スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2020年11月号では、第79回ゲストとして大日本プロレス・関本大介が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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プロレスラーを目指した場所に
大日本としていけるのが嬉しい
関本大介(大日本プロレス)
撮影:中原義史
府立は徒歩でいける範囲内
全日本とリングスを見にいった
大阪出身の関本選手ですが、ファン時代のエディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)にまつわる話から聞かせてください。
関本 中学で高知の明徳義塾にいくまで、日本橋あたりに住んでいました。東京でいうところの秋葉原なので、私はアキバ系なんです。
アイドルや電器製品に詳しかったとか?
関本 全然そんなことないです。小学5、6年の時、そこで○○○をやったりとか。
それは書けません。ほかには?
関本 ほかは…黒門市場の近くに公園があって、そこで友達と集まって○○○を○○ることをやっておりました。
それも書けません。
関本 うーん…キックベースが流行っていたんですよ。僕、その頃から体重があったんで、蹴ったらメチャクチャ飛んで、かなりのスラッガーでした。高津小学校というところに通っていたんですけど、一時期“高津小のブライアント”と呼ばれていました。
元・近鉄バファローズの!
関本 ブライアントが好きだったので嬉しかったです。自分で「俺、ブライアントみたいやろ」って言っていました。
だからみんなが言い出したんじゃないですか。
関本 あっ、そうだったのか! 今、気づきました。それで府立に初めていったのは小学校4年か5年の時で…叔父が同居していまして、プロレス好きで見にいくかと言われて徒歩でいったのが全日本プロレス。スーパーファミコンで全日本のゲームをやっていたので、その中に登場するキャラクターが本物の人間として見られたわけです。そのデカさに興奮しまして。でも、1回目は府立の第2競技場だったんです。2回目がメインアリーナの方で、これも全日本でチャンピオン・カーニバルの最中。小橋建太さんとスタン・ハンセン、スティーブ・ウイリアムスとゲーリー・オブライトの公式戦が組まれていました(1996年4月1日)。もう、広すぎてとても体育館と呼べるものじゃないなと思いました。本当に“アリーナ”だなと。そこにデカいレスラーが出てくるので、リングがちっちゃく見えましたね。その時も叔父さんがチケットを買ってくれて、1階席で見られました。その時、小橋さんがハンセンに勝ったんです。パワーボムを潰してそのまま押さえ込んだ瞬間、アリーナが「ブワーッ!」となって、お客さんが歓喜ですよ。自分も全身鳥肌になって、この興奮は一生忘れられないな、俺もあのリングに立ちたいなって思ったんです。
プロレスラーになりたいと思った場所が府立の1階席だったんですね。
関本 そうなります。あの頃は外国人選手が強くてデカくて強大で、それに日本人選手がぶつかっていく図式だったと思うんですけど、最初は外国人選手が好きで見ていたのが、次第にやられながらも歯を食いしばって立ち上がる姿を応援していましたね、自然に。特に菊地毅さんに頑張れ頑張れ!って。まさに日の丸小僧。
火の玉小僧ですね。府立へ見にいった帰りはどこかに寄ってご飯を食べたりしたんですか。
関本 府立へ見にいった日は、だいたい一度家に戻って、その叔父さんの友達がやっている洋食屋さんに出前を頼んでみんなで食べていました。なので寄り道はしなかったですね。でも、そんなに何度も府立にはいっていなくて、その全日本の2回以外では…リングスにいっています。父がWOWOWに入っていてリングスを見ていたんです。そのチケットを持っていて、弟と叔父と3人でいきました。ヴォルク・ハンの関節技がすごすぎて驚いたのと、リングスのバスタオルが1万5000円もしたのを憶えています。小さい頃に、母方の実家・東大阪あたりのダイエーかどこかに女子プロレスが来たのを見にいったことがあって、それが初めて生で見たプロレスなんですけど、細かいことは憶えていないぐらい小さかったんで。
そんな好きなプロレスも明徳で野球を始めてからは見られなくなったんですよね。
関本 高知は日本テレビ系しか民放が見られなかったんですけど、小さいテレビを先輩が持っていてそれを後ろから覗き見していました。たまにラジオでもプロレス中継をやっていたんですよ。
そのようなものがあったんですか。
関本 それも全日本だったんですけど、音だけ聴いて想像して楽しむという。「ウイリアムスのバックドロップが出たーっ!」って聴こえたら「うおおおっ! バックドロップ出たよ!」って興奮していました。野球を始めてからもプロレスは好きだったので、練習が終わってからスクワットや腕立て伏せをやっていました。中学の時まではデカかったんですよ。プロレスラーは身長がなければなれないというのがあったじゃないですか。だから、中学でこれだけ身長が伸びたということは、高校にいけば190cmぐらいになれるなと思っていたんですけど、中学卒業とともにピタッと伸びるのが止まっちゃって。今の身長は中学の時とほぼ同じなんです。ガンガン牛乳を飲んでも伸びなかった。それでもなりたいとは思い続けて、野球部員なのにヒンズースクワットとベッドの上でのブリッジはやっていました。
嫌な野球部員ですね。
関本 遠征先で、体重増やすためにご飯をものすごい量食べていたら、それを見た馬淵(史郎)監督に「おまえ、何をそんなに食っとるんや?」と言われて、体重を増やしたいんですと答えたら「おまえは自らレギュラーへの道を閉ざしとるな」と言われて。そんなことを言われたらプロレスラーになりたいんですなんて言えないじゃないですか。120人いる部員はみんなレギュラーになりたいと思ってやっているのに…僕、足も遅いし守備もへたくそで。でも打つのだけは自信あったんです。体重があるだけ当たれば飛ぶんです。
野球ってそういうものなんですか。
関本 パワーでボールが飛んでいくんです。打球の勢いも超すごい。ただ、いかんせんタマに当たらないんですよね。
それって、たまにしか当たらないということですよね。
関本 そう、たまに当たれば…あれ? タマに当たらない。あれ? とにかく、僕が出てくるやピッチャーは変化球しか投げなくなるんです。こっちはストレート待ちなんですけどだいたい空振りに終わってしまう。そういう理由でレギュラーになれませんでした。
それでもプロレス用の練習はやるなとは言われなかったんですね。
関本 はい。ただ、部活の練習中にはさすがに野球をやらなくちゃいけない。
いけないって、野球部ですから当たり前です。
関本 一軍のバッティング練習でグラウンドの外にボールが出たらぼくら四軍は取りにいくんですけど、僕が取りにいきますといってそのままウエートトレーニング場にいってベンチプレスをやってから帰ってくるという。
それはバレないものなんですか。
関本 けっこうバレなかったですね。1時間ぐらい消えても120人いるから気づかれないんですよ。さすがに一軍の選手がいなくなったらわかりますけど、僕らのような補欠が1人や2人いなくなっても監督、コーチもそこまで目が届かないんで。
これからは相手が誰と
いうよりも自分との闘い
お父さんは息子を甲子園に出したくて明徳にいかせたのに…。それはともかく府立の話に戻りますが、プロレスラーになって第1競技場で初めてやったのは?
関本 いえ、僕の記憶では第1はないです。
えっ、そうなんですか!? 他団体に出ているので全日本プロレスやプロレスリング・ノアに参戦した時に経験していたとばかり思っていました。
関本 おそらく今回が初めてです。
それが自分の団体である大日本プロレスの興行として実現するとは…。
関本 自分がプロレスラーを志した場所に大日本プロレスとしていけるというのはもちろん嬉しいですけど、経験していないから正直、上がるまでは実感が湧かないんだと思います。一度は上がりたいと思っていましたけど、20年以上かかってしまいましたね。
自分の方からメインアリーナでやれないかというような案は会社に出していたんですか。
関本 いえ、全然。だから自分の知らないところで今回決まっていました。なので最初に聞いた時は「マジかよ!」と。
武藤敬司さんばりに。
関本 「すげえじゃん、大日本」って思いました。自分が20年務めた会社ではありますけど、府立第1でやるのはそれほどすごいことだと思いますし、ましてや世の中がこういう状況でも決行するのは、それほプロレスに強い情熱がなければやらなかったでしょう。
その府立第1のメインに立つには…。
関本 ストロングヘビー級のベルトを獲ること、そこしなかいと思います。
この取材の時点では橋本大地選手がチャンピオンです。
関本 自分が今、乗り越えなければいけない相手だと思っています。後輩だとは思っていないというか、今の大地の姿を見ていると感じられないですね。
どこに強さを感じますか。
関本 心、ですね。たぶん体重では僕の方が重いですし力もあると思いますけど、プロレスは対人間ですから、人に対しての力の発揮の仕方というのがあります。バーベルを何kgあげるという話になれば僕の方が数字的にはあげられるんでしょうけど、それは人間が相手ではない。自分が大地に負けた時の試合を思い起こすと、強烈なキックによって心が折れたのを感じましたし、体力的にも正直ピークを過ぎているなとは思いますけど、それを維持するつもりではやっています。
気持ちの話ならば、府立第1というのが関本選手にとってのアドバンテージになるのでは?
関本 そうですね。あの時、小橋さんが勝った姿を見て僕がプロレスラーになりたいと思ったように、僕が府立のメインアリーナで勝ったところを見た誰かが将来、プロレスラーになってそのことを語ってくれれば…そんなことを考えると興奮してきます。今、日々のトレーニングにおいては量よりも質に重きを置いてやっているんですけど、それに加えてイマジネーションを大切にしておりまして。たとえば上腕三頭筋を発達させるためのトレーニングだったら、具体的にどのような上腕三頭筋にしたいかを想像する。
自分がこういう体つきになるというのを思い描きながらトレーニングをすると。
関本 以前はとにかく重いものを持ち上げるだけだったんですけど、今はそれをメインにしてサイドメニューとしてこういう形にしたい、脂肪をどれぐらい削るのか、どういう種目をやるのかとか、いろいろ考えて変えてみると翌日の筋肉痛によって昨日のトレーニングが成果となって現れたなと思ってニヤニヤしてしまうんです。だから筋トレってやめられないんでしょうね。
以前よりもやる種目が増えたんですね。
関本 はい。それが年齢と向かい合った結果によるものですね。やっぱりなってみないとわからないものですから。20歳の時と40歳になっての向き合い方は当然、耐えられるキャパシティーが違ってきていると思うので、考えてやらないといけない段階ですよね。
大日本プロレスにとっての25周年は、新型コロナウイルスの影響下で大変だったと思われますが、その先に自分自身がやるべきことというのは考えていますか。
関本 若い選手たちがたくさんいる中で、高齢になった自分ができるのか。だから相手が誰というよりも、自分との闘いにこれからはなっていくのだと思います。
高齢という言葉を使ったら、大日本にはその筋のスペシャリストがいらっしゃいます。伊東竜二選手はあの年までやれることを目指すと言っておりました。
関本 それは同じです。ただ、そこまで私の生命が持つかどうか。この僕を拾ってくださった恩人を超えるためには今の時点で体を動かしておかないと年齢とともに衰えてきてしまって、あの領域には達せないと思うので、その目標もあっての今やるべきこととなるでしょう。
関本選手から見て、近い将来バーッと伸びてくる可能性が見受けられる若手は誰になりますか。
関本 みんな元気満々ですけど、特に兵頭(彰)の勢いはすごいですよね。スタミナはまだまだだと思いますけど、瞬発力は抜きん出ています。道場でスパーリングをやっても強くなっているのを感じますし。そういう若い選手たちの上昇ぶりを見ることによって、自分も上昇できるようなおじさんになりたいです。
わかりました。最近、物忘れの方はどうなんでしょうか。
関本 悪化していますね。ヤバいです。今日みたいに電車で移動する時も、どこで乗り換えるとかもわからなくなるので、今日もメモを書いてポケットに入れてきました。
メモをポケットに入れたことは憶えているんですね。
関本 大丈夫です。それを忘れたら本当にまずいです。
いや、じっさい今年の2月ですか、佐藤耕平選手とBJW認定タッグのベルトを持っていて、次期挑戦者組が岡林裕二&入江茂弘と決定しているのにヤンキー二丁拳銃を相手に防衛したあと「次はどのチームが挑戦してくるんだ? 誰でもかかってこい!」とマイクで言った時はその場にいた全員が凍てつきました。
関本 あとで、サムライTVさんで自分も見た時に「俺、何言ってんだ?」ってなりました。あれは忘れていたのではなく、挑戦表明されたことを把握していなかったんです。まあ、把握していないこと自体に問題があるわけですが。
把握さえしていれば今後、あのようなことは起こらないと。
関本 ……と、思います。断言はできないです。断言できないのが私という人間なもので。無責任なことは言えないですから。