スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2021年8月号では、第88回ゲストとしてスターダム・上谷沙弥選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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飯伏幸太さんが
自販機の上から
飛んでいるのを見て
「プロレスっていいなあ!」
って思いました
上谷沙弥(スターダム)
街で声をかけられた時に言い返す
ことができて、強くなったかなと
2019年8月10日にデビュー以来、キャリア1年10カ月の間にスターダムの2019年新人王トーナメント「ルーキー・オブ・スターダム」で優勝、タッグ王座のゴッデス・オブ・ザ・スターダム獲得、3月3日の日本武道館大会ではセミファイナルで団体最高峰であるワンダー・オブ・スターダム王座挑戦、そして今年のシンデレラトーナメント優勝と順調に実績を重ねてきました。ここまでの“出来”は自分自身でどう受け取っていますか。
上谷 私はプロレスをまったく知らないところから練習生になって始めた形だったので、一番は気持ちの部分が強くなったなと自分でも思います。最初の頃はプロレスを怖いと思ってしまい、気持ちがついていかなかったんですけど、続けていくことでプロレスの魅力に気づいて好きになっていくに連れて、プロレスに対する気持ちが強くなっていきました。それによって、デビュー前に描いていたよりも早すぎるぐらいに実績をあげることができています。
自分の想像を超えてしまっているんですね。
上谷 もちろん現状に満足はしていないですけど、デビューした時にこんな位置にいることは想像していなかったです。
気持ちが強くなったというのは、プロレス以外の日常の中でもそう思えることがあったんですか。
上谷 たまに歩いていて話かけられることがあるじゃないですか。プロレスを始めるまではそれがすごく怖くて。
あー、いわゆるナンパですね。
上谷 ずっとついてくる人とかがいたんですけどこの前、街で「かわいいね」みたいに話しかけられたんですよ。その時に「何なんですか? やめてください!」って言い返すことができたんです。その時、プロレスラーになってちょっとは強くなれたのかなって思えて。以前の自分だったら、そういう声をかけられただけで縮こまっていたのに。
それはトーナメントに優勝するよりも具体的な実績ですよ。それほど自分を変えることができたわけですから。
上谷 プロレスのおかげです。まったくプロレスを知らなかった時は、筋肉ムキムキの怖い男の人同士が殴り合っている意味のわからないスポーツとしか映っていなかったんです。殴り合っている理由がわからないから、ただ痛めつけ合っている人たち…それで怖い人たちという印象しか持てなかったんですね。
筋肉ムキムキの男子レスラーだからこそ惹かれる女性もいる中で…。
上谷 私は私生活でもおとなしい方で、ケンカもほぼしたことがないどころか人に対し怒ったことさえなかったんです。だからまったく自分とは真逆の人たちだなという認識で。
怒ったことがなかったんですか。
上谷 逆にシュンってなっちゃうタイプなんです。
そんな性格の上谷選手が小学3年でダンスを始めたのは?
上谷 習い事を何もやっていなかったので、母が何かやった方がいいんじゃない?って、近くにあったダンススクールへ体験にいって習い始めたのがきっかけでした。体験でいった時は踊るのが恥ずかしくてやりたくなかったんですけど、強制的に入れられた感じで。小学3年ぐらいだと特にやりたいこととはまだないですから、友達と折り紙を折ったり鬼ごっこやドッヂボールをやったりして遊ぶぐらいでしたけど、運動はけっこう好きだったので。同じぐらいの時に器械体操も始めました。
子ども心にあこがれた存在はいましたか。
上谷 幼稚園から小学校低学年の頃はミニモニ。が好きでした。テレビに出たり小学生低学年が読む雑誌にもよくとりあげられたりしていて、ちっちゃい子たちの人気の的というイメージで、その頃はあこがれやうらやましい、同じようになりたいというよりもただただかわいいなというので好きでした。
ダンスの方は何がモチベーションとなって続けられたのでしょう。
上谷 踊ることが楽しくなったのと、頑張れば頑張るだけ実力と結果がついてくるのが面白かったのと両方ですね。大会に出られたり、バックダンサーとして踊れたりっていうのが嬉しくて。中学1年生で世界大会に出られて2位になったり、高校の時にはバックダンサーとして東京ドームを経験できたりと、形として得られるのが楽しかったんです。
世界大会でラスベガスにいったり、東京ドームやさいたまスーパーアリーナをその年代で経験したりするのはどんな感覚なのか、我々凡人には想像できないです。
上谷 東京ドームは自分が立っているところから見渡しきれないという感覚がありました。360度お客さんがいるというのは初めての経験で、嬉しかったとともにその時はバックダンサーだったからもっと前に出たいという気持ちも湧き出てきました。
怒ることもしない性格の上谷選手が、バックダンサーを経験したことでもっと前に…センターを欲するようになったんですね。
上谷 そこは、ひとつ入っちゃったらそれしか見えなくなるタイプでもあると思うんです。ケンカはしなくてもちょっと頑固な部分もあるみたいで、一度決めたらやり遂げないと気が済まないという。
努力や頑張るよりも、やらないと自分の気持ちが済まない。
上谷 いろんなことを器用にやる方が苦手なので、それしかやれないんだと思います。
その頃は将来的にプロのダンサーになることは考えていたんですか。
上谷 中学の頃はダンスの先生になりたいとか、振付師という選択肢もあったと思うんですけどダンスの世界も厳しいですし、教える側って裏方になるわけですけど、自分はそちらではなく前に立つ人になりたいという思いが強かったので、それを形にするためにアイドルに魅力を感じるようになっていきました。
前に出たいという願望は何を満たすためのものだったのでしょう。
上谷 自分がパフォーマンスをすることによって、お客さんが笑顔になってくれたりしあわせになってくれたり、勇気や希望を持ってくれたりと、そこに生き甲斐、やり甲斐が持てました。
中学・高校の時点で観客、オーディエンスがしあわせになることを考えられたのはすごいですよ。それってプロ意識じゃないですか。
上谷 知らぬ間に持っていたのかもしれませんね。今、気づかされました。でも、そうなった時に、本当に自分もしあわせになれたので。踊っている時、正面にいるのはお客さんで、自分のパフォーマンスによって表情が変わるのが見えるんです。ワーッとなったり、涙を流してくれる人もいましたし、それを見た時にハッピーになれた自分がいたので、もっと前に出られればもっともっと喜んでくれる、自分もしあわせになれるんだなって思ったんです。
その延長線上にアイドルがあったと。
上谷 大きなアイドルグループに入ればたくさんの人の目に触れられますし、大好きなダンスが仕事としてできると思って、職業として志しました。ただ、漠然とアイドルになりたいと思いながらどういう人が向いているかとか、どういう子が応援されるかということは考えていなくて。ガムシャラに頑張ればなれるんだ、努力は実るんだと思いながらやっていたのでアイドルはこういうもの、こうすればアイドルになれるというところまでは考えていなかったんです。
1発目のエルボーで骨折しても
続けたのは人生で一番弱かったから
それまで順調だったのが、何度もオーディションで落とされるようになったそうですね。
上谷 当時はどこを改善すれば受かるというよりも、アイドルは細くて小さくてかわいらしいというイメージがあるからと、とにかくダイエットをして体を小さくすることしか考えらえなかったです。
168㎝は、女性としては大きい方です。
上谷 野菜だけ食べて生活していましたね。私、大学に進学しないことを決めて高校を卒業してからオーディションを受けまくっていたので、これがうまくいかなかったら本当に自分は何もない人間になってしまうと思っていました。高校の頃にバイトAKBに入って、卒業とともにバイトAKBも卒業になってからは就職しないでアルバイトをしながらオーディションを受け続けて。
バイトAKB→バイトという経歴。
上谷 その時も一直線にしか見えていないから、オーディションに受かることしか考えられなくて、落ち続けている時は絶望でした。
進学も就職もしない道を親御さんがよく理解してくれましたね。それがなかったら今の上谷選手の姿はないわけで。
上谷 ホントですよねえ…落ちるたびにヘコんで、帰ってくると「次があるから」って…ああ、泣きそう…(涙が止まらなくなる)。
泣いていいですよ。(しばらく時間を置いて)それにしてもバイトAKBに受かるだけでもすごいことです。1万3246人の応募者数の中からの合格だったわけですから。
上谷 確かに狭き門ではありましたけど、AKBの正規メンバーになりたいという思いがあって、バイトAKBを卒業したあとに何回もAKBのオーディションを受けながら落ちてしまったので、それを果たせなかった悔いは残っています。輝いて見えましたよね、歌って踊ってテレビに出られて…。
有名になりたかったのですか。
上谷 有名になりたかったのもありますけど、好きなダンスをやることで表現したいという気持ちが一番強かったです。
そういう経歴を聞くと、なおさらプロレスの世界を選択したのは人生における大転機ですよね。
上谷 練習生になった時は、アイドル活動との両立だったし、新しいことに挑戦してみようと思ったんですけど、気持ちは固まっていないままの挑戦というのが正直なところでした。
ダンスや新体操と明らかに違うのは、痛みからは逃れられないジャンルということです。
上谷 確か…まずは基本的なトレーニングから始めて、そこからエルボーを受ける練習をやった最初に骨が折れたんです。
骨?
上谷 胸骨の骨です。一発で倒れて起き上がれなくて、呼吸ができなくて。診てもらったらその一発で折れているって。それでまず心が折れました。
いやいや、心よりも先に骨が折れています。普通はそこでやめちゃいますよね。
上谷 なんで続けられたんだろう…そこでやめたら自分に負けたことになるのと、オーディションに落ちまくって心が弱くなっていたからかな。その弱い心からの、単純に強くなりたいという気持ちなんだと思います。
人生で一番弱い自分になったからこそ、強くなりたいという意識が芽生えたんでしょうね。
上谷 やめなくて本当によかったです。そこから筋肉をつけて痛みにも慣れてきて…オーディションを受けていた時はいかに体を小さくするかだったのが、プロレスの練習生になってからは逆に大きくすることを心がけなければならなくなって。プロティンも飲むようになったし、食べる量も増やしました。もともと食べるのは好きだしダイエットのキツさを思えば食べるのは苦でなかったです。身長が高いのもアイドルを目指す上ではコンプレックスだったのが、プロレスでは武器になりますし。
コンプレックスが長所になったと。入門から約半年でデビューできたのは自分でも早いと思いましたか。
上谷 目の前のことをやるので精一杯だったので、そういうことを考える余裕はなかったですね。本当、風のように去った7ヵ月でした。デビュー戦は、怖くて痛くて…ダンスはお客さんが正面にしかいないのが、プロレスは四方から見られるので新鮮な感覚でした。でも、一番はこれからやっていけるのかという不安。こんな痛い思いをしながら人生を続けていけるのかというのが本音でした。プロレスを知らずに入ってきたから、最初はなんで技を受けないといけないのかというのがわからなかったんです。「受けてこそプロレス」というのをよく耳にしていましたけど「えっ!?」ですよね。なんで痛い思いをして受けるの!?って、デビューしてからも1年ぐらいは思っていたかもしれないです。プロとしては本当にダメなんですけど。
いや、プロレスならではの価値を知ることなく始めて、1年もその葛藤を抱えながらやめなかった方が驚きです。
上谷 オーディション落ちまくりの人生からプロレスを始めるまでの間、ずっとメンタルが落ちていた自分なのに、プロレスをやっている時はイキイキしていたんです。リングに立っている時だけみんなが応援してくれるし、普段は自分が嫌いだと思うことがけっこうあったのに、プロレスをやっている時の自分だけは好きになれました。
自分が嫌いだった?
上谷 オーディションに落ちた数の分だけ、自分を否定されたことになるわけじゃないですか。「あなたはいりません」という判断を何十回も下されているんです。それが重なるとネガティブな気持ちになっちゃう。自分の価値はないんだなって思ってしまっていた私が、リングの上では必要とされている実感が得られたんです。
3月3日にフェニックスSを
出すことは自分の中で決めていた
けっこう踏みつけられて、今があるんですね。
上谷 プロレスのリングは、やられているダメな部分を見せてしまっても応援してもらえるんで、そこに惹かれました。
ダンスやアイドルをやっていた頃のファンと、プロレスファンは違うものですか。
上谷 最初に違いを感じたのは、アイドルの頃は“サヤサヤ”という愛称で呼ばれていたのが、プロレスの会場では「カミタニ~ッ!」って苗字で声が飛んでくるところでしたね。熱量が違うというか、最初はビックリでした。私生活でも苗字の呼び捨てってあまりないので。でも、慣れると苗字で呼ばれる方が嬉しくなりました。心の底から応援してくださるところに関しては、アイドルファンもプロレスファンも共通していると思います。
辛かったプロレスに対する受け取り方、考え方が変わったのはいつ頃でしたか。
上谷 ルーキー・オブ・スターダムで優勝できた時ですね。それまでは、自分がプロレスをやっていいのかとばかり思っていたのが、初めて実績をあげられたことで続けていいんだって思えるようになりました。
プロレスを知らなかった上谷選手がフェニックス・スプラッシュを得意技にしているのも興味深いのですが、飯伏幸太選手の映像を見たのがきっかけだったとか。
上谷 そうなんです。入門してまだプロレスが全然わからなかった時に飯伏選手の動画を見て、殴り合うとか怖いイメージではない、華麗に飛んで舞うプロレスというものがあることを、そこで初めて知ったんです。
自発的にプロレスの動画を見ようと思ったんですか。
上谷 はい。セコンド等で見る試合しか見ていなかったので、動画も見てプロレスとは?というのを勉強しようと思った時に、周りでよく話に出ていたのが新日本プロレスさんだったので、まずはそこからと。そう思って見たのが飯伏選手とウィル・オスプレイ選手の試合でした。
そこは女子の試合ではなかったんですね。
上谷 そのあと女子の試合も見ました。よく見たのは彩羽匠選手ですね。このカッコよさはなんだ!?ってなりました。
彩羽選手も女子の中では背が高いですよね。
上谷 女子だけど力強くて、女性が見てもあこがれるような方じゃないですか。
飯伏選手は?
上谷 はい、最初にこういう選手になりたいと思ったのが飯伏選手でした。「こうなりたい」から「これをやりたい」になっていったんだと思います。あのう…飯伏さんが自動販売機の上からムーンサルト・プレスをやった動画があって、自分もやりたいと思いました。
それはぜひ、いつかやってください。
上谷 そこで「うわー、プロレスっていいなあ!」って思いました。
自販機の上から飛んだシーンが、初めてプロレスをいいと思った瞬間だと。実は、日本武道館大会でフェニックス・スプラッシュを出した日が、ハヤブサ選手のご命日だったんです。あれを現場で見ていて、上谷選手に感謝しました。飯伏選手に受け継がれて、さらにそれを見た選手に継承してもらえるのは意義深いことだと思います。
上谷 あの技を練習するにあたってハヤブサ選手の動画も見ていましたし、3月3日のご命日にフェニックス・スプラッシュを出すことは自分の中で決めていたので、ハヤブサ選手について自分が詳しいというわけではなくともそういう思いはありました。そういった意味のある日に出すからには、そしてこれからも使い続けていくならばしっかりとした技で出さなければならないですから。ハヤブサ選手に対する気持ちがあってスターダムに足を運んでくださるファンの方もいると思うので、そこにこめる私の気持ちも変わらないです。
わかりました。現在のスターダムは上谷選手にどのように映っていますか。
上谷 所属選手も増えてきて、魅力的な選手も増えてきて、一度センターに立てたとしてもいつ後ろに回されるか、誰が前に立つかわからない。本当に、センターに立ち続けるのが難しいと思います。女子ならではの蹴落とし合いの中で、常に精神を削ってやりながら自発的に前へいかないとすぐ落とされるのが今のスターダム。ダンスやアイドルをやっていた頃は、どちらかというとチームのことを優先して考えていたところがありましたけど、スターダムではもちろんチームのこと、ユニットのことも考えなきゃいけないけれど、それよりも個人でどう這い上がっていくかを一番に考えていかなきゃいけないんだと思います。そう自分を持っていかなければ生き残れない。肉体的に削られながら、精神的にも強くなければならないじゃないですか。私が、私がという人が多い中でそれに負けずにやれるか。
私が、私がという意識はご自身で強いと思いますか。
上谷 強…いですけど、遥かに強い子が周りにはたくさんいます。
もともと、人を蹴落としてでも!というタイプではないですよね。
上谷 そういう気持ちは弱かったですね。でも、今はそれじゃ生き残れないんで、そういう自分をひっくり返さなければいけないと、自分とも向き合っている状態です。もとが弱いからこそ、強くならなければ自分を保っていられない。
プロレスラーに目標を聞くと、ベルトを獲りたいとか団体のトップ…つまりはエースになりたいという言葉が出るのですが、上谷選手はずっと“センター”という言い回しをしています。
上谷 アイドル時代にかなえられなかったからこそ、今でもそこに立ちたいという思いのままなんでしょうね。赤いベルト(ワールド・オブ・スターダム王座)、白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム王座)とタイトルはありますけど、センターというのは“真ん中”。ベルトはもちろんほしいと思いますけど、それ以上の自分自身の絶対的価値を見いだして、スターダムの必要不可欠な存在になりたいです。
それはスターダムとイコールで結ばれる存在ということですか。アイコンという意味だとしたら、現在の岩谷麻優選手のような?
上谷 ベルトを抜きにして必要な存在という意味では、岩谷選手のようにアイコンと呼ばれる方が近いんだと思います。
プロレス界の顏になりたいという気持ちはありますか。
上谷 (少し考えて)ゆくゆくはそういうふうになりたいと思います。
今の質問は女子プロ界、あるいはプロレス界というジャンルを背負う覚悟があるかどうかという意味でお聞きしたんです。
上谷 はい。女子プロではハイフライヤーの選手があまりいないので、そこに特化して顔になりたいです。
確かにそれは、センターです。
上谷 私の中でセンターという言葉からイメージするのは棚橋弘至選手なんです。女子はトップにいられる期間が短いとか、選手寿命が短いって見られていると思うんですけど、私はそれが嫌で。棚橋選手のように、ずっと長く輝き続けていたいって思いますよね。