鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txt/場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2017年11月号には、第47回ゲストとしてプロレスリング・ノアの石森太二選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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石森太二(プロレスリング・ノア)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

セーラーボーイズの黒歴史から
始まったディファ有明と自分。
出たかったディファカップに
ギリギリで出場できる幸運

石森太二(プロレスリング・ノア)

©プロレスリング・ノア/FIGHTING TV サムライ/カメラマン:中原義史

闘龍門X日本逆上陸初戦の会場
ノアの試合や道場で思い出を刻む

―今回、初めてディファカップに触れるわけですが、開催されていた当時はどんなものとして映っていましたか。

石森 第1回に関しては僕の師匠(ウルティモ・ドラゴン/YOSSINOとのコンビでタッグトーナメント優勝)が出ていますからね。出場する直前まで付き人をやっていたので「俺、ディファカップに出るから」って言いふらしているのを見ていいなーって思っていました。それもあって第2回に出られたらと狙ってはいたんですけど、これといったパートナーが見つからなくて。

―タッグトーナメントですから、固定のパートナーがいないとエントリーされづらいというのはあったでしょうね。

石森 ディファカップに出た選手って、みんな今では出世しているじゃないですか。丸藤(正道)さんもそうだし、KENTA(ヒデオ・イタミ)さんはWWEにいって飯伏(幸太)君も今ではヘビー級だし。あそこで名前を売ってそこから上がっていくんだなっていうのは見ていても感じたんで、そういうステージに対するあこがれはあったんですが…第3回大会の時はフリーとしてノアに上がっていたので、とにかくそこにしがみついていくので一杯いっぱいだった。そうやって、縁がないまま来てしまったんです。

―過去の記録を見ると、名前が入っていないのは意外に思うファンもいるでしょう。

石森 それが10年経って実現するという。 今回、出場する選手の中でも当時をリアルタイムで経験している人は少ないだろうし。タッグのトーナメントではないけど、ディファカップに参加できることに変わりはないですから、素直に嬉しいです。

―相手はDDTのマイク・ベイリー選手です。これまで接点はないですよね。

石森 何度か映像で見たぐらいですね。彼のスタイルは、見ていて惹きつけられるものがありました。いろんなタイプの選手とやっていますけど、あれほど蹴りを連打でできる選手は見たことないです。何がベースなんですか?

―テコンドーをやっていました。北斗の拳ではないようです。

石森 テコンドーなんですか。そっち(北斗の拳)かと思っていました。漫画の世界じゃないですか、あの蹴りの連打は。それをやりつつハイフライの技も出すんですから、ジュニアの新世代プレイヤーという印象です。

―普段、肌を触れる機会のない選手とやるのは刺激的でしょうね。

石森 今年からImpact wrestlingで試合をさせてもらっていますけど、やっぱり日本でやるのとは全然違う。やったことがない選手とやれる新鮮味をこのキャリアでも味わえているのは大きいです。

―知らない選手とやるのは石森さんの場合やりやすいですか、やりづらいものですか。

石森 やりづらい部分もありますけど、僕はそこを楽しむ方に持っていっています。どう攻略するかを考えるのが楽しいんで、マイク・ベイリー選手のあの動きを攻略できれば今までに見せたことがない僕のプロレスになると思っています。あとは、ノア以外のディファに出るというのがほとんどなかったので、それもどんな感覚になるのか楽しみにしている部分でもありますよね。いつ以来になるんだろう…たぶん、セーラーボーイズ(現在のバラモン兄弟と結成していたアイドルユニット)として逆上陸した時以来になるんじゃないかな。

―そこまでさかのぼりますか。

石森 ディファでの試合自体久しぶりだし(2016年12月23日以来)、2018年に閉館するのが決まっているのを考えると、ギリギリここで試合ができるというのは幸運なんだと思います。ベイリーといい試合をやって、いい意味での区切りをつけたいですね。

―ディファでの思い出に残っている試合はたくさんあると思われますが、真っ先に思い浮かぶのはどれになりますか。

石森 ザック・セイバーJrとやったGHCジュニアヘビー級戦ですね(2013年8月4日)。ノアの13周年興行だったんですけど、一番自分の中でベストバウトに近いかなと思える試合ができたので。

―それまでメキシコをルーツに培ってきたスタイルとは、まったく異なる選手でした。

石森 違ったタイプとやると、自分の違った扉が開くんだなと実感できた試合。見た方にも面白かったと言ってもらえたのも含め、達成感が大きかった試合でした。

―試合とは別にディファでのエピソードとなると?

石森 そこはセーラーボーイズになっちゃうんでしょうねえ。あれほどの失敗はあとにも先にもないですよ。

―これほど語り継がれているのに、本人としては黒歴史にしているんですよね。

石森 周りはそう思っていないようですけど、黒歴史です。

―あまりにインパクトが大きかったからか、今なお自分の手を離れてひとり歩きしてしまっています。

石森 勝手にやってください。闘龍門Xとして日本に逆上陸した時の最初の試合がディファ有明で、それ以後も後楽園ホールより多かったんですけど、とにかく極度に緊張したことしか憶えていないんです。だからノアとして上がるまでは、緊張した場所のイメージしかなかった。

―逆上陸する前にファンタジーファイトWRESTLE-1(現在の団体とは別のイベントタイトル)の東京ドーム大会で日本における初試合をおこなって(2003年1月19日)、もっと多くの観客の前でやっていたにもかかわらず緊張したと。

石森 セーラーボーイズ初披露がその日だったんで、試合と歌と踊りの緊張。入念なリハーサルをして、それでアレですからね。

―ということは、ノアに来るまではディファ有明=セーラーボーイズぐらいの位置づけだったと。

石森 そうです。緊張とセーラーボーイズ。だから本当にディファ有明は縁のある会場なんですよ。ディファカップはなかなか縁がなかったけど。

―当時のエピソードとして、試合を終えたあと売店に直行しセーラーボーイズの3人でサイン会をおこなっていたら、バラモン兄弟(当時は佐藤秀&佐藤恵)のファーザーが女性ファンでいっぱいとなった人垣の後ろから「おーい、秀、恵、今日は帰ってくるのかー?」と叫んで、あのおっさん何?という目でいっせいに見られたというのがありました。

石森 ありましたねえ! ディファカレーを売っているカウンターの横に売店を出してグッズを売っていたら聞こえてきたんで、目を合わせず黙々とサインをしていました。そう考えると、僕のディファにおける歴史はそこから始まっているのか。

―いいエピソードじゃないですか。

石森 いいエピソードでもディファカップと関係ないじゃないですか! そのあとノアに上がって、道場でも練習するようになってあの周辺の風景は自分の中に強く刻まれて。単なる試合会場としてだけでなく、日常を過ごした場所なわけですから、厳しい思い出といい思い出の両方がある場所ですよね。

―2006年にノアへ初参戦した時はまだフリーでしたが、自ら頭を下げて道場の練習にいっていたんですよね。

石森 僕は闘龍門でデビューしたから、いわゆるルチャリブレの受け身だったんです。それが初めてノアの練習に参加した時、プロレスの受け身ってこんなに違うんだ!と驚いたのが今でも鮮明に残っています。だから本当にイチからやり直すつもりでしたよね。鈴木鼓太郎さんが一番教わった方で、周りも凄い人たちばかりじゃないですか。潮﨑(豪)さんに青木篤志さん、太田一平(引退)とかがいた代で、その中で小橋(建太)さんがガンガンに練習してて丸藤さん、杉浦(貴)さんもいる。これはとんでもないところに来たなと思いましたね。でも、試合数も少なければ練習する場所もなかったんで、ここでやっていくしかないというつもりで覚悟を決めていました。だからあの2006年は、今思うと自分にとっての大きな転機の年だったんです。そうやって自分の汗や思いが染み込んだ場所ですからね、有明は。

―練習以外では、あの周辺でどうやって過ごすんですか。

石森 あのへんは僕もよくわかんないです。合宿組じゃなく通いだったんで、有明コロシアム向こうの橋をテクテク歩いてお台場に出るか、ゆりかもめに乗って新橋に出るしかない。練習帰りにそうしていました。

普段はダメだけどリングで輝く
人間がXXのメンバーの条件

―ノアジュニアに話を変えますと、昨年末あたりから他団体やフリーの選手たちがレギュラーで上がるようになって団体内の風景も変わり、新鮮味を味わえているのではないでしょうか。

石森 そうですね、みんな今までのノアにはなかった色ですから、そこが面白いものになっているんじゃないかと思っています。

―小峠篤司、原田大輔、大原はじめ、Hi69、HAYATA、YO-HEY、タダスケ…いずれも2006年にノアへ上がった時にはいなかった選手たちです。その中で、Hi69選手と組むようにしたのはなぜだったんでしょう。

石森 そこは同じような境遇を経験してきたことがつながりになりましたね。向こうもKAIENTAI DOJOのエースとして見られていながらなかなかうまくいかなくて、大ケガをしてリングを離れていた時期もあって。そういうのを乗り越えてノアにやってきた。僕も闘龍門Xのエースとして売り出されたけど解散して、そのあとに設立されたdragondoorも離れてしまった。今思うと現実から逃げていたんですけど、そういった自分たちの歩んできた話を出し合っているうちに、俺たち似てるねーってなって。若い頃に共通の友人を通して食事にいったこともあって、その時も感覚が似ているなと思っていました。ノアに上がって初めてシングルマッチをやった時(2016年12月14日、新宿FACE)、すごく手が合った。その時の感触で、これは組んでも面白くなるんじゃないかってお互いが思ったという。

―XX(ダブルエキス)というユニット名は何か元ネタがあるんですか。

石森 これはですね、僕ら2人は基本ダメだったってことですね。バツが2つ。

―そんな後ろ向きな理由だったんですか。

石森 はい。2つの×をつけて、エックスのスペイン語読みがエキスなんで、ダブルは英語のままにして“ダブルエキス”がいいねと。

―では、もう1人ダメな人間がいたら加入させてトリプルエキスになる可能性もあると。

石森 いやー、あまりいないと思いますよ、僕らぐらいダメなのは。それで、そんなダメな2人でも合わさるとよくなる、新たな科学反応を示すというのがコンセプトなんで。

―マイナスとマイナスをかけるとプラスになるみたいな。

石森 そうそう! そういうあくまでも前向きな発想ですから。

―いや、なぜ3人があり得るか聞いたかというと、RATEL'S(ラーテルズ)が4人じゃないですか。ずっと2人だけというのもシンドいのではないかと思ったからなんですけど、マイナスを3回かけたらまたマイナスに戻っちゃいますね。

石森 数学的にはそうなりますね。メンバーを増やしたいという気はあるんですけど、ダメな部分がないと。それが条件ですから、ウチらに合う人間がいるかどうか…。

―XXに入りたければ、自分のダメっぷりを高らかにアピールしろと。

石森 ダメでいて、その上でリングに上がれば輝くというところは必要ですよ! まあ、そこは波長が合うかどうかです。

―まさに飯伏幸太のようなタイプ?

石森 あー、飯伏君は適任ですね! ああいう普段はダメなのにリングに上がると凄いという人はいないですかね? これがね、今ってなかなかいないもんなんですよ。昔はプロレスラーってリングを降りるとメチャクチャだったっていうじゃないですか。でも今は普段もキッチリしていますからね、みんな。Hi69はその点、飲んだくれていますけど。そういうのがなかなかいない。ぶっ飛んだ人間がXXには欲しいんで。

―10・1横浜文化体育館大会で原田選手にGHCジュニアヘビー級王座を奪われてしまいましたが、これからジュニアでやっていこう、形にしていこうと思っていることはどんなものがありますか。

石森 僕はジュニア戦線という枠で考えずに、ノア全体を巻き込んでいきたいと思っています。これはずっと言ってきているので変わらないです。体格はジュニアですけど、ヘビー級を食いたい。

―5月にHi69選手と2回続けて杉浦&拳王をリングアウトで破ったことがありましたが、ああいうのはファンにとっても痛快だったと思われます。

石森 お客さんの想像をいい意味で裏切った形ですよね。ああいう驚きを提供していきたい。今はまだ、ヘビーとジュニアの隔てがあります。でもそれを取っ払ってやれるようになれば、風景が変わる。今とは違ったノアの刺激的な景色を自分たちで生み出していくには、もっと今以上に実力を上げていかなければならない。そこを目指しています。当たり前のことをやっていたらダメなんですよ。

―たとえばジュニアとしてGHCヘビー級王座を狙うとか。

石森 将来的にはそこまでいきたいですよね、レイ・ミステリオがWWEで実現させたように(ミステリオは軽量級でありながら世界ヘビー級王座を2度奪取している)。10年経っても自分は今より筋量が上がってやっていると思うので。やっぱりね、杉浦貴というモンスターを見ていますから。ああいうの見ると、俺もまだできると思えますし年齢はまったく関係ないです。身長が大きくなくても筋肉の量でカバーできる。それをまだやっていないだけで、これからの僕はそこに着手しなければならないんだと思っています。

―着手していないというのは、ジュニアのスペックに合わせているからですか。

石森 それ以上にヒザへの負担の問題です。急に増やすとヒザに来るんで、そこは緻密にやらないと逆に失敗してしまう。一歩一歩着実にやらないといけないんで大変ではありますけど、それもまた楽しいし。

―日本に定着した頃は、これほど肉体作りに対し高い意識を持つ自分というのは考えられなかったのでは?

石森 そこまでの考えは確かになかったですけど、人間的には根本が変わっていないと思うんですよね。ただコツコツとやってきただけで、急激に自分を変えようと思ったわけでもなかったし。自分がプロレスラーにあこがれた頃も、今のような肉体になりたいなんていうのはなくて、ただマスクマンになりたかっただけでした。

―地元(宮城県多賀城市)にみちのくプロレスが来て、見にいったのが入り口でしたよね。

石森 最初はサスケさんにあこがれて、それでマスクマンになりたくなったという。

―そのザ・グレート・サスケ選手には勝手にニュー・セーラーボーイズとかをやられていますが。

石森 あれ、全然話聞いてないです! まあ、もう自分は関係ないんで好きにやっていただいて構わないんですけど。

―そんなことを言ったら、何年周期かでやられますよ。

石森 いいですよ。ただし自分は絶対にもう二度とやりません。プロレス界に絶対はないとよく言いますけど、セーラーボーイズに関しては絶対にやりません。

―当時を知らないノアのファンの皆さんで「セーラーボーイズというのを見たことがないんですけどやってもらえませんか?」という民意が高まったとしてもダメですかね。

石森 いやあ、もう歌詞も辛うじて憶えているぐらいだし。最後に歌ったのって、健さんが週プロを退社するときの送別会ですよ。

―ええっ、あれが最後だったんですか!?(2009年10月) ちょうどサスケ選手も参加してくれて、石森さんが『キープ・オン・ジャーニー』を歌うと誰よりも喜んでいました。よほどセーラーボーイズが好きなんだなと。

石森 なんかその場のノリで、退社されるんだからと特別にということで歌う流れになって、サスケさんが異常にノリノリだったのもあって(バラモン)兄弟がいない中、ソロで歌ったんですよね。

―それを思うとソロというのはレアでした。セーラーボーイズではなく、セーラーボーイですよ。

石森 もう人前ではやらないです。だけど…アレがあるから今があるということで、ディファにつながるんですよね、ちゃんと。

―どうして闘龍門でデビューした時に、マスクマンにならなかったんですか。

石森 校長にダメって言われたんで。校長は被ってんじゃないですかと言いたかったけど。

―セーラーボーイズをやらせるのであれば、素顔でとなるでしょうね。

石森 だから今、入場の時だけ被っているじゃないですか。ようやくなりたかった頃の自分になれたなと。今のノアにはマスクマンがいないんで必要だとは思うんですけど、今から自分がやってもバレバレですからね。イベント的な試合では何回かやっているんですけど。

―このインタビューが出る時は2017年も残り2ヵ月となっているわけですが、来年も含めてまだやっていないことで形にしていきたい長期的目標がありましたらお願いします。

石森 今の自分が一番やってみたいことは、もう一度メキシコを狙いたいですね。10月にルチャアンダーグラウンドの日本公演に出させてもらいましたけど、本拠地のロサンゼルスにいってあの世界観の中に入ってやってみたいと思うし、見続けているうちにすごく魅力的に映るようになりました。それと並行して、今年は一度もいけなかったのでメキシコ。

―AAAですね。

石森 やっぱり自分の人生においてメキシコという国は特別なものなんで。もともとメキシコにいきたくて、その手段としてウルティモ・ドラゴンジムに入ろうとしたんですよ。それでまず神戸の闘龍門に入って練習を積んでからメキシコに渡るはずだったんですけど、お金がなくていけなかった。でも校長が特待生にしていただいて、渡航費は自分で出して学費を免除される形でようやくメキシコにいけたんです。そこまでしてあこがれた国だし、今からでもメキシコで有名になりたいという願望もあるので、来年はメキシコを攻めたいですね。

―あこがれてみて、いざいったらどう映りましたか。

石森 まあまあいい加減な国でしたね。でも、そのいい加減さが懐かしく感じる。いろんな国を見てきましたけど、一番お客さんの盛り上がりが凄いんで、あの熱狂の中で試合をするのは何ものにも換え難いです。

―オカダ・カズチカ選手と松山勘十郎選手が同期で、街中で野良犬に追いかけられてYの字のところで分かれて逃げたら、犬が勘十郎選手の方を追いかけていったと。それでオカダ選手は助かって、今のIWGPヘビー級王者としての姿があるというエピソードを以前に聞きました。そういうメキシコならではの体験は?

石森 タクシーに乗っていたらパトカーが追いかけてきて止められて、手荷物検査みたいなのをやられて財布ごとお金を取られました。どういうことのかわからないんですけど、タクシーの運転手ではなく乗客が取り調べをされた揚げ句、お金を取られるという。あれでちょっと嫌いな国になりましたけど、日本に帰ってくるとまたいきたくなるんですよね。あのルーズな感じが自分の性に合っているんだと思います。そういった空気を吸って、それをノアのリングに還元できればいいなと思っています。