鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2021年5月号では、第85回ゲストとして全日本プロレス・ゼウスが登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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※鈴木健.txt氏 twitter:@yaroutxt facebook:facebook.com/Kensuzukitxt

ゼウス(全日本プロレス)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

プロレスは
お客さんによって
気を溜められる

ゼウス(全日本プロレス)

昨年はカーニバルに優勝するため
だけに頑張ったようなものだった

このインタビューが世に出る時点で「2021チャンピオン・カーニバル」は終盤戦にさしかかっております。そこでゼウス選手が優勝戦線から脱落しているとインタビューで語っていたいたことの意味が失われてしまうので、必ず残っているようにしてください。

ゼウス なるほど、わかりました!

昨年はコロナの影響で開催が9~10月にずれ込んだため、1年スパンではなく半年でまたチャンピオン・カーニバルに臨むことになります。感覚的にその影響はありそうですか。

ゼウス 半年で「またやらなければいけない」といのはないですね。4月はチャンピオン・カーニバルというのが当たり前なんで。ただ、いつもなら1年経つのは早いなと思うところ、今年は半年だけにより早いなと思うところはありますけど、コンディション的には例年なら9月に王道トーナメントがあってのカーニバルというスパンは同じだから、いつものようにいいコンディションで迎えられると思います。

昨年は2ブロック制で公式戦4試合を全勝でクリアした上での初優勝でした。今年は10名参加の1ブロックなので9公式戦あります。シングルマッチが9試合続くという意味ではより過酷でしょう。

ゼウス 1番多い時で18名参加という年があって(2019年)、その時は2ブロックで公式戦8試合やったんですよね。それを思えば9戦もいけるとは思います。10大会中9つが公式戦というのはみんなが同じ条件ですから。連戦になるところに関しては毎回、気合入れていかなあかんとなるし。

ゼウス選手は限られた少ない人数の短期決戦でやるのと、長い日程の中で公式戦を多くやるのはどちらが性に合っていますか。

ゼウス そこはリーグ戦の多さではなく勝って勢いがつくかどうかですね。そうなれば何試合であろうと最後まで全力でやれる試合を見せられると思うんで。

スタートダッシュタイプですね。

ゼウス 得意・苦手というのは自分ではないと思っています。それは多い方が大変ですけど、みんな条件は一緒やと思ったら気にせずできますね。

ベルト奪取とは違う形のリーグ戦優勝の味を昨年、初めて体感したわけですがどのようなものとして自分の中に残りましたか。

ゼウス 三冠獲った時も気持ちよかったですけど、純粋に一番気持ちよかったですね。三冠の時は大変さの方が上回っていたんです。それに対し去年のカーニバル優勝戦は試合を楽しめた上で勝つことができて、勝った直後の後楽園ホールの天井ライトが今でも憶えていて。こんなに後楽園で試合やっているのに、あれほどきれいに見えたのは初めてやったんです。ああいう感覚はプロレスをやっていて初めてやな、これはしあわせやったなあって。三冠を獲るのとカーニバルで優勝するのは歴史に名を残すという意味でも同等の価値がありますよね。その両方を制覇できたのは、自分の中でも全日本プロレスでやりたいことができたことになりますから。

小さい頃に見ていた世界だったんですよね。

ゼウス 子どもだからチャンピオン・カーニバルやっていう意識で見ていたわけではなかったですけど、テレビでやっているのをあこがれて見てはいました。2014年から全日本プロレスへ上がるようになった時、僕は絶対に三冠チャンピオンになったると決めて5年で獲ると目標を立てて、そのあと1年半後に所属になってそこから3年で獲ったると誓って丸3年で獲ったんです。目標を達成させてからももちろん全力でやり続けましたけど、じゃあ次は何を目指すとなった時に全日本にはチャンピオン・カーニバルというものがあるだろということで、三冠を獲った翌年に狙ったんですけどケガとかもあって優勝できなかった。その分、2020年はカーニバルで優勝するためだけに頑張ってきたようなものだったんです。4月に一度開催が中止となった時も、僕はいつかやると信じていた。そしてその通りになった。年の初めに後楽園でタイトルマッチをやったあとの9ヵ月間は、カーニバルのためにコンディション作りを続けていったようなもので、それほど懸けていましたよね。

その時期はコロナ禍の中で気持ちを持続するのが難しかったのでは?

ゼウス 自分の中で決めたことをやろうとするのは確かに厳しい状況でした。だから、けっこうキツい練習メニューを立ててやるようにしていました。試合がなかった時期もよけい練習に集中できたのは、よかったと思うんです。走ったりウエートトレーニングをしたりするのは当たり前で、そこに心肺機能をあげる特殊なメニューを加えました。4月の時点でかなりいいコンディションを作れていた上に、そこから5ヵ月分も上乗せできたのが優勝につながったところはあると思います。

モチベーションとテンションを維持するのは、カーニバルの最中と同じですから意識せずともシミュレーションになっていたんでしょうね。

ゼウス でもね、無観客の時は僕でもテンションが落ちざるを得なかったですね。2ヵ月ぐらい続く中で、プロレスにおける歓声、声援の大切さが改めてわかった。僕の場合はチャンピオン・カーニバルという目標があったからテンションをあげられたし頑張れたけど、ほかのみんなはあの中で気持ちを持続させるのが難しかったでしょう。

特にゼウス選手はポージングや「人生祭りや、わっしょいわっしょい!」と、観客とのやりとりで関係を築くタイプだけに影響が大きかったと思われます。

ゼウス そうやって会場を盛り上げるのが僕らの仕事だけにね、そうですよね。

厳しさと楽しさ両方の
プロレスができてこそ一流

そうした中で優勝を目指さなければならないわけですが、前回優勝という実績は気の持ち方に影響が出るものですか。

ゼウス それによるプレッシャーはまったくないですね。前向きな気持ちしかない。カーニバルに関しては毎回チャレンジャーという気持ちで臨んでいるので、一度優勝したからといってその姿勢が変わることはないですし。

俺が優勝者なんだぞというのは…。

ゼウス そういうのを持っていた方がいいのかもしれないけど、僕の場合はないんですよ、ホント。それよりも優勝したということをいったんリセットして、またチャレンジャーという意識でやった方がいい。そこは何度優勝しても変わらないと思います。そこが三冠との違いなんでしょうね。タイトルを持っていた時は「俺はチャンピオンなんや!」って言い聞かせてやっていましたから。6人タッグマッチでもその意識でやって常にプレッシャーを自分に与え続けていた。

ただ、連覇するチャンスを持っているのはゼウス選手だけです。

ゼウス うん、なのでそこは気負わずにやろうと思っています。連覇を意識するよりもチャレンジャーとしてやる方が実現させる近道になるだろうから。

全公式戦の中で注目度が高いのは最終公式戦で当たる大谷晋二郎選手と思われます。

ゼウス 大谷さんはZERO1に上がっていた時、お世話になった方だしプライベートでも一緒に酒を飲ませていただいて、闘うのはいい意味でやりやすいタイプ。やっぱり芯が強くハートが熱いじゃないですか。僕もそこには自信を持っているんで、そこをぶつけ合えるのがいいですよね。

シングルは2011年の火祭り公式戦以来となります。その時はスパイラルボムで大谷選手に敗れたんですが「大谷晋二郎っていう選手というより、そういう男とリング上で闘えたことだけで感動でいっぱいです」とコメントしていて、感じるものが多かったようです。

ゼウス じゃあ10年ぶりになるんですか! ああ、そんな前になるんですね。プロレスラーって、みんな熱いじゃないですか。そういうのを表に出さない選手だって、やっぱり内には秘めているものだと思うんです。こちらが放出した熱に応えてくれる人、好きですね。あれから10年経って成長した自分をぶつけた時に大谷さんから返ってくるのがどんなものなのか、楽しみです。

若手の台頭や、元WRESTLE-1勢をはじめ外から上がるようになった選手が全日本プロレスは増えてきました。その中でご自身はどんな立ち位置を意識されていますか。

ゼウス イザナギさん、入江(茂弘)君、UTAMAROとパープルヘイズをやっていますけど、僕とイザナギさんの絆がより深くなっていく中で、このユニットが全日本でどういう動きを見せていくかっていうのがあると思うんです。チームとしての結果がまだアジアタッグしか出せていないですけど、僕はカーニバル優勝を目指しているし、イザナギさんもジュニアを狙っているし。

パープルヘイズに関しては、ゼウス選手自身とても楽しそうにやっているという印象です。

ゼウス そこは組むべくして組んだなって思いますよね。

むしろ大阪プロレスという共通項がありながら今までなかったのが不思議なぐらいです。

ゼウス うーん、やっぱり丸山さん(イザナギ)が丸山敦のキャラクターでいる限りはチームになれなかったですね。どうしても楽しい感じになっちゃうんで、それと組んだら僕も緩くなってしまう。タッグで組むことはあってもチームとしてはやれなかったんですけど、イザナギさんに変身したのも僕とチームを組むための必然だったのかもしれません。入江君は僕がプロレスラーとしてデビューする前、大阪プロレスの大会で乱入した時から見ているそうなんです。

初登場を見ていたと。入江選手は大阪プロレスのプロレス教室に通っていましたが、その時は見ているんですか。

ゼウス いや、僕は見ていなかったです。でも、そのことは知っていましたから彼が名古屋で活動していた頃から見ていました。プロレスが好きで、動きもよくて体もあってセンスもある。性格がよくてみんなから愛される選手だったじゃないですか。大阪に三原一晃っているんですけど、同じような髪形をして2人の仲がいいというイメージもあったし。

パープルヘイズの控室は大阪時代の話がけっこう出るんですか。

ゼウス それはあまり出ないですね。でも、大阪にある僕のキングジムにこの前、イザナギさんが来てくれて。ウチで今、道頓堀プロレスの菊池悠斗と松房龍哉っていう若手が働いているんですけど、彼らは6歳ぐらいから大阪プロレスのファンで見ているんですよ。それが二十代になって働いていて、そこにイザナギさんが来たものだから大阪プロレスの笑い話で盛り上がって。パープルヘイズをやっていることもメチャメチャ楽しいですよ

これまで全日本でやってきたこととは違う色になります。

ゼウス 僕は先に楽しいプロレスの方を学んだことになるんですよね。全日本に来てからプロレスの厳しさを学んだ。全日本に上がってからは一試合一試合が試練で、それまで8年のキャリアがあって30歳を過ぎても怒られていましたからね。ZERO1でも厳しさを学びましたけど、楽しみもあった。それが全日本だと楽しさを厳しさが遥かに超えて。だから、さっき言ったチャンピオン・カーニバルで楽しめたというのは“やっと”なんですよ。やっと全日本でプロレスを楽しめるようになれた。僕はその両方ができてこそ一流になれるんだと思います。

履歴書を送りながら返事が
なかった全日本に今は所属

三十代になって、それまでのキャリアの中で実績もあげていながら他者に怒られ、頭を下げるというのはなかなかできることではないです。

ゼウス 中にはそこで自分を曲げないという人もいるでしょうね。でも僕は全日本で学ぶことによってプロレスのスタイルも変わっていった。たとえば全日本に上がって1、2年やる中で大阪の時のようなパフォーマンスはやらなくなりました。ポージングじゃなくいかに試合で盛り上げるかを考えるようになって。ファイトができてこそパフォーマンスなんやと。最近はパフォーマンスもちょいちょい採り入れていますけど、真剣味がなくなるようなことはしたらあかんって思っています。

大阪プロレスでデビューする前に、全日本へ履歴書を送っていたんですよね。

ゼウス 武藤(敬司)さんが社長の頃ですね。武藤さんがそれを憶えてはって、初めて会った時に言われました。ちゃんと見てははったんや。なんで全日本かっていうのもこれといった理由はなかったと思います。たぶん、たまたま雑誌に募集が載っていたんでしょうね。でも、返事がこなかったんですけど今思うとそれでよかったって思うんです。当時はけっこう軽い気持ちでプロレスラーになりたいと思って、なるんやったら名門・全日本プロレスやなぐらいの意識だったんで。自分で道場にいってお願いします!って頭を下げるぐらいの根性があればやっていたと思うんですけど、ボディビルやりながらの生半可な気持ちでしたから。それでGammaさんから大阪プロレスに誘われた時も断ったんです。その時はボディビルのタイトルが欲しいという夢があったので「興味がないです」という返答をしたんです。そのくせボディビルでケガしたり挫折したりした時に、プロレス雑誌を見ていて「この世界にいったら俺も活躍できるんやないか」ってふつふつと気持ちが湧いてきた。それでGammaさんに声をかけられたという縁もあるからと大阪に入ろうと思って、その時はGammaさんも大阪プロレスを離れていたんですけど、紹介だけしていただいて入団テストを受けて練習生になったんです。

その時に縁がなかった団体へ現在、所属しているのも物語ですね。

ゼウス 王道と呼ばれるこの団体にいきつくための通るべき道だったんでしょうね。今もそれを歩んでいる途中で、これを歩みきらなければというのはあります。今は全日本プロレスというプライドを持ててやれているし。僕、家のリビングにジャイアント馬場さんと元子さんの写真を飾っているんです。元子さんにはお会いしているんですけど馬場さんはなくて、小学生の時のテレビに出ている人という感覚のままなんです。試合を見たのは大人になってからで。そういう存在の方が第1回から優勝者の名前として入っているチャンピオン・カーニバルの歴史に、自分の名前も残るというのはすごいことだと思うんです。コンビニでプロレス雑誌を立ち読みしていた一般人がそこまでいくのに、どれほどのことをやってきたかっていうのは自分でも誇りを持てますよね。

その一般人の頃、ケンカで鳴らしたという話はよく聞くんですが、ケンカってやったら自分もケガしたり面倒なことも付随したりするわけじゃないですか。それでもやってしまうのはどうしてだったんでしょうか。

ゼウス これはね、プロレスと全然違うもので。ほかのプロレスラーがレスリングや柔道を一生懸命やっている頃、僕は高校2回退学になってケンカもたくさんしたし相手をケガさせたことも自分の顔をボコボコにされたこともあった。

それはエネルギーがあり余っていたからなんですか。

ゼウス いや、なぜやるかというと単純に子どもの頃から強くなりたくて。5歳ぐらいで初めてプロレスを見て、生まれて初めてなりたいと思った仕事がプロレスラーだったんです。それって強さへのあこがれで、子どもだから訳わからないながらも見て、リングの上でゴッツい大人が闘っているのがカッコよくて、俺も強うなりたいと物心ついた時から今までずっと持ち続けているんです。それで『北斗の拳』とか『魁!男塾』の世界にあこがれて、こんなふうになりたいって腕立てや腹筋を限界までやっていました。小学校でもようケンカしたな。

動機としては強さの確認? 

ゼウス いや、ちゃいますね。なんだろう…単純に当時、怒りっぽかったとちゃいますか。怒りを抑えられなかったんでしょう。今はリングを降りたら怒りを表に出すことは絶対にないんですけど。地域的にも学校で一日1回は普通にケンカがあって、誰が強いんやっていうのが日常の中にあったんですよね。

ちなみに『北斗の拳』では誰が一番お好きなんですか。

ゼウス やっぱりケンシロウが一番カッコいいんですけどラオウもカッコいいし、出てくる人全部カッコいいですねー。レイもカッコいいしコブシ一発の…。

アインですか?

ゼウス そう! あれもカッコいいし。あと角刈りの…。

ファルコ?

ゼウス そう!! あれもカッコいい。ラオウの外伝みたいなのを見るといいんですよねー。

止まらなくなりました。で、そういうふうになりたいと当時、思っていた。

ゼウス いや、なりたくてやってみたのは『ドラゴンボール』のかめはめ波でしたね。やっても出ないんですよ。

でしょうね。

ゼウス 子どもはみんなやっていたけど出ない。でもね、気は溜められるんですよ。つまりそれがお客さんからの元気玉です。一人一人がお金を出してチケットを買ってくださることが僕らにとっての元気玉。人の力っていかに大事かということをあれは描いていたんやなって最近、ふと思ったんです。かめはめ波は出せなくても、プロレスはドラゴンボール世界と同じなんやなって。