目される華やかな大舞台じゃないですか。目立つのが好きなんで、カッコいいなと思いました。
僕に興味を持ってくれたら
ほかの選手も調べてほしい
―それを機にキックへ転身したわけですが、少年時代から現在までで一番大きな恐怖を感じたのはどんな時でしたか。
那須川 一番怖かったのは…父親です。練習で相当厳しくて、ここまでやるか!と。今になって、よくやれたなと思います。それよりも怖いと思うことは、なかなかないですね。
―そういう時、お母様はどういうスタンスなんですか。そこまでしなくてもとお父様に言ったりは…。
那須川 そういうことはしなかったです。終わったら大丈夫?って聞くことはありましたけど、父親に対し口を出すことはなかったです。
―それはそれでお母様も覚悟を決めていたことになりますね。どうしてここまで父はやるのかとは考えませんでした?
那須川 その時は理解できていなかったです。今はライバルに勝つためにやらせていたんだなというのはわかりますし、そのあともひとつずつ目標を達成するべく強くなるためのことをやっていたんだなと理解できます。今は話し合いながらこれをやろうってなれますけど、あの頃は100回やれと言われたらどうしてなのかもわからず言われたことをやるだけだったんでキツかったです。できないと庭にポーンと投げられたし。
―庭に投げられる…。
那須川 反抗したことないです。できないです。
―友達のやさしいお父さんが羨ましく映ったことはなかったですか。
那須川 いやー、今となってはないですね。逆にやさしくされた方が気持ち悪いというか。
―そんなお父様と将来はこうなるんだと夢を語り合ったりはしたんですか。
那須川 一つひとつの目標に関してはやり遂げようという話はしたと思います。ただ、僕が(プロへ)なれると思っていなかったんで。あこがれてはいましたけど、本当にあこがれの対象というだけでした。でも中学2年、3年と続けるうちに高校生になったらデビューするぞというようになっていって。最初は高校2年ぐらいでデビューする方向だったんです。まだ子どもの肉体だったんで、ちゃんと通用するようになってからデビューしようと言っていたんですけど、ちょうどRISEの100回目という大きな大会で、そこに出ないかと言われて、僕も勝つ自信があったのでそれがデビュー戦となりました。
―2014年7月12日、大田区総合体育館という大会場でした。それまでアマチュアの大会に出ていた自分がビッグアリーナに立ったわけですが。
那須川 あの試合は忘れられないです。試合前のアップでガッチガチに硬くなって、ミットに当たらないんです。ワン・ツーって構えられても合わない。それで僕が「合ってないですよね。大丈夫ですか?」って聞いたら、トレーナーが「大丈夫、大丈夫」と。
―大丈夫じゃないのに。
那須川 落ち着かせるために言ってくれたんですけど。そんな感じで入場してリングに上がったら、まったく緊張していない。あれはなぜなのかわからないんですけど、意識しないでそうなって。スムーズに動けました。
―1R58秒、KO勝ちという衝撃デビューの裏にはそんなことがあったんですね。我々一般の人間は、十代の時点で自分よりも年上の人間と向かい合うのはそれだけで精神的プレッシャーが大きいものです。小中学生の頃、年上の大人と闘う怖さはなかったんですか。
那須川 そこは気になったことはないです。体つきは確かに違いますけど、技術やスピードで負けないと思っていたし。アマチュアの最後の頃は一般の中に入っていって中3で二十代の相手とやっていました。
―十代で世に出ている一人として、他ジャンルの同世代で意識する人はいますか。
那須川 同じ年代はあまり耳に入ってこないですけど、甲子園で有名になった清宮(幸太郎=早稲田実業高校)選手がいるじゃないですか。僕のことを“キック界の清宮”って書かれていたんです。そこが認知度の違いですよね。野球はメジャースポーツですけど、キックはまだそこまでいっていない。
―清宮選手が“野球界の那須川”と言われるようにしましょうよ。
那須川 でも、キック界をそこまで持っていくぐらいに活躍しなきゃという思いは本当にあります。
―ブログの自己紹介でも「一つだけ願いが叶うとしたら?」の項を「キックボクシングをメジャーに」としていますよね。
那須川 今、盛り上がってきているとは思いますけど。僕が活躍すれば全体も上がると思っているんで、その意味でも自分は負けちゃダメだと思っています。
―どれぐらいまでいけばメジャーになったという実感が得られそうですか。
那須川 地上波で当たり前に放送されたり、毎週テレビでやっていたり…あとは格闘技をやりたいと思う人が増えたらですよね。見る方が増えることによって、どれほどのパフォーマンスを見せるかによって、テレビではなく会場で見たいと思う人も増えると思います。
―十代でこのジャンルを背負う覚悟を持っているんですね。
那須川 注目が高まっている今だからこそ、よけいにそういうことを考えますよね。その中で、こうしてメディアにとりあげていただくのは大切だと思うんで、僕だけじゃなくほかの選手も含めて全体がとりあげられたらいいなって思います。
―自分だけが露出すればいいとは思っていない?
那須川 いろんな選手に興味を持ってもらうことで広がるじゃないですか。たとえば僕をきっかけに見るようになったら、その相手についても知ってほしい。その選手に興味を持ってもらって、調べてもらって、次にその選手が試合をしたら今度はその相手について調べてもらう。その繰り返しでキックの認知度が広がっていけば…。
―わかりました。それでは個人としての将来的な夢を聞かせてください。
那須川 ……個人としてですか? なんだろうな…(長考)。
―考えたことがなかったですか。
那須川 うーん、自分がキックをメジャーにしたいということだけだったんで、それは個人のこととは違いますよね。
―いや、逆に素晴らしいです。そこまで自分の携わっているジャンルに自分を注いでいるわけですから。
那須川 自分をもっと知ってほしいと思うのも、もっとキックを!という思いからなんで。やっぱりそれが夢になっちゃいますね。