鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2022年8月号では、第99回ゲストとしてDDTプロレスリングのKO-D無差別級王者・樋口和貞選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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樋口和貞(DDTプロレスリング)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

坂口さんと赤井さんがいなかったら
右ヒザをやった時、確実にやめていました

樋口和貞(DDTプロレスリング)

力士としてのキャリアも
無差別級を獲るまでも7年

これまでKO-D無差別級王座には5度挑戦し、KING OF DDTに優勝したことでデビューから7年半かけて初戴冠を果たしました。長くかかったと感じていますか。

樋口 長いと感じていたし周りもそうだと思うんですけど、獲ってみたら今はあっという間だったという感覚です。まあ5回挑戦してダメで正直、多少クサった時期もあったんですけど、諦めなくてよかったという気持ちと、これまでの時間が一瞬に感じましたね。

思えば、力士として初土俵を踏んでやめるまでの間も7年だったんですよね。

樋口 言われてみればそうですね。やっぱり“7”という数字がいいんですかね。

相撲に費やしたのと同じ時間をかけて頂点に達したことになります。

樋口 プロレスラーになる近道として相撲を選んで7年間やったんですけど、団体最高峰のベルトを獲るまで同じ時間がかかったということは、はじめからプロレスの世界に入ったら相撲をやめた頃に獲れたかもしれないっていう気持ちになりますよね。一つの結果が出るのに14年もかかったことになります。相撲は7年やって幕下止まりで目に見えた形を残せなかったですけど、体と精神面で鍛えられた上でプロレス界にいったからその面では相撲で下地を作れたんでしょうね。デビュー時から一貫してファイトスタイルは変えていないんですけど、昨日(優勝の翌日に取材)もここぞという場面で出たのは相撲だったので、糧にはなったんだと思います。

追い込まれた時に出るのはプロレスよりも相撲だと。

樋口 なんだそりゃ?ですよねえ。14年かかりましたけど、言ってしまうと中身は高校を卒業して紋別から東京へ出てきた時のまんまなんですよ。だから人として成長できた部分もあるかもしれないけど、周りの人たちに助けられて来たよなという思いの方が強くて。

昨日も何度となく口にしていましたよね。

樋口 一人の力じゃないです。周りのアドバイスや叱咤激励があってのものだっていうのが、獲ってみて一番実感したことでした。

「俺はやったぞ!」よりも、その思いの方が先に湧いてきたと。

樋口 頑張っているつもりだし、自分の力もあるとは思いますけど、それよりデカかったのはみんなのおかげだなと。だから喜びよりも感謝しかなかったんですよね。そのつど言ってくれる人は違うんですけど、この7年間は常にそういう人がいてくれた。今回であればEruptionの岡谷(秀樹)と坂口(征夫)さん、赤井(沙希)さん。無差別級に挑戦して獲れなかった時以外にも…右ヒザの後十字ジン帯を断裂した時に正直、もうプロレスはいいかなって思って。

引退するということですか? そこまで思っていたとは…。

樋口 力士時代に左ヒザのジン帯を切っていて、右ひざを痛めてしまったことで一度は諦めかけました。でも、そこで「頑張れよ!」と言って飯に誘ってくれたのが坂口さんと赤井さんで、長期欠場から復帰する時も「肉体改造をしてみたらどうだ?」とアドバイスをしてもらって。復帰してベルトを獲るまで3年近くかかったけど、あそこでやめなかったから今の自分がいるんです。

そこで近いところにあの2人がいなかったら…。

樋口 確実にやめていました。今はそうじゃないけど、あの当時は本気でもうダメだと思いましたから。でも、ギリギリのところで踏みとどまれた。ジン帯を切る少し前あたりでもういいかという思いが芽生えてきて、それに追い打ちをかけるかのようなケガでしたから、あそこが人生の分岐点でした。

昨日も準決勝、決勝と3人でセコンドについて、決勝の入場時にはEruptionのお揃いのコスチュームを託されるという儀式も見られました。

樋口 あれは見ている人より、たぶん自分が一番グッと来ました。

坂口選手は総合格闘技から、赤井選手は芸能界から入ってきて同じ時代に巡り合えたというのは運命的ですね。

樋口 そうなんですよね。自分は相撲をやっていた時に父親を亡くしているんですけど、ちょっと似ているんですよ、坂口さん。見た目は全然違うけれど、雰囲気が似ていて。ちょっとヤンチャな親父だったんです。

15歳違いだから、どちらかというとアニキ的存在だと思っていました。

樋口 感覚的には、親父と接しているようなんです。不思議な感覚ですね。赤井さんにも「頑張って」って何度も言ってもらえました。赤井さんにはデビュー当時から気にかけてもらっていて、それは自分に限らずDDTでデビューした若手に対してはみんな気にかけてくれる方で。その意味では姐御肌ですよね。だから、シングルのベルトを獲ったことで改めてEruptionの存在が自分にとってこれほど大きいと気づかされた。ずっとユニットとしてやってきたから、その前からありがとうございますという感謝の思いはあったんですけど、さらに実感できた一日が昨日でした(取材の3日後、坂口の助言もあり樋口はEruptionを卒業した)。

EruptionとしてKO-DタッグやKO-D6人タッグタイトルは獲得できたじゃないですか。ユニットに対する思い入れが深まることによって、シングルプレイヤー・樋口和貞としての活動にブレーキがかかってしまうのではと思いながら見ていたんです。それは、個人ではなく全体のことを考えるタイプと思われる樋口選手だからこそなんですが。でも、ユニットの存在がちゃんとシングル王座にもつながった。

樋口 なるほど。ほかの人には、どうしても樋口はユニットの方に気持ちがいってしまっていると映ったかもしれないですけど、自分はまったくそういうつもりはなかったです。いく時はいくと決めていたし、時間こそかかってしまったけど今回のKING OF DDTこそがここだ!と思って臨んだんで。

時は来た!が今回のトーナメントだったと。それはCyberFight Festivalにおける遠藤哲哉選手の件があったからそう思えたのでしょうか。

樋口 普段から思っていたことではありましたけど、いろいろ重なりましたよね。要因の一つとしてあのことは外せないですけど、個人としてもトーナメントは今までもほぼ準決勝以上は進んでいたので、ここで優勝しなければこれ以上の先はないなというのがあったし、Eruptionもチームとして実績はあげてきましたけど、ちょっと停まってしまっている感じがあったので、個人的にもユニット的にもここしかないと。そこにさいたまの件が重なったことで自分のプロレス人生、ここしかないと思ったんです。

ベルトを獲った日、初めて
後楽園のシャワーに入った

さまざまな要因が重なったことで機運が生じたんでしょうね。準決勝、決勝でピンフォールを獲ったブレーンクロースラムですが、もともとブレーンクローを使い始めたきっかけはなんだったのでしょう。

樋口 2年前のD王GP公式戦で大石(真翔)さんと当たった時、フジヤマ・ニーロックをかけられてもう逃げられないとなってグラウンドの状態で上半身を起こしてもがいていたら、そこに大石さんの頭があったんです。それで「あっ」と思ってとっさにガシッとつかんで、体重をかけたらあっという間にギブアップして。それまでも出したことはあったんですけど、痛め技程度で。それがあっという間にギブアップを獲れたんで自分で「あれ?」って言っちゃったぐらいに驚いたんです。そこからですね、痛め技ではなく本格的にこの技を磨けば…と思ったのは。

そこからスラムに持っていったのは?

樋口 チョークスラムをやっていたんで、クローと合わせてみたらどうだろうと思いやってみたら、いいじゃん!ってなりました。

あの時、大石選手の頭がそこになければここまで高めようとは思わなかったかもしれないし、そうなると今回ベルトを獲ることも…。

樋口 なかったかもしれないですね。

KO-D無差別級奪取の裏に大石真翔あり。

樋口 あー、そう考えると悔しいなあ。

令和の時代にブレーンクローというクラシカルな技に磨きをかけて、大技として定着させたのはいいことですよ。

樋口 自分は複雑だったり難易度の高い技だったりはできないですし、わかりやすい技がいいとずっと思っていました。自分のスタイル的にもその方が合っていると思うし。ゴライアス・バードイーターとか自分は出さない方がいいでしょう。

竹下幸之介選手は万能だし、遠藤選手も今風の技を使う中、やらないことで2人との色分けができているんですよね。あのう、ベルト奪取から時間を置いて、会場をあとにして一人になった時は、どんな感情がこみあげてきましたか。

樋口 その前に自分、後楽園ホールのシャワーに入ったのは昨日が初めてだったんです。なぜなら、大会が終わったらリングの撤収作業があるから。

会社としての規模が大きくなっても、選手たちがみんなでリング設営・撤収するのがDDTの変わらぬ文化です。

樋口 シャワーを浴びてもまたすぐに汗をかくので、今までは試合が終わって汗を拭いてTシャツに着替えるだけだったんです。それが、チャンピオンになったことでようやくシャワーを浴びることができたと。それで会場を出てからは今まで挑戦して獲れなかったタイトルマッチを一つひとつ振り返りました。そして、自分がチャレンジしたHARASHIMAさん、石川(修司)さん、入江(茂弘)さん、秋山(準)さんのことを思うと改めて気を引き締めなければと思いました。嬉しいし感謝もしているんですけど、そういう人たちと激しい闘いをしてきたという自負もあるので、自分で“DDTの強さの象徴”になると言ったからには経験したタイトルマッチに恥ないような防衛戦を続けなければならない。

一日ぐらいドンチャン騒ぎで喜びに浸ってもいいと思うんですけどねえ。

樋口 やらないですよ! ドンチャン騒ぎは時節柄自粛しなければいけないし、いろんなチャンピオンが積み上げてきた歴史を思ったら浮かれることなんてできないです。

結果的に強いと評価されるチャンピオンは何人もいましたが、KO-D無差別級79代にしてこれほど明確に、ストレートに“強さ”を打ち出した王者は初と言っていいと思います。ましてやDDTのロゴが入った大旗を高木三四郎社長から託されたわけですから。あれは「強さだけでなく、存在そのものがDDTの象徴」となることへの期待の表れでした。

樋口 そういうことなんでしょうね。その部分を表現していかなければという思いはありますけど、これまでもある程度表現してきたと思っているんです。それを踏まえた上でチャンピオンとして、堂々とした感じで勝つ…そういったことをやっていけばと受け取っています。

言い続けて、それに見合ったものを見せれば“強さの象徴”という見方は定着するでしょう。

樋口 強さの象徴というのは嘘偽りのない言葉として言ったんですけど、一方で面白くもあり、楽しくもあり、ちょっと泣けるというがDDTの良さじゃないですか。そういうらしさも失いたくない、大切にしたいというこだわりもあるので。これまでの自分の歴史の中で強さによるプロレスも、楽しいプロレスもどちらもしっかりやってきたつもりなので。古きを知って新しいものを創っていきたい。

もともとDDTを選んだのは、そういう文化系の要素に惹かれたからなんですよね。

樋口 そうです。カレーデスマッチを見てやりたいと思ったし(2008年10月26日、新宿FACEにてマッスル坂井と猪熊裕介によっておこなわれた一戦。当初はダークマッチということでサムライTVにて中継されない予定だったが、その前衛的な内容から放送枠にブチ込まれた結果、今なお語り継がれる作品に)。あと最近開催されないですけど「野郎Z」もやりたいですし、エンターサンドマンマッチも路上プロレスもやりたい。昔はそういう試合があって最後にHARASHIMAさんやほかのチャンピオンがビシッとしたプロレスで締めていたけど、その両方を自分でやれたらいいですよね。そのためにDDTへ入ったんですから。「ドラマティックファンタジア」(過去に放送されたサムライTV DDT中継の週一レギュラー番組)でしっかりした試合をやっているなと思っていたら「シャッ!」っていう映像がはさまれたあとに(男色)ディーノさんや坂井さん、アントーニオ本多さんが登場してワチャワチャやっている。同じ番組内とは思えないふり幅の広さこそが、自分にとってのDDTでした。

文化系プロレスとしてのDDTが好きだった頃も、強さを感じる選手はいたんですか。

樋口 だから、それが歴代の無差別級チャンピオンですよね。HARASHIMAさん、KUDOさん、飯伏(幸太)さん…一番強いなと思えたのは石川さんでした。ベルトを獲ったことで、否応なくそれを受け継ぐ立場になった。両方できてこそDDTじゃないですか。

竹下、遠藤も胸を張って「俺はDDTだ!」
と言えるよう、自分の力で持っていく

樋口選手はデビュー以来、一貫してストロングスタイルや強さの象徴である黒のショートタイツにリングシューズを続けてきました。そこにこだわりがあってのチョイスなんでしょうか。トラディショナルでありながら、DDTでは少数派なんですよね。大鷲透選手のようなスパッツタイプを除けば、高木選手と2人だけです。

樋口 こだわりももちろんあります。プロレスラーはパンツ一丁というのが自分の中にあって、これはデビュー前から決めていました。意図があるというよりも、本当に自分が見たプロレスラー像であり、何が一番プロレスラーらしいかを考えた時にあれが浮かんで、黄色の刺しゅうが入ったものもありますけど、それがそのまま続いている形です。相撲もマワシ一丁じゃないですか。マワシも幕下以下は黒しか締められないこともあったんですけど、ほかの色は一度も使わなかった。

違う色のタイツに変えようと思ったことは?

樋口 ほかの人の色がカッコいいと思ったこともありましたけど、そろそろ新しいコスチュームを作ろうかとなった時に考えてもこれしかないなという結論に達していました。

周りはカラフルなのに。タイツだけでなく、会見のような場に出る時も必ず黒のスーツに黒のワイシャツですよね。

樋口 あ、それは黒のシャツ一枚しかないんで。本当は柄のシャツも着たいですよ。

いや、ここに来て黒のみでやってきたことがちゃんとつながったなと思ったんです。続けることで意味が醸成される。技もそうですけど、トラディショナルなもので勝負してきたことが樋口和貞の個性につながっています。

樋口 そう言ってもらえて救われます。たぶんこれからも変えないです。でも、人間どこで変わるかわからないですから、カラフルになる可能性はあるかもしれません。

さて、CyberFight Festivalの件について改めてお聞きしたいと思います。あれ以後、選手や関係者、ファンの間で本当にたくさんの意見、見解が出されました。一つの事象に対し、ここまでさまざまな見方がされるのもプロレスというジャンルならではだと思うのですが、あの場にいた一人として樋口選手が出した結論をお聞かせください。

樋口 あれはシンプルに“勝ち・負け”だけだと思います。あそこは中嶋勝彦が勝って、遠藤哲哉が負けた…それ以上でもそれ以下でもないです。

中嶋選手の張り手に対し、秋山選手が異を唱えました。

樋口 いろんな意見はあってしかるべきだというのを前提として、自分はリングの中では何が起こるかわからないという覚悟で上がっているので、やり方云々もあるのかもしれないけど、自分としては「やられた」だけです。

自分が所属する団体のチャンピオンが、あのような形で負けてしまったという受け取り方だったわけですか。

樋口 そうですね。相撲も、どんな形であれ勝てば番付が上がり、負ければ下がる。それ以外の要素が入り込む余地なんてないんです。相撲とプロレスを通じて、自分はそういうものだと受け取ってきたので、あとは遠藤哲哉がどう立ち上がるか。相撲も一度負けても15日間あるから明日にはどう立て直すかを繰り返す。あれで死んだわけじゃなくて、これからもリングに上がり続けるんだから、プロレスラーとしてどんな姿で立ち上がるところを見せるかなんだと思います。そうした中で自分は何をやるべきなのかを考え、あのリング上にいた人間として「なんだ、DDTは」と思われているのを払しょくするためのことをやりたいと思いました。遠藤哲哉には遠藤哲哉としての立ち上がり方を見せなければならないけれど、自分は自分の立場から違った立ち上がり方…DDTをどう立ち上がらせるかに舵を切りましたね。今後どうなるかはわからないから、仮にやるとなったら自分もやります。ただ、自分は今こそDDTというものをしっかり確立させたいという思いがあるので、まずはそこです。

竹下選手が海外遠征にいき、遠藤選手が欠場しその2人がリング上にいないタイミングでチャンピオンとなったことに関してはどう受け止めていますか。今までは追いかけてきたのが、一日にしてその2人から追われる立場となります。

樋口 そこに関しては、実績として2人とは勝ったり負けたりなんで追いかける感覚ではなかったし、今も追いかけられるという意識はないです。来るならかまわないよっていう感じですね。ただ、この2人が胸を張って「俺はDDTだ!」と言えるような団体にしていきたい。これまで主軸だった2人が不在の中でもDDTっていいなと思ってもらえるよう、自分の力で持っていくスタンスです。

その2人以外で、チャンピオンになった今だからこそタイトルを懸けてやってみたい相手はいますか。KO-D無差別級王者・樋口和貞としては誰と当たっても“初モノ”なので新鮮味はあると思われます。

樋口 これは本当に我こそはと思う人間なら誰でもいいです。今は欠場中ですけど、中村(圭吾)でもその気があるならOKですし、ポコたんでもヨシヒコでも…いや、ヨシヒコはダメだな。でもやってみたいな。一度組んだだけでまだ対戦はないので。ヒザをケガした時に思ったのは「DDTは群雄割拠になった方が面白い」だった。だから、誰でも来い!なんです。