鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2019年8月号には、第66回ゲストとして全日本プロレス・秋山準社長(当時)が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

※『月刊スカパー!』(ぴあ発行)の定期購読お申込はコチラ
※鈴木健.txt氏 twitter:@yaroutxt facebook:facebook.com/Kensuzukitxt

秋山 準(全日本プロレス)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

若手の活躍が
青木の全日本に
対する貢献の形

秋山 準(全日本プロレス)

©全日本プロレス/FIGHTING TV サムライ/カメラマン:中原義史

本当にその人間を見てないと厳しくできない。
青木はそれをやっていた

8月11日に後楽園ホールで青木篤志選手の追悼大会が開催されます。6月3日の事故後、初の東京大会だった6・18後楽園で追悼の10カウントゴングを捧げましたが、改めてファンの皆さんやゆかりある選手たちと青木さんを送りたいという思いがあっての開催と思われます。

秋山 僕は四十九日が過ぎたあとにやりたいと思ったんですけど、ほかの団体でも10カウントゴングをやっていただいていたんで、ウチだけがそこでやらないわけにはいかなかったというのもありましたし、ファンの皆様のお気持ちを考えてもそこでやるべきというのがあって、6月18日は10カウントゴングをやらせていただきました。その上で、まだバタバタしていて青木に関係してくれた選手や関係者に対して何もできていないんで、改めて8月にやろうということになりました。

ゆかりのある選手が集う場にしたいということですね。この取材の時点であれから1ヵ月が経っています。

秋山 早かったですね。僕は青木(の最期)を見ているんで現実を受け入れていますけど、選手も見ていないのがほとんどで現実感を持てずにいる者が多いんです。地方にいって青木がお世話になった方々と話しても、いまだに信じられないと。

6・18後楽園のメインを佐藤光留選手と岡田佑介選手に託し、秋山さんは青木さんの遺影を抱えて花道奥から見つめていました。

秋山 あの日は青木と佐藤君が(世界ジュニアヘビー級王座を懸けて)やる予定だったので、青木だったらここはどうやっているだろうなとか、岡田に何を言っただろうなとか思いながら見ていました。

岡田選手にとって初めての後楽園シングルメインでした。光留選手は「青木さんがくれたものだからな」と言っていました。

秋山 岡田は十分に(メインを)務めてくれたと思いますよ。あいつは付き人ということもあって僕は辛らつなことを言いますけど、その僕から見ても頑張ったと思うし、成長も見られたと思いました。岡田もそうですけど、野村(直矢)も青柳(優馬)もジェイク(リー)も、今の若い連中はみんな青木が直接教えた。僕ももちろん見ていましたけど、手取り足取り教えたのは青木で、その教えを受けた世代が今の全日本プロレスの中心にいこうとしている。青木が教えたのは技術だけではなく、気持ちの部分でも厳しく彼らに接してきました。そこは言われた方もわからない部分がまだあるかもしれないので、もう少し経ったらわかってくるんだと思います。

試合と練習の両方で青木さんは“姿勢”も叩き込んでいました。

秋山 本当にその人間をわかっていなければ、厳しくできないんですよ。ちゃんと見てないと言えない。そこは彼らが人を教える立場になった時に、青木が言っていたことを理解できるんでしょう。本当のやさしさとはなんなのかを。

やさしさ、ですか。若手の面倒を見るのって、団体にとっての生命線ですよね。

秋山 重責ですよね。僕の付き人を務めていたので、僕の持っている技術や姿勢はすべて備えていると思って若手を指導する立場を任せたんですけど、じっさいに教えを受けた選手たちがちゃんと今の全日本で活躍している(今年のチャンピオン・カーニバルでジェイクが準優勝、野村が優勝戦進出者決定戦まで進む)。それ自体が青木の全日本プロレスに対する貢献の形なんです。そして重要なのは、彼らがいる限り教えられたものはずっと残っていく。

イズムですね。

秋山 あいつは技術を追求するのはもちろん、自分に厳しい人間ですべてにおいてキッチリしていた。いい加減なところがまるでない。だからよけいにプロレスに関しては妥協しなかったし、させなかった。人に厳しく当たるには、自分自身がちゃんとしていないとできないじゃないですか。あいつはそれをずっとやり続けた男です。

付き人として完ぺきすぎて、秋山さんは何も言うことがなかったそうですね。

秋山 技術に関してはこうしろということは言いましたけど、この怒りんぼうの僕が怒ったことなかったですからね。今思うと、付き人との会話じゃなかったし。それ以上のいろんな会話をしました。「これはどう思う?」ということって、普通は付き人には振らない。でも青木とはそういう会話を自然にしていましたよね。

先日の『週刊プロレス』誌に掲載された、秋山さんが青木さんを語るインタビューの中で強く印象に残ったのが、チャンピオン・カーニバルの話でした。エントリー選手に欠場が出た時、秋山さんは青木さんに代替出場を頼みたかったけれど、ジュニアだからということでちゅうちょしていたら、青木さんの方から「僕でよければ」と言ってきたと。あの話が出なかったら、普通に会社が青木さんに出るように言ったと思われていたでしょう。

秋山 こっちが(出場を)望んでいる雰囲気を察したんじゃないですかね。いくつか考えが僕の中にあって、青木とか岩本(煌史)とかもあったんですけど、ジュニアはやはり体的にも酷だし…と考えていたら、あいつから言ってきて。

しかもただ代わりに出たのではなく、スーパーヘビー級を相手にジュニアの人間がどう闘うべきかというのを体現していたのも青木さんらしかった。それほどの存在だった青木さんがいなくなった全日本プロレスをどうしていくべきかに向き合っていかなければなりません。

秋山 これは亡くなったことに限らず誰かが辞めた時も、誰かがそのポジションに入るものなんですよね。ただ、技術に関しては持っていなければそこにポンと入れるものではない。だから僕がもう一度…今は若い選手に教えていますけど、青木のような人間をもう一度作らなきゃいけない。じゃあ誰なのかとなった時に、青柳が青木に一番うるさく言われた男で、また僕の付き人でもあるから、その中で叩き込まれたものを教えられるとしたら青柳なんですよ。でも、青木と違うのは追及していないというか。そこを厳しくいかないと後輩は育っていかない。だから今は僕が教えている。青木だったら僕がそこにいなくてもよかったけど、青柳はまだ僕がそこにいないと…まあ、だいぶ厳しくは言っているようですけどね。

青木さんが教えていた技術を、秋山さんが教えると。

秋山 そうやっていかないと、受け継がれてきたものが失われてしまう。ただ、僕が(ジャイアント)馬場さんから教わったものと青木が教えていたものはまた違うんです。どこかで変わっていっているんですね。それで僕はいいと思っています。ただし、今は俺が教えたことを基本にしろと。これを完ぺきに覚えた上でやっていくうちに、自分の体格やいろんなものの差によって変化させていくのはかまわないと。大きい人間と小さい人間ではロープに振られた時のロープの高さ一つをとっても違うわけですから、そこは一緒にはならないんです。

宮原は巧い。三沢さんのような
受け身の取り方をしている

自分に合った技術ですよね。ただし、ベーシックな部分は守れと。

秋山 そうです。今までは変えるなという教えだったんです。たぶん、青木もそう言っていたと思います。コレはあくまでもコレだからなと。だから、変える理由をちゃんと教えられる人間を育てなきゃいけない。技術と同時に精神面でも教えなければいけないこともありますけど、これも今の時代に合った教え方でないといけないという意味で変化している。世の中自体が、僕らが若かった頃のようにはいかない。ただ、全日本プロレスという名前はあるんで…僕の考える全日本プロレスと、彼らの考える全日本プロレスも違いますから。

そこは右へならえにしないんですか。

秋山 できないですね。僕が見てきた全日本プロレスを言っても彼らは見ていないんで、実感としては受け入れられない。僕がいくらメジャーとか口に出しても、地方にいくと何百人という中でやっているから「秋山さん、何言ってんですか?」となってしまう。だからそこは会社として大きいところでできるよう整えてあげなければいけないと思うし、整えた時に初めてこういうものなんだぞって言えますけど、今は言えない。言えないけれども、プライドだけは持ってほしい。

全日本プロレスはいつの時代になっても全日本プロレスだという自覚ですか。

秋山 そこはほかの団体とやる機会があればわかるんですよ。「ああ、俺たちは違うんだ」ということが実感としてつかめる。そう実感できるだけの技術を身につけさせてやりたい。

そうなると、ただでさえ社長業で忙しい秋山さんのやるべきことが増えていって…大変ですね。

秋山 代わりがいないですから。全体を見る立場としても「全日本プロレスはよくなった」って言ってくださるようになってからもう何年も経っていることを考えると、より多くの皆さんに見てもらうにはどうしたらいいかというのを考えて、形にしていかなければならない。リング上に関しては問題ないぐらいまで来ているんで、あとはどう広げていくか。

全日本プロレスの魅力として、大きな男たちから正面からぶつかっていく迫力があります。これは秋山さんが社長に就任した時点でそこを伸ばしていくという意図はあったんですか。それとも積み重ねていくうちにそこが一番のフックになったのか。

秋山 いや、そこははじめから思っていました。昔からの全日本プロレスの魅力なんで。でもちゃんと大きな人間が何人もいてくれたのは大きかったですよね。しかも大きいだけではなく、動ける選手ばかりなんで。自分が描いていた全日本らしさがこんなにも発揮されるなら、それは前面に出していくのが一番いい。

それほどの大男たちの中でエースを務めている宮原健斗選手は、ほかの大型選手と比べると身長も体重もズバ抜けているわけではありません。それでも三冠ヘビー級のベルトを巻き続け、全日本の顔としての務めを果たしています。

秋山 あいつは巧いです。三沢(光晴)さんのような感じの受け身の取り方をして(ダメージを)最小限にしていますし。

それはセンスによるものでしょうか。

秋山 何事もセンスですね。プロの世界はみんなそうなんじゃないですか。センスにプラスしての努力でトップにいくわけですから。天才が努力したら誰もかなわないって言いますけど、それがじっさいにトップへいる人たちなんで。宮原はその上で今、30ですからのびしろがある。

そこがすごいですよね。

秋山 僕も30半ばが一番よかった頃と思えるんで、ここからの5年が一番脂の乗った時期になってくるでしょう。そこでどれほど伸ばせるかは、体のケアとかにもよりますよね。

現在の秋山さんは、何がプレイヤーとしてのモチベーションになっているんでしょうか。

秋山 やはりこの団体を率いていかなければという、そっちのモチベーションの方が高いんで、偉そうなことを言うんだったらまず自分自身がしっかりやらないといけないというのがそれに当たるかな。

やるべきことをやらなければ他者に言えないということですね。

秋山 そう。だから三冠を獲るとかじゃなく、教える立場としての姿勢をちゃんとするための闘いですよね。それに自分で手取り足取り教えるのであれば、自分自身も動けるようにしておかなければならないわけだし。青木がいた頃はその横でイスに座って見ていればよかったですけど、これからは僕もリングに上がって動くわけですから。

最近は渕正信さんとの絡みが楽しそうで、何よりだなと思いながら見ています。

秋山 あれも宮原たちがいいモノを見せてくれるからできるわけであって。そうじゃなかったら僕がまだ上の方でやっているかもわからない。上を任せられるようになったのはいいことだし、それは青木が育ててくれたから。

その通りだと思います。最後にお聞かせください。青木篤志という男はなぜあそこまでプロレスに対し真摯でストイックになれたんでしょう。

秋山 やっぱり…好きだったんじゃないですか、プロレスが。口ではあまりそういうことは言わなかったけど…27歳で自衛隊を辞めてまでして飛び込んできたわけですから、好きでなければできなかったでしょう。あいつは、そういう男でした。