鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txt/場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2017年12月号には、第48回ゲストとして大日本プロレス・橋本大地選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

※『月刊スカパー!』(ぴあ発行)の定期購読お申込はコチラ
※鈴木健.txt氏 twitter:@yaroutxt facebook:facebook.com/Kensuzukitxt

橋本大地(大日本プロレス)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

プロレスは「魂と魂の激突」という
概念的なものを形にできるんです

橋本大地(大日本プロレス)

©大日本プロレス/FIGHTING TV サムライ/カメラマン:蔦野裕

それがストロングBJにあるから大日本にのめりこめる

―10月の「最侠タッグリーグ」で、神谷英慶選手とのコンビで初優勝を果たしました。リーグ戦やトーナメントを制覇するのはこれが初めてですよね。

橋本 はい。優勝はしたんですけど…証のようなものがなかったんで、そういうのが欲しいなと思いましたね。タイトルと違ってベルトがないじゃないですか。

―優勝カップやプロティン1年分が授与されましたよ。

橋本 プロティンは飲んだらなくなっちゃうし、優勝カップも持ち歩けるものではないんで。入場する時に、毎回抱えてくるわけにはいかないじゃないですか。もちろん優勝を目指して出場してできたのは嬉しいですけど、グワーッという実感がないままですね。優勝して、パネルを受け取って撮影に応じている間も神ちゃんと「俺ら本当に優勝したの? こんなふうに写真撮られてていいのかな?」って会話していたぐらいで。その時の様子が週刊プロレスの表紙になっちゃった。あれを見た時に「ああ、本当だったんだ」って少し実感しました。あとは優勝を果たした直後に、フォロワー数やYouTubeチャンネルの登録者数が増えて。こういう現象って本当に起こるんだって。

―週刊プロレス誌の表紙にはこれまで何度か飾っていますが、実績によってなれたのは喜びも違ったでしょう。

橋本 今までは七光りでなってたのばかりですからね。自分たちの力でなったのは初めてかな。発売される前に表紙の画像が出回るじゃないですか。それを見て、コラだと思ったんですよ。

―そんな手がこんだこと、誰もやらないですよ。

橋本 わざわざ週プロのホームページにまで飛んで確認しましたからね。ああいうのも形ではあるんですけど、リング上で示せるモノがあったらなあって思いますよね。だからこそ大神として(BJW認定)タッグのベルトや、個人でも(BJW認定世界)ストロングヘビーを狙うしかないんですけど。

―このリーグ戦を通じて神谷選手との間で変化はありましたか。

橋本 今までもずっと組んではいましたけど、このタッグリーグ中に交わす言葉が多くなったかな。もちろんそれまでも普通に喋ってはいましたけど、お互いに干渉することはなかったんです。なぜかというと2人とも基本、人見知りだから。でも…簡単に言ったら慣れたってことになるんでしょうけど、リング上のこともプライベートでも指摘し合えるようになった。

―どういうことに対し指摘するんですか。

橋本 それは言えない。

―神谷英慶はここで言えないようなことをやっていると。これまでは2人で大神というチームをやっていたような印象だったのが、このリーグ戦で橋本大地&神谷英慶組になったなと思ったんです。

橋本 ああ…今までは、必死こいて自分のやるべきことをやっていたのかもしれないですね。自分のことだけで手いっぱいのようなチームが、あのメンツの中で勝てるわけがない。だから、勝つためのことをやっているうちに自然と変われたのかもしれません。

―優勝戦の相手がデスマッチブロック代表のアブドーラ・小林&伊東竜二組で、ハードコアルールでした。

橋本 デスマッチはおろか、ハードコアルールの試合自体あれが初めてだったんです。通常ルールの中でイス攻撃を食らったり、テーブルクラッシュを体験したりはしているんですけど、ハードコアは大日本に来てからもやっていなかった。鼻血や口を切ることを別として、流血も初めてでした。

―初めてでいきなり額をフォークでズタズタにされたと。

橋本 試合のあとにマック竹田レフェリーから「あれはデスマッチルールではないので反則です」って言われて。なんで止めてくれなかったんだよ!って。 /p>

―あの試合はフランク篤レフェリーが裁いていましたからね。しかも、伊東選手がうまくレフェリーの目を引きつけている間に小林選手がフォーク攻撃をしていたので。大日本のリングで凶器を隠しながら使うシーンは逆に新鮮でした。

橋本 試合中は「ハードコアってこういうもんなんだな」と思いながらやっていたんですけど…そのへんは(小林&伊東は)さすがですよね。普段はパスタを食べる時とかに見ているものを自分の頭に突き立てられて…一発目でこれはフォークだなってわかったんですよ。そのあと傷口をエグられた時に、フォークってこんなに痛いのかと。あれは精神的ダメージを与えるものなんだなと思いましたね。もちろん肉体的に流血しているわけですけど、皮膚がエグられているっていう状況で気持ちが萎えてしまう。それはイス攻撃とかとは違うんだなって思いました。

―まあ、あだ名が“ブッチャー”だったお父さん(橋本真也さん)も、さすがに頭へフォークを突き立ててはこなかったでしょうからね。

橋本 だから、あの優勝戦はこれまで経験していなかったことがバーッとあった試合だったんです。言ってみれば、もう一方の大日本を体感したわけですけど…私はもういいと思いました。

―経験してみて、デスマッチにも足を踏み入れたいとは思わなかったと。

橋本 逆でしたね。もっとストロングを極めたいと思いました。最侠タッグで優勝するには、一度はハードコアルールでやらなければならないわけだから、対応できるようにはしなければならないと思いますけど、あれを日常的にやっているデスマッチの人たちの気が知れない。そう思うぐらい、凄いことをやっている人たちだなって思います。正直言っちゃうと、あの優勝戦で小林さんや伊東さんが蛍光灯を持ち出してきたらどうしようって思っていました。怖かったです。

―怖かったと言えるんですね。

橋本 あの中に入るのってそういうことなんですよ、本来は。大日本はデスマッチ団体であって、お客さんもデスマッチを見に来る。それが当たり前の風景になっているわけですけど、デスマッチのリングってもともとは非日常的なプロレスの中でさらに非日常の空間なわけじゃないですか。だから僕は、セコンドとして見ながらこの中には入れないって思っています。それほどのことをあの人たちはやっているし、自分にはできない。

―でも、ストロングにはストロングの怖さがあるじゃないですか。

橋本 それは楽しいと思えるんですよ。そこは同じなんだろうなとは思います。デスマッチの人たちはデスマッチの怖さが楽しく思えるんだなって。そこで私は楽しいって思えないタイプなんでしょうね。

巡業バスの席に戻ると自分の居場所があることを実感する

―ストロングBJを極めていく中で、鈴木秀樹選手がその最高峰である世界ストロングヘビー級王者として君臨しています。11・1後楽園では神谷選手のチャレンジが退けられたところを目の当たりに試合後、突っかかっていきました。

橋本 IGFの時から面識はあって、凄い人だなと思っていたんです。道場でも直接教わっているし、あの頃からああいう感じの人でした。それで僕がZERO1を退団する挨拶をリング上でした時に、IGFから初めて参戦してきて(2014年4月6日、新木場1stRING)。そのあと僕の方がIGFに入団したんで、周りからはトレードって言われたんです。そこからあまりIGFには出なくなったんですけど、道場へ練習には来ていて。そこで決め方とか、IGFでやっていく上で必要なものを教わりました。大日本に参戦することを聞いた時も、この人が来ればストロングBJは変わるって思ってウェルカムだったんです。ベルトを獲るだろうなと思っていたらやっぱり獲って。そこに関しては何もないんですけど、獲ったあとが暴走しているんじゃないかと。両国(河上隆一相手に防衛)のあと、あんなベルトを振り回したりして粗末に扱っているのを見て、突っかかっていったのがはじまりで。そのあともずっとそれは違うだろって思い続けてきたんですけど、神ちゃんが負けた時は単純に悔しかった。自分と一緒にやってきた人間が負けて、自分が負けた気になりました。たぶん、大神が自分一人じゃないってことなんですよ、その気持ちって。

―両国後の8・19名古屋大会で挑戦し敗れてしまいましたが、大日本以前の関係を思えばベルトの存在を抜きにしても勝たなければいけない存在になります。

橋本 僕は物事すべて、必然だと思っているんで。自分がZERO1に入ってIGFにいって、大日本に来たのも偶然ではなく、なるべくしてなったんです。今は必然とは思えないけど、鈴木秀樹に勝ってストロングのベルトを巻いた時にそれが必然だったんだって気づくんだと思います。

―2011年デビューですから、キャリア6年以上でまだ戴冠経験がないというのは意外というか、不思議とベルトに縁がないというか。

橋本 だからこそタッグリーグに優勝した時、証が欲しかったっていうのもありますよね。ずっと、チャンピオンベルト巻いてみたいなあって思ってきたんで。

―3団体を渡り歩いてきた中で、大日本のストロングBJにこれほどのめり込めるのはどこにモチベーションの根源があるのでしょう。

橋本 僕は、闘いとは何か?って聞かれたら「魂と魂の激突」と答えます。それをどう伝えるかがプロレスラーの技量ってなるんでしょうけど、試合になると魂という概念的なものを形にできるんですよね。大将(関本大介)しかり、岡林(裕二)さんしかり。そういうものがこのリングにあるから、あの人たちのようになりたいと思うし。もちろん闘いはほかのリングにもありますけど、大日本のストロングBJの中に魂と魂のぶつかり合いがあったのが、ここでやっていきたいと思った理由でした。ベルトも、欲しいと思いながら手の届かないところにある気がしていたんですけど、神ちゃんが先にストロングヘビーのベルトを獲ったのを見た時、俺らにも可能性はあるんだって思えて。そこからでしたね、猛烈にベルトが輝いて見えて、欲しくなったのは。

―プロレスをやる上で、ようやく自分を突き動かすものに巡り合った。それが大日本のストロングBJだったんですね。

橋本 あー、そうかもしれない! 今まではやりたいことをやって、自分が楽しんできただけなんで、言われるまでそういうことを考えなかったです。ましてやデビュー当時なんて必死でしたから、そんな余裕もなかったし。

―大物選手との対戦が組まれて、それをやることで一杯いっぱいでした。

橋本 親父が亡くなった時に初めてプロレスラーになるんだって思って入ったのに、プロレスを楽しいと思う間もなかったですから。でも、今は言われてみれば楽しめているわ…。

―それが先ほど言った、ストロングの怖さも楽しめているということなんでしょう。

橋本 (佐藤)耕平さんのエルボーって凄いじゃないですか。でも、あれを食らって頭が飛びそうになりながら、一方では「どうやったらこのエルボーより凄いモノが打てるんだろう」って思いながら返しているんです。一発ずつ若干角度を変えてみたり。そういうのが痛いし怖いんだけど、楽しいよなあって思える。

―あんな凄まじいエルボーを食らっている最中でも意外と冷静なんですね。

橋本 前はそういう時って、ガムシャラにしかいけなかった。細かいところで言うと、そういうものの一つひとつがやり甲斐につながっているんだと思います。これも偶然なのではなくて、自分で考えて歩みを進めていった結果、たどり着いた必然だと思うし。

―大日本との絡みは橋本和樹選手が発端でしたよね。

橋本 その前に僕が関本大介に噛みついたんですよ。でも、その後ろから和樹が出てきて、同じ苗字というだけで喧嘩になって…それきっかけで大日本へ上がるようになったら、仲が悪いまま登坂(栄児)社長に組まされて。今思うと、あれも登坂社長の策略でしょうね。ZERO1を辞める時点で大日本が好きになっていて、アゴの骨折で欠場していたんですけど復帰戦を大日本のリングでやりたいって話を持っていったら、それを受け入れてもらえて。IGF入団の話はそのあとに来た関係で、ZERO1退団→IGF入団→大日本で復帰戦(2014年6月15日、広島産業会館。和樹と組み佐藤耕平&石川修司のBJW認定タッグ王座に挑戦)という流れになったんです。

―ZERO1退団から大日本へという考えはなかったんですか。

橋本 その頃、僕はフリーにあこがれていたというか…フリーでやっていける技量もないのに。フリー=自由、自由っていいよなあっていう単純な理由なんですけど。そんなタイミングで声をかけてくれたのがIGFだったと。だから、自分からこの団体に入りたいという意識がなくて、大日本に入りたいというようには考えなかったんですけど、でも大日本そのものは好きでしたよね。

―最終的にIGFから大日本に移ったのは?

橋本 2015年まで所属したんですけど「来年から一試合契約にしてくれ」ってメールで打診されたんです。それで「つまりフリー扱いになるということですか?」って聞いたらそういうことだというので「それではこちらで所属団体を見つけてもよろしいですか?」と確認したら構いませんと。ただ、その話が出る時点でIGFから出ようと僕は思っていて、和樹とか仲のいいメンバーには相談していたんだった、確か。それで登坂社長と私と和樹と食事をすること2回。そこで、来年(2016年)から大日本に参戦しますとなった時、所属になれるとは思わっていなかったんです。

―あくまでもフリー参戦だと思っていたと。

橋本 しばらくフリーとして上がって、それから所属となるかどうかの判断を社長がしてくださるとばかり思っていたのが、その場で「じゃあ、所属で」という感じで話がポンポン進んで。驚いたし、すげえ嬉しかったし。それも社長の計算だったのかもしれないですね。恐ろしい男です。

―大日本へ思い入れを持つように持っていったと。外から見ていた時は、デスマッチ団体という受け取り方だったんですよね?

橋本 和樹とやり始めた頃は、そうじゃなかったです。そこまで考えていなかったんで。そのあと、大日本に来てからですよね、そういえばここは普通の団体じゃなかったんだっけって。小学生の頃だったかな、CSで大日本の放送を見て伊東竜二ってすげえ!って思った記憶があるんですよ。「蛍光灯でバコバコぶん殴られているのに生きているよ!」って。あ、その人の団体だ! やべえとこに来ちゃったよと。大日本に参戦した最初の頃、通常の試合で受け身をとったら蛍光灯の破片が残っていたらしく、体が切れたんですよ。

―大日本あるあるです。

橋本 試合よりそっちの方が気になっちゃって。あとはグッズの量に圧倒されました。しかもそれを選手が率先して売り歩いているなんて。

―それまでに経験していなかった大日本独特の文化、姿勢がありますよね。

橋本 グッズひとつを売るにも活気が違う。一日の売り上げがこれぐらいあったって聞くとテンション上がるようになりました。別に自分の懐へ入るわけでもないのに。今でもあまり大日本のカラーとかは考えていなくて、自分のやりたいことをやっているっていう感覚なんですけど、それが合っているから楽しめるんでしょうね。たとえば移動も、IGF時代は新幹線や飛行機だったのが、今は十何時間もかけてバスで移動していますけど、みんなと一緒だと苦ではないですから。別に決めているわけじゃないけど、誰がどの席に座るのかって自然と固定するじゃないですか。自分の席に座ると、帰ってきた感がするんですよね。ちょっと落ち着く場になっている。大日本に来るまでは自分の席っていうのがなかったから。

―そういうことで自分の存在や居場所を実感できると。

橋本 普段はそこまで深くは考えないですけどね。一応、大日本の中で自分ができることを考えて僕はYouTubeやっているんですけど( 橋本大地・なんだ神田プロダクション/ https://www.youtube.com/channel/UCm4NFG8qMeq0WACxbS2IFoQ )、今年のはじめに抱負としてベルト奪取とYouTubeを更新することをあげていたのに、ベルトは獲れてないわ、YouTubeも100個あげようと思って40ぐらいで止まっているんで、来年はもっとアップしないとなって思っています。

―自分でカメラを回して、選手の日常を追っているのは面白いと思いますよ。

橋本 大日本の選手って、試合以外にもみんな自分の仕事を持っているんですよ。でも僕は営業もできないしデスマッチアイテムを作ることもできないんで、そういう形で大日本を知ってもらうことを発信しようかと思っているんで。