スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txt/場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2017年3月号には、第40回ゲストとしてDDTの大社長・高木三四郎選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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※鈴木健.txt氏 twitter:@yaroutxt facebook:facebook.com/Kensuzukitxt
今の時点で5年先まで見据えています。
世界的にもオンリーワンなのかを確認したい
高木三四郎(DDTプロレスリング)
©DDTプロレスリング/FIGHTING TV サムライ/カメラマン:中原義史
アスリート色が強まる中で
文化系の人間も出てくる
ー10周年記念大会、どこでやったか憶えていますか。
高木 ええっと…どこでしたっけ? 15周年は日本武道館でしたけど。
ー北沢タウンホールですよ。
高木 あれーっ、そうでしたっけ!? そっかー…。
ー2007年の時点で10年後のDDTというのはどう思い描いていたんでしょう。
高木 2007年というと両国一発目の2年前だから…正直、ここまで来るとはまったく思ってなかったですね。リーマンショックがあった2008年に初めて大きなマイナスが出たんですよ。それで、これはまずいとなって起死回生の何かをやらなければということで両国を考えたんです。
ー2008年のキャンプ場プロレスへ向かう車の中で、マッスル坂井さんと両国やりましょうよという話になったんでしたよね。
高木 2004年に僕が経営をやり始めてからは細々とながらも黒字だったのが、初めて赤字になったというのが自分の中では大きくて。だから10年前の時点では緩やかながらもこの調子でいけば維持できるなぐらいの感じだったと思います。
ーもともと経営する側には回りたくなくて社長はほかの方に任せていただけあって、就任後は堅実にやってきました。でも、2008年にそうも言っていられなくなったことが逆にいい方向へ向けての転機となった形です。
高木 そこからはあっという間で、気がついたら選手が増えていました。
ーDDTブランドのすべてで数えると、業界最大手の新日本プロレスよりも多い所属選手になります。
高木 全部足すと65人ぐらい。DDTだけでも20人以上で、10年前は14人ぐらいだったと思います。人が増えていくことで月日が経ったことをリアルに感じていますね。
ーなんでこんなに集まるんですかね。
高木 なんか梁山泊みたいに思われているようなんですよ。好きなことをやりたいから集まってくる。昨日も練習生志望の人間が2人来たんですけど、この3ヵ月で6人も来ているんです。DNAの2月23日に、一気に7人ぐらいの入団を発表するんですけど、一人は国士舘大学のラグビー部で180cm、140kg。もう一人はアマチュアプロレスをやっていたのがいて、アニマル浜口ジムに通っていたのが180cmぐらいあって、23歳の若いのもいれば40歳の元総合格闘家もいて、30歳のボディビルダーの中国人もいて…そういうのがドサッと来ちゃうんです。
ー昔ならば老舗系の団体に入ろうとしていたほどの人たちですよね。
高木 敷居が低いと見られているんですかねえ。
ーいまだにそう見られているものなんですか。
高木 いやー、全然低くないんですけど。これだけの人数がいる中でやっていくのに低いわけがないじゃないですか。
ーイメージの問題なんでしょうか。
高木 確かに、入門に関しては身長体重の制限を設けなかったり、一芸で持っているものがあれば一発逆転で合格できる時もあったりと間口は広いんでしょうけど、デビューするまではけっこう時間がかかる人間もいます。普通で8ヵ月ぐらいかかるんですけど、中には練習生になって2年目のやつもいる。
ープロの練習生ですね。
高木 そうそう。でもやめないでいるんですよ。一回「おまえ、おかしいだろ。何やってんだよ?」って言ったことがあるんですけど「すいません。でもデビューしたいんです」って言うんで「いやいや、無理だと思うよ」って。
ーそういう時はちゃんと無理って伝えるんですね。
高木 選手にはなれなくてもリングアナウンサーとかもあるよって勧めるんですけど「いや、どうしても夢を追いかけたいんです!」って言われちゃったら、そっかあとしか言えないじゃないですか。だから、敷居が低いように見えても入ってきた連中は生存競争の中でそれなりの意識を持ってやっているんですよ。今のDNAでも全員が本体のDDTに出ているわけじゃない。その中に7人も加わったら、ますます厳しくなりますよね。
ーなんか日本相撲協会みたいになってきましたよね、層の厚さが。
高木 近づいてきましたね! 昔、夢見ていたSWSの部屋別制度ですよ。
ーあー、部屋別のようなものですもんね、ブランドって。田中八郎社長がなし得なかったことを…。
高木 なし得てますよ、グフフフ…これはSWS27年目の真実ですよ!
ーこうして人材に恵まれている中、男色ディーノやマッスル坂井のようないわゆる文化系とカテゴライズされる人材が昔と比べると少数派になってきています。そちらの才能を持った人間を集めたいというのはありますか。
高木 いや、けっこうそういう人間も集まっては来ていると思います。今、欠場していますけど宮武(俊)はあれぐらいのポテンシャルを秘めていてもおかしくないと思うし。昨日、僕のところに来て「すいません、肩の状況がまだよくないんで別の会社で正社員になっちゃったんですけど、大丈夫でしょうか?」って言うんです。別にいいんじゃないって言ったんですけど。
ーいいんだ!?
高木 それでなんの会社なの?って聞いたら「パソコン関係です」って。あいつ、あの体でプログラミングの仕事とかしているらしいんですよ。
ーマッチョプログラマーとして新たな道を開拓するかもしれないです。
高木 どこにそんなスキルがあったんだよ!って。なんか「この2ヵ月ほどで憶えました」って。そんなので憶えられるんだって思ったんですけど。あいつは吉本興業でお笑いもやっていましたし、センスはあるんで期待している人間なんですけど。まあ、そのうち出てくるとは思うんです。なんでかというと、坂井にしてもディーノにしてももともと文化系の要素があるからって引っ張ってきたわけじゃないですから。
ーマッスル坂井は映像班として入れたのが、体が大きいところに期待されて選手になったんですよね。
高木 そうそう。浜口ジムに通っていたというだけで、どちらかというとアスリート的なところを買ってデビューさせたらあんなふうになっちゃいましたからね。僕が思いつきで「マッスル」をやらせていなかったら気迫と闘志をウリにしたプロレスラーになっていたかもしれない。実際、一宮(章一)さんにかわいがられて、そういう路線でやらされていましたから。坂井の試合が終わるたびに呼びつけて「あそこがダメだ。もっと気迫を出していけ!」って教えていました。
ーマッスル坂井に気迫を求めていた。
高木 文化系と言われている部分を目指して入ってくるプロレスラー志望はいないでしょう。やっている中で、突然変異でそういう人材になる形は今後もあると思います。鈴木大にしても元探偵という肩書きで入ってきて、体力テストは微妙だったんですけど一芸でハクション大魔王の唄を京劇風に歌うというのをやって大爆笑だったんで入れたら、全然ダメで。誰がプロデュースしてもどうにもならない。そんなやつでもポーンと出てくる可能性はゼロではないでしょう。
ーこの前、DNA勢全員のインタビューをしたら明らかに鈴木大選手が一番面白かったんですよ。
高木 そうでしょ! あいつは引っかかりが持てたら化けるかもしれないんですよね。あんなデタラメな人間いないですよ。
ーそんなデタラメな人間によく大阪ビッグマッチの営業をやらせましたね。
高木 それを言ったら大家健があんなになるなんて誰も思っていなかったじゃないですか。あいつもホントにいらない子でしたからね。
ーいらない子!
高木 2回目の失踪した時に、こいつはどっちでもいいやってなりました。それまでは闘龍門をやめてきたスター候補だったんですけどね。ルックスはなんとなくシュッとしているし、短足なのを除けばレスラーとしては問題なかったんで。
ー誉めているんだかなんだかわらないです。
高木 だけどなぜかブレイクしなくて、これはダメだと思ったらああなった。わからないですよねえ。
YAHOO!ニュースのトピックに
上がるのを意識した入り口作り
ー10年前と比べると明らかに団体のカラーがアスリート的な方向に変わってきているのは、意図的にそちらへ持っていったのでしょうか。
高木 それが全然ないんです。規模的に大きくなって、ビッグマッチもやっていくうちになんとなくそれっぽい団体に見えてきちゃったじゃないですか。それで自然と持たれる印象が変わってきているだけで。ただ、アンテナは張っていますよね。竹下(幸之介)にしてもMAOにしても中学校の頃からメールやツィッターでやりとりする中でDDTに入りたいって言ってくる。面白そうなやつがいたら、こっちはやればいいじゃんって言うだけなんで、思い起こすと自分でも無責任だと思うんですけど。そうやって集めた結果が今のDDTのカラーですから。
ー昔のカラーが薄まっていることで、初期から見てきているファンが求めているものとのギャップも生じてきます。
高木 そこはどんな時代も流行り廃りってあると思うんで。そもそもエンターテインメント性でさえ、旗揚げの時点で目指していたものではなかったですからね。たぶん、その時点でどこの団体よりもガッチガチのことをやっていたというか、やらされていたというか。
ー無名のインディー選手が格闘技経験のあるスーパー宇宙パワーや仮面シューター・スーパーライダーにただただボコボコにされるという。
高木 あんなのあり得ないですよ! DDTはド根性論に基づいた格闘プロレスから始まったんですから。自分の経験値を高める分にはよかったですけど。なかなか25歳を過ぎてスパーリングで3時間ボロボロにされるなんていう体験は今の選手たちもできないですよ。だけどそれが当時の風潮というか、そういうのを経験しないとナメられたんで。木村浩一郎さんも「いいか、これはイジメでもなんでもないんだからな。おまえがヨソにいった時にナメられないようにやっているんだ」って言っていましたよね。じっさい、ナメられなくなりましたよ。この業界って、誰に教わっているかというのを重視するじゃないですか。そこで木村さんの名前を出すとみんな一瞬、固まるんですよ。明らかに上から目線で聞いてきたのが、途端に「おお、そうか…」とか言いながら態度が変わるという。
ーということは、時代時代に求められているものを、嗅覚を働かせてそのつど替えていった結果ですね。
高木 ただ、ベースは旗揚げの頃から変わっていないと思います。「プロレスは闘い」…これはどんな時でも外せないものであって、そこにプロレスのオールジャンル性を乗せていくのがDDTだと思うんです。まさにプロレスはなんでもありを表現してきたら、こうなったと。だから竹下やDNA勢たちによってアスリート色が強くなっていったからといって、その先はどうなっていくのかはわからないです。たとえば彼らが男色でディーノと絡んだら、どうなると思います?
ー勝敗とは別に、おそらく存在感で食われるでしょうね。
高木 そうなりますよね。アスリート色は出せたとしてもやっぱり男色ディーノの試合になると思うんですよ。もしもそこで張り合えるものを培っていれば、それこそ文化系の要素でも勝負できるようになるじゃないですか。僕はプロレスラーなのに一つのことしかできないっていうのが好きじゃないんです。やれるのであればルチャができても格闘スタイルができてもデスマッチができた方がいい。リングの上で闘っているという部分では、どこのリングでも同じだし、格闘家だろうがお笑い芸人だろうがアイドルだろうが闘うという意志を持って上がればリングの中ってなんとかなるんですよね。プロレスのリングにはそういう幅広さと懐の深さがある。だったら、なるべく多くのことに対応できるよう、幅広くできるようになった方がいいわけで。
ー他ジャンルと高い親和性を築けるのもプロレスのよさです。またそれが、メディアにおいての広がりにもつながっていますよね。
高木 何かをやるにあたって意識しているのは、YAHOO!ニュースのトピックに上がるようなことをやるってことですね。先日も東京女子プロレスで才木玲佳と伊藤麻希のシングルマッチを組んだら、ニュースになって幅広く知られた。そういうのってやっぱり反響が大きいですから。
ーああいう場合、拾われるのは一方的に拾われるんですか。それともある程度こちらから振るようにしているんですか。
高木 振ってはいないですけど、こっちから拾われる要素は発信していかなければいけない。
ー拾われるだけのモノだということですよね、これって。今はコラボレーションをするさい、先方から打診されるのとこちらから持ち込むのではどちらが多いですか。
高木 それは今も圧倒的にこちらからです。ぶっちゃけ、百発打って1発当たればいい方。
ーこれほど露出していてもですか。
高木 それほど世間ってハードルが高いですよね。たとえばさいたまスーパーアリーナでは小学3年のゆにとジャガー横田さんが組むんですけど、ジャガーさんも世間に届いている方で、そこに孫のような年の差があるゆにを絡ませることで世間が拾うだろうと。そういうのはこっちから打っていくものじゃないですか。
ーここにきてジャガー横田さんを引っ張り出してきたのは意表を突かれました。かつて「地下女子プロレス」という黒歴史がありながら…。
高木 地下女子プロレス、ありましたねえ! 今のDDTのファンは知らないでしょう。
ー2003年にDDTの中で女子プロのストーリーラインがあって、前田美幸選手とかが絡んだんですが、比較的短い間でなかったことになっていました。
高木 それで対地下女子ということでジャガーさんに参戦していただいたんですけど、その試合前半でアクシデントがあって、ジャガーさんが失神しちゃったんです。じつはその時、ジャガーさんを介抱したのが木下先生(ジャガーさんの旦那さん)だったんですよ。
ーえーっ!?
高木 僕がいつも体のメンテを見ていただいている先生がいるんですけど、その方はNEO女子プロレスのリングドクターもやられていてたまたまその日、ウチの横浜赤レンガ大会(2003年6月15日=石川修司デビュー戦の日)を見に来ていたんです。それでジャガーさんにアクシデントがあって運ばれて…まさかジャガー横田さんともあろう方が失神するなんてあり得ないじゃないですか。それで僕らもパニクっちゃって、先生を呼んだら「ちょうど、スマックガール(女子格闘技)でリングドクターを務めている方が来ているんで、診てもらいましょう」と言って。それが木下先生だったんです。
ーということは、木下先生は失神しているジャガーさんが初対面だったんですか。
高木 そうなんですよ!
ー出逢いが失神ってどんなシチュエーションですか。
高木 聞いたら木下先生、当時からジャガーさんのファンだったらしくて。こんなウハウハなことないじゃないですか。ジャガーさん、それをテレビとかで言ってくれないんですよ。DDTじゃなくて「あるプロレス団体で失神した時に…」としか言ってくれなくて。なんでそこでDDTの名前を出してくれないんだと。だからさいたまのバックステージで言ってもらいますよ。
ーそしてそれがニュースになると。
高木 ニュースって、要は入り口なんですよ。そこでDDTに興味を持ってもらって足を運んでもらう動機ですよね。入り口はいくらあっても多いに越したことはない。そこの入ってくる部分はなんか面白いことをやっている団体、エンタメ団体というとらえ方でいいと思うんです。それで会場に来てみたら休憩後のキッチリとした試合で驚いたり感動したりする。
ー前半と後半のメリハリはDDTならではの興行スタイルとして定着していますよね。
高木 女性ファンの中には今でも「プロレスって怖い」というイメージがあるんです。でも、面白そうな入り口から入って見てもらったら「意外とプロレスって楽しいんですね」と言ってもらえる。団体によっていろんな見せ方はありますけど、そういう反応を見たかぎり、ウチがやっていることは間違っていないなと思えるんです。
ー女性ファンといえば、10年前の客層とはガラリと変わりました。
高木 客層の変化によって戦略も変わってきますからね。たとえばグッズ開発もそうですし、ユニット制もじつは女性ファンが増えているのに起因していて。選手個々のキャラクターやバリューを押し上げるのって、けっこう時間がかかるんです。でもグループだと押し出しやすいんですよ。
ー確かにユニット全体を応援する女性ファンは多いですよね。アイドルがグループとして売れていくのに似ています。
高木 もちろんそこには明確なコンセプトとファッション性が必要です。新日本プロレスでいえばロス・インゴベルナブレス、ウチで言うならDAMNATION。この2つに共通しているのってファッション性じゃないですか。僕は平成維震軍ぐらいにベタなのが好きなんですけど、若いファン層はユニットのコンセプトからメンバーの思想、ロゴマークのデザインにいたるまでをトータルに見ているんで、そこはDAMNATIONのメンバーも意識して打ち出しているはずです。
ー佐々木大輔選手はトータルコンセプトを打ち出せるタイプのプロレスラーですよね。つい数年前までは「巧いんだけど地味」というイメージだったのがそこから脱却した。DDTは昔から選手が化ける土壌があります。
高木 だからわかんないんですよ、ホントに。ちょっとした何かのきっかけで坂井やディーノみたいになる人間が出てくるかもしれない。佐々木大輔があそこまでになるなんて、5年前ぐらいの時点で予見していた者はいないと思うんですよ。
飯伏が抜けてもメインアリーナで
やることにあせりや迷いはなかった
ー選手自身の資質も必要ですけど、化ける上で必要なものはなんだと思いますか。
高木 プロレスはイメージビジネスなので、まず共感されないとダメでしょうね。僕は“かわいげ”って言っているんですけど。
ーかわいげですか。
高木 かわいげがない場合は、絶対的な強さですよね。見る者に納得を与えることで支持されるのも事実なんで、答えは一つではないでしょうね。
ーHARASHIMA選手は強さとともに、どこかでかわいげも感じさせているから強いですね。
高木 竹下なんかは、自分で絶対的な強さを手に入れようとしているんじゃないかって見ていて思いますよね。
ー本人は以前から「自分は人気が出るようなプロレスラーではないんで」と言っていました。
高木 人気=必ずしも支持ではないですから。人気は高くなくても支持されるやり方っていうのがあるんです。竹下は、それが強さであることに気づいたんでしょうね。この前のKUDO戦(1・29後楽園ホール)にしても、今までの彼になかった力強さという部分が際立っていましたからね。17歳でデビューしてエリート街道を歩いてきたわけじゃないですか。僕はエリートって全然悪いことだと思っていなくて。それは選ばれた者でなければできないことなんですから。ただ、それによってなかなか共感を得られない。自分は圧倒的な強さでしか納得させられないと腹を括ったんだと思います。
ーそれって相当高いハードルですよね。エリートというとラクをして上がってきたというイメージを持たれてしまいますが、じつは人一倍やらなければならない厳しい立場です。
高木 そういう彼の置かれてきた立場であったり、そこからなんとかして支持を得ようとする姿勢だったりが頭に浮かんできながら見ていたんで、本当に素晴らしい試合だったと思います。あの日からDDT UNIVERSEの生配信が始まって世界中の人たちが見たじゃないですか。海外の反応は、竹下とKUDOの試合が一番よかったんです。
ー海外のファンはそれほど深く竹下選手の立場やこれまでの背景を知らずに見ているわけで、それでも絶賛されたと。
高木 そうなんです。だから、そういうのを抜きにして見ても明らかに竹下幸之介は強いって伝わったんでしょうね。その結果、さいたまのメインがHARASHIMAvs竹下になったというだけでも物語じゃないですか。リング屋のアルバイトから数えたらほぼ20年、DDTにかかわり続けてきた人間と、その頃のDDTを見ていた人間がプロレスラーになって対戦するというのは。
ーさいたまスーパーアリーナのメインアリーナでやろうと思った時点で描いていたものがあったと思われますが、そのあとに飯伏幸太という大きい存在が抜けました。そこであせりというかやるべきかどうかの迷いは生じなかったんですか。
高木 それはまったくなかったです。今のDDTは誰かが抜けても必ず誰かが出てくるんで。DNAを起ち上げて正解だったのは、DDTのまま新弟子を採り続けていたら一年間でデビューできる人数が限られていたと思うんです。彼らはもちろん、未来を見据えての人材ではありますけど一方では何かがあった時にその穴を埋めてくれるポテンシャルを持っている人間でもあるんです。そもそもメインアリーナでやろうと思った時点でメインが何になるかなんてわからないわけだし、飯伏のことも含めてなるようにしてなった結果、今回のメインアリーナだと思うんです。
ー先ほどの誰が化けるかわからないというのもそうですけど、予測がつかなかったり不測の事態が起きたりするのを承知で何年か先を見据えて大会場を押さえたり、方向性を定めたりしなければならないんですから、難しいビジネスです。
高木 この業界、本当に何が起こるかわからないですからね。でも、その中でも5年先までは見据えています。そのスパンで一つひとつのことを積み上げていく作業です。まあ、大変なのは大変ですけど選手を生み出す態勢と、その選手が活躍する場所を作れれば大丈夫だとは思っています。
ーその活躍する場所を、それこそいる人数分考えなければならないわけじゃないですか。それは大所帯になるほど大変になってくるわけで、よく枯渇しないなと思うんです。
高木 ああ、そこは全部が全部考えてはいないですよ。僕の得意な投げっ放しです。あとは頼んだからなって。自分のことだけでいくら時間があっても足りないぐらいですから。
ー自分のことはちゃんと考えた結果、さいたまスーパーアリーナのカードはあのようになりました(シブサワ・コウ35周年記念「信長の野望~俺たちの戦国~」戦国武将マッチ◎高木三四郎<豊臣秀吉>&武藤敬司<武田信玄>&木高イサミ<真田幸村>vs飯伏幸太<織田信長>&秋山準<上杉謙信>&関本大介<柴田勝家>)。
高木 2010年にコーエーさんが「戦国武将祭り」をやった時、さいたまスーパーアリーナで初めて試合をしたんですけど、それがすごく気持ちよくて。両国よりデカいし、いつかここでプロレスをやりたいなと思ったんです。それでやると決めたタイミングで、コーエーの方を紹介していただいて。
ーそこなんですよ、なぜこのタイミングで関係ができるのかと。
高木 いやー、引きが強いんでしょうね。あの時は『戦国無双』だったんですけど、もともと僕はコーエーさんの『信長の野望』を中学の頃からやっていたヘビーユーザーだったんです。それで、ちょうど信長の野望のスマホ版がリリースされるんで、それに合わせてプロモーションしたいと言ってくださって、すべてのものが合致したと。
ー戦国武将祭りでは加藤清正に扮しましたが、今回は豊臣秀吉ですね。
高木 もともと豊臣秀吉って農家の出で、出世して天下を獲ったじゃないですか。まあ天下は獲れていないですけど、僕も屋台村プロレスでデビューしたドインディー上がりということでは秀吉と共通しているのではと。あとは、武藤敬司さんはWRESTLE-1でお世話になっている方で山梨出身だから甲斐の国の武田信玄だし、秋山準さんは同い年で経営者としての道を歩まれてシンパシーを感じていて、関本大介選手はウチと大日本プロレスさんは切っても切れない関係ですし、飯伏幸太は絶対に入れたかった。イサミはDDTのclub ATOM時代から通っていてMIKAMIファンでしたからね。そういう人間が20周年に出る意義もあると思うし。だからこの6人は全員必然性があるんです。5人の名前が浮かんできた時にちょうどこのお話が持ち上がって、当てはめていったらどれもピッタリだったという。これも引きですよね。
ーさいたまスーパーアリーナのメインアリーナといえば2004年2月のWWE日本公演で来日した“ストーンコールド”スティーブ・オースチンとビアパーティーをやった思い出の場所でもあります。そういう物語を持った興行って、いいモノになるじゃないですか。
高木 うん、いい感じになると思います。望んでできること以上の力が合わさって今回のさいたまには臨めるんで、そのパワーってとてつもないものだと思うんです。
ーWRESTLE-1のCEOとしての職務と兼任でやり続けていますが、ストレスはたまりませんか。
高木 プロレスラーは試合で発散できますから。どんなに忙しくても試合に出ているのは、それもあります。お客さんに満足してもらうことをベースに置いた上で、好きなことをやらせてもらっているので。あとは路上プロレスもまあまあの頻度であるんで。Amazonプライムの『ぶらり路上プロレス』は最高のストレス解消の場ですね。あれもAmazonさんからの企画なんです。
ーそういう話が来るようになったんですね。誰にも見向きもされなかった代々木の小さいオフィス時代のことを思うと夢のような話です。
高木 そんな小さかった自分たちでも、UNIVERSEを起ち上げて世界に打って出られるようになりましたからね。DDTはもう、オンリーワンとしてやっていくしかないと思っています。規模の大きさで勝負する時代じゃないですよ。このコンテンツを世界に届けたいというのがあるし、世界規模で見ても「こんなことをやるのはDDTだけだ」って思わせたい。WWEがあって、新日本があって、CMLL、AAAがある。そういうところにちゃんとしたプロレスはやってもらって、僕らは僕らにしかできないことをやっていって本当に世界的にもオンリーワンなのかどうかを確認してみたいんです。
ーDDTもちゃんとしたプロレスですよ。言語の壁を越えて、世界で受け入れられると思っていますか。
高木 その自信はあります。後楽園で初めて生配信をやって、男色ディーノはワールドコンテンツだと確信しました。