スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)コーナーでは、毎月旬なゲスト選手を招き、インタビューが掲載されています。現在発売中の2016年5月号には、ジュニアの祭典「BEST OF THE SUPER Jr.XXⅢ」と8月に開催される「SUPER-J-CUP2016」を前に新日本プロレスの獣神サンダー・ライガー選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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「ライガー頑張る」って
デカデカと書いといて!
獣神サンダー・ライガー(新日本プロレス)
ハッテンニーロクへのあこがれが
きっかけだった「SUPER-J-CUP」
―ライガーさんがプロレスラーを目指すきっかけとなったのは藤波辰爾さんでしたよね。
ライガー そうです! ちょうどニューヨークでベルト(WWWFジュニアヘビー級王座)を奪取されて、それを肩に掛けた姿が雑誌の表紙になったんですね。これがカッコよくてねえ。それまでは、そんなにプロレスを見る子じゃなかったんですけど、ドラゴンロケットとかスープレックスを観て「これを僕もやりたい!」って思ったんです。
―藤波さんにあこがれて入門したということで、その時点でジュニアヘビー級というのを意識はされていたんですか。
ライガー それはなかったです。ただ、山本小鉄さんに「身長は伸びないだろうから、とにかく体をゴツくしろ」と言われてとにかくそれだけを考えてやっていたんですけど、その時点でヘビー級は無理だなというのは理解していました。いくら体をゴツくしたところで身長は身長だし、太らせたところで動けなくなるだけだから自分は生涯ジュニアでやるんだろうなというぐらいの認識でしたね。
―あこがれの藤波さんがジュニアというものを確立して、それを自分が受け継ごうという思いは…。
ライガー そんな大それたことはなかったですよ! 僕のすぐ上のジュニアがザ・コブラさんだったんですけど、初代タイガーマスクさんとの間にコブラさんがいてくれたことで、ひとつのクッションになったんです。タイガーマスクさんから次に自分だったらそのイメージが残っていて大変だったと思うんですけど、その間にザ・コブラがいたことで僕は自由なイメージでジュニアができたんですね。タイガーマスクを引きずることなく、コブラともタイプが全然違う。だからライガーになる時、これからはマスクを被りますってバーンと出した。正体不明でもなんでもなかった。そこからしてそれまでのジュニアのマスクマンとは違ったわけで。そこに加えてたまたまペガサス(キッド=クリス・ベノワ)やエディ(ゲレロ=ブラック・タイガー)やディーン・マレンコがいて、同期の佐野(直喜)さんがいたことでジュニアが活性化した。それが僕にとってのラッキーだったんです。
―ライガーに生まれ変わって5年後に「SUPER-J-CUP」を提唱し、実現させるわけですが、それは自分のアプローチの仕方で日本のジュニアシーンをもっと高めたいという思いがあったんでしょうか。
ライガー ないない! 全然ないです! ホントね、ファンの夢を壊すかもしれないけど、ごめんなさい。ファンのためにと思ってやったことは、ほぼないです。僕が楽しみたいだけですよ。僕はハッテンニーロクを経験しているんです。
―1979年8月26日に日本武道館でおこなわれた「プロレス夢のオールスター戦」ですか。
ライガー 夏休みに東京の親戚の家へ遊びにいってたんですけど、その親戚のお姉ちゃんがチケットをとってくれたんですよ。
―プラチナペーパーですよね。
ライガー それがとれたんだよね。あの場にいれたのは誇りですよ! すっげー興奮して、すっげー面白かったんです。それを僕たちの手でやれたら面白いよね。この選手とこの選手を集めて闘ったら面白いんじゃね?って、本当に単純な興味ですよ。それでサスケ選手やデルフィン選手に声をかけたら「面白いですね!」「じゃあやろうか!」って簡単に決まったんです。
―当時は他団体と絡むこと自体それほど例がなかったですよね。やりますか?やりましょう!で、よく事が進んだなと。それはやはりライガーさんが音頭をとったからじゃないですか。
ライガー いやいや、みんながやりたいって言ったからだよ。僕がいくら中心に立ったとしてもやりたくないって言ったらやれないじゃないですか。たぶんね、ハッテンニーロクの興奮や憧れがみんなの中にもあったんでしょうね。観にいきたくてもいけなかったり、その頃はプロレスに出逢っていなかったりした選手たちが、それを自分たちでやれるんだとなったら興奮するでしょ。反対する人なんて誰もいなかった。
―その時点で新日本はベスト・オブ・ザ・スーパージュニアの前身であるトップ・オブ・ザ・スーパージュニアが定着していました。色分けをどうするかというのは考えましたか。
ライガー そんな小難しいことは考えないよ! 面白けりゃいいじゃん!ですよ。そのあと、8冠戦をやりましたよね(1996年8月にジュニアのタイトルホルダー8名が集まり統一トーナメントを開催)。あれも僕は「こんなにいっぱいベルトがあったら覚えられないじゃん!」って思って、だったらひとつにしちゃおうと呼びかけたら、みんなもいいですよって言ってくれた。だからね、みんなも面白いことがやりたかったんですよ。
―そうして形にしてきたものが、ちゃんと現在のジュニアシーンにつながっているわけですが、長くやっていると昨年のスーパージュニア優勝者のKUSHIDA選手のように、当時をファンとして見ていた世代がリングに上がって自分が好きだったジュニアを体現するようになりました。
ライガー いや、それを解説席で観れるわけじゃん。俺、いいのかなって思うよ。あんないい席で観させてもらって。すげー、ラッキーだよねえ。
―功労者なんですからそれぐらい当然ですよ。
ライガー 僕は今でもファンだからさ。よく言われるんですよ、おまえの解説は解説になってねえって。あれじゃファンと同じだって。本当にそうですよ!
―全力で認めると。
ライガー だって面白いんだからさ。そこで取り繕って何かを言おうなんて思わないですよ。その一方では、プロレスラーとしてジェラシーも感じているわけです。自分が築いてきたものと違うものになっていることに対する嫉妬。プロレスは時代によって変わっていくものだから、今に合ったものとして受け入れられている。それはもちろん認めるし、面白いし、凄いし。でも、自分もまだまだだっていう思いは常にありますから。
―違うものという意味でこの数年、ライガーさんはタイガーマスク選手とともにIWGPジュニアヘビー級ではなくNWA世界ジュニアヘビー級戦線やプロレスリングNOAHのジュニアシーンで実績を見せてきました。自分たちが今やっているジュニアと、KUSHIDA選手たちが体現しているジュニアの具体的な違いはどこにあるんでしょう。
ライガー 僕とタイガーの試合は泥臭いよね。昭和のプロレスですよ。ガッツンガッツン・ボッコンボッコン。これはその違いにあてはまるのかどうかわからないけど、試合もそうだし練習も、あるいはリング外の食事の摂り方にしても僕らとは違うわけですよ。昔はプロレスラーで今はアスリート。この違い、わかります?
―端的に言うなら豪快さですかね。
ライガー どっちが間違っているっていうんじゃなく、そういうところもイデオロギーの闘いだと思うんですよ。僕は自分がアスリートとは思っていない。あなたはなんですか?って聞かれたらプロレスラーであってそれ以外の何者でもないって答えますよ。
―アスリート、プレイヤー、表現者、アーティスト、あるいは近年ではタレントと表現される場合もあります。
ライガー 受け取る側がどう表現するかは自由だけど、自分自身はプロレスラー以外は言わないよ。アスリートって細かいじゃない? あんなのできないよ! ちゃんこで豚肉の脂を取って食べてるんだよ? 脂がおいしいんじゃん!
―脂支持派なんですね。
ライガー 食ってますよ! ぜーんぶ食ってますよ、肉なんだから。タンパク質だけで体を大きくするのは無理よ。何時間置きにプロティン飲んで、タンパク質は何グラム摂ってって…そんな細かいことをやるのがプロレスラーなのかって。知るか!
―やったことはないんですか。
ライガー 一時期プロティン摂っていましたけど、今はやっていないです。ちゃんこ食えって。だから今日も朝、道場でステーキ食ってきましたよ。
―朝食からステーキ!
ライガー 全然問題ない! 俺はプロレスラーなんだから!
―誰も見ていないところでプロレスラーらしさを発揮しなくても。
ライガー そういう姿勢からして、今のジュニアとは違うものが見せられるんだっていう自負ですよね。あのね、リングは非常識な場だと僕は思うんですよ。一般の人が普段目にすることのできない風景が見られるから、お金を払って観に来てくれるわけじゃないですか。日常の中で観られることにお金を払います? 普段から常識外な部分があっていい。もちろん、社会的に迷惑になることは絶対にやっちゃダメだけど。
―非常識…つまりは非日常的なものですよね。
ライガー だからね、そういう新弟子が入ってくると面白いんですよ。叱りつつも、そういうやつの方が僕は大好きでね。
―リング上は非常識だからこそ、マリア様が腰を振ったりすると黙っていられないんですね。
ライガー その通り! あれはいかなきゃ非常識にならない。(マスク越しに真顔で)吸い寄せられますから。会いたいねえ…マリアちゃん。
IWGPジュニアはまだまだ狙うし
ふく面ワールドリーグ戦も出てえ!
―それはさておき、スーパージュニアは5月から6月にかけて開催されます。同じシングルのリーグ戦であるG1クライマックスは毎回その過酷さがクローズアップされますが、スーパージュニアも同じですよね。特にライガーさんは全身コスチュームですから、梅雨に入ると大変なのでは?
ライガー 昔は本当に大変でした。でも、今は会場が新しくなっていて空調がバッチリなんですね。だから試合中はまったく気にならないです。むしろ僕は暑い方が好き。昭和だから。道場閉めきってやっていた世代なんで。
―梅雨の時期のコンディション作りで心がけていることはありますか。
ライガー 旬のものをちゃんと食べて、よく寝て、よく練習する。これしかないんですよ。それは梅雨に限らず一年中同じ。僕は巡業中飲みにいかないんです。付き合いが悪いって言われるんですけど、そんな時間があるんだったら寝る。7、8時間は寝るようにしています。
―シングルの連戦が続いて、終盤になって疲れがたまることはないんですか。
ライガー 溜まったなって思ったらちょっと練習を休むようにしています。休むのも練習っていうのは言い訳だけど、そこは無理をしない。その場合は必ず巡業についているトレーナーと相談して休みます。
―というのは、ここ数年のスーパージュニアのライガーさんを見ていると、前半快調に得点を伸ばしても終盤に負けが混んで脱落してしまうケースが見受けられるので。
ライガー そうなんだよねえ。それで、じゃあ前半は抑えたら…全然勝てねえじゃん!ってなっちゃうみたいなね。でも、四十代後半の方はわかると思うけど確かに疲れが抜けなくなりましたよね。昔はどんなに疲れていても一日寝たら抜けたんです。10が0になっていたのが、今は1か2残っちゃう。それが一日ごとに蓄積して…って。そこに関しては若い人はいいよなーって思いますよ。そういうものとの闘いでもあるんですよね、スーパージュニアは。疲れが溜まると集中力が落ちてケガにつながる。これだけはなっちゃいけない。
―ライガーさんはビジュアルでいったら不変なわけじゃないですか。加えて動きに関しても年齢によって落ちているという印象がまったくないので、そういう内なる闘いは見ている側としては実感しにくいんです。もちろんそれはいいことなんですが、でも人知れずそういう闘いを続けながらスーパージュニアを闘っているという認識があるとないとでは見方も違ってくるでしょう。
ライガー じゃあ、今度伝わるようにしようかな。疲れているアピールしますよ!
―現在のジュニアシーンの中で、やっていて手応えのある相手、エンジョイできる選手は誰になりますか。
ライガー それを言ったらみんなですよ。一人あげるとすれば、やっぱりKUSHIDAかな。レスリングで言えばカイル・オライリー。空間を利用した技だとリコシェ。ジュニアもいろんな要素があるわけですけど、KUSHIDA君はそれらをバランスよく持っているというか、何かが飛び抜けて1番っていうわけじゃなくて、すべてが2番っていうタイプ。すべてが2番だと2番になるんじゃなくて、平均値が一番高くなるタイプがKUSHIDA君なんだと思います。
―KUSHIDA選手はライガーさんと保永昇男さんのスーパージュニア決勝戦(1991年)を見てジュニアにあこがれたそうです。その現在形の選手に勝って優勝したら、これは大河ドラマですよ。
ライガー サイコーですね! KUSHIDA君と当たらなくても、優勝して「おいKUSHIDA!」って言いたいですね。
―それはIWGPジュニアヘビー級に挑戦するということですか。
ライガー おじさん優勝しちゃったよ。これでいいのかい?ってね。でも…リーグ戦に優勝するのは大変なんで、タイトルマッチを組んでもらって一発で獲る方がラクだよね。
―いやいや、優勝しましょうよ。
ライガー なんでよ! 優勝するには何回も勝たなきゃいけないじゃん。タイトルマッチだったら1回でいいんだよ? ……あれ? それを言ったらスーパージュニアの企画自体がダメなっちゃうじゃん。すいません_| ̄|○ 頑張ります!
―ちょうどいい話の流れになったので確認します。今でもライガーさんはIWGPジュニアヘビー級も狙いたいですか。
ライガー そこはね、現役としてリングに上がっている以上は目標がないとなんのために上がっているんだ?ってなるじゃないですか。ベテランになるとプロレスを楽しんでいますっていうスタンスになるけど絶対、心の中にもう一度そういうステージに立ちたいって思いはあると思うんですよ。目標がないと、あんなに苦しい練習を続けられませんって。だからね、大いにありますよ。IWGPジュニアをもう一度っていうのはね。
―スーパージュニアはもちろんIWGPジュニアヘビー級の挑戦者決定戦ではありませんが、今年は優勝→挑戦して奪取のあとに王者として「SUPER-J-CUP」(8月21日、有明コロシアムで開催)出場といういい流れが築けます。
ライガー そんなにいっぱい勝たなきゃいけないの!? まあ、さっきも言った通り口ではこう言うけど、ここ(胸を叩いて)にはあるんですよ。
―2月に第三世代(小島聡、天山広吉、永田裕志、中西学)が決起しました。今の主流を担う選手以外のベテラン勢でも心意気が感じられれば応援するのが、新日本プロレスのファンの素晴らしいところです。だから、ライガーさんが今の新日ジュニアに風穴を開けようとするなら、ファンは支持すると思います。
ライガー あれはありがたいですよね。それを聞いたら頑張っちゃおうという気になってきました! よし、ライガー頑張るってデカデカと書いといて!
―いや、見出しとしては弱いです。
ライガー そっかー…ひねりないもんなあ。でも、こうして話をしていると今年はまたジュニアが飛躍できるチャンスだなって思いますよ。「SUPER-J-CUP」の開催が発表されるや、僕の携帯電話に個人的ながらも「出たいです!」ってバンバン来ているんですよ。それはすべて会社の方に伝えています。そしてみんなに言っているのは、ケガだけはするなよと。全部がパァになっちゃう。これは一案なんですけど予選をやって、そこで負けても終わりじゃなくてJカップ当日はタッグマッチに出場するとかもいいんじゃないかなって思う。人数が多いんだったら2DAYSにしちゃうとか。
―8・21有明にもう1大会加えると。
ライガー まあ、僕の個人的な考えだけどね。前後空いてないの? 初日にトーナメントの1回戦やって、2日目は負けた人たちがタッグマッチに出るとか。面白くね?
―面白いです。
ライガー ほーら! 面白いことをやりゃいいのさ。もともとがそうだったんだから。
―じゃあ長州さんばりに押さえてください。
ライガー (長州力の声色で)それはおまえ、俺はちょっと無理だろ。
―でも東京ドームを押さえたじゃないですか。
ライガー (同じく)そりゃそうだけどおまえ、それはちょっとむつかしいだろ。
―ファンの声を聞くと、やはり幅広い団体からエントリーしてほしいというのがあるようです。それこそ第1回のように埋もれている選手がこれをきっかけにスターダムに昇っていくような、そういう可能性を秘めた選手が出たら嬉しいと。
ライガー それはよくわかります。そのためにJカップを利用すればいいんですよ。お互いが利用すればいいんだよ。
―Jカップのあとには、今年はみちのくプロレスが「ふく面ワールドリーグ戦」を開催することが決まっていますし、海外に目を向けるとWWEが世界中のクルーザー級を集めて大会を開催することも明らかになっています。何か世界規模でジュニアの新たなるシーンが生まれる予感がします。
ライガー ふく面ワールド、出てえっ! WWEよりみちのくさんの方に出たい! カッパが出るんだぜ!?(2007年の第4回大会にしばてんが出場) 俺、新崎人生社長(当時)に聞いたからね。これは妖怪なのか人間なのかって。そうしたら人生社長が、下を向いたまましゃべれないんですよ。
―もともと無口な方ですからね。
ライガー これ、僕が一番目の名乗りでしょ。
―確かにそうです。
ライガー ここで宣言しますよ。カッパとやらせろ!って。妖怪ウォッチも流行っているし。いやー、ジュニア来てるねえ。単純だから今、気分がハイになっちゃったよ。
―それをリング上で発揮してください。それでは最後の質問になりますが、2020年の公開が発表されたハリウッド版ゴジラ対キングコングですが、勝敗予想をお願いします。
ライガー (即答で)引き分けだね。
―ゴジラマニアのライガーさんだけに、ゴジラの勝利を予想すると思っていました。
ライガー 場所はアメリカ? これは難しいね。キングコングはアメリカの象徴だから、アメリカの映画会社がコングの負けることを良しとするかどうか…東宝さんにとってもゴジラは看板選手ですから負けられない。それをぶつけるわけだから、ゴジラ好きでも一概に勝つとは言えない。
―生臭い話になってきました。
ライガー カギを握るのは設定身長をどうするか。ゴジラの身長は50メートルだけど、50メートルもあるゴリラなんています?
―キングコングは通常7メートル台ですが、1962年の初シングルマッチでは45メートルまで伸ばしたそうです。
ライガー 実写版で中西っていう手もあるけどね。キングコングの替わりに中西がゴジラと闘うという。
―その場合、どちらの身長に合わせたらいいでしょう?
ライガー そこは中西がおっきくなったら鬱陶しいぜ? まあ、希望としてはやはりゴジラに勝ってほしいです…って、これが最後の質問なの!?