鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2022年9月号では、そのスペシャル版として「熱狂のプロレス50年」と題し特集を掲載。その証言者として全日本プロレス・渕正信選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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※鈴木健.txt氏 twitter:@yaroutxt facebook:facebook.com/Kensuzukitxt

渕 正信(全日本プロレス)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

馬場さんに今の全日本の
“音”を聞いてほしいよね

渕 正信(全日本プロレス)

🄫全日本プロレス

全日本へ入門する直前に
猪木vs小林戦があった

今年で50周年を迎える新日本プロレスと全日本プロレスですが、渕さんはその当事者の一人として草創期から現在までの歴史を見てきました。

 50年といったら半世紀だもんな。その中にずっとかかわってきたこと自体が幸せなんだと思う。俺が全日本に入門したのは1974年4月だったから、旗揚げしてまだ1年半。ということは、本当に50年近くこの団体にいることになるんだよな。もちろん、入った頃にここまで続くなんていうことは考えもしなかったし、一つの会社に50年近くもいるというのはなかなかないじゃない。だから結果的にそうなったっていうのが、正直な感覚なんだよ。まあ、ほかの団体にいくことなんてサラサラ考えなかったっていうのもあるけど、そこまで長く続けられない人もたくさんいる中で、こうして50年近く経っても取材を受けているっていうのも幸せなことなんだと思う。

ジャイアント馬場さんにあこがれて全日本へ入った渕さんから見て、ライバル団体・新日本はどのように映っていたのでしょう。

 まずは単純に負けられないと意識する相手であり、逆にこっちは新日本プロレスが呼べない豪華な外国人選手を招へいできるという優越感もあったな。それもあって、向こうは日本人対決をやったじゃない。

アントニオ猪木vsストロング小林、藤波辰爾vs長州力戦などが歴史を築いてきました。

 そういうのが盛り上がることで、ウチとは違うやり方でやっているなって意識はしていた。猪木vs小林戦がおこなわれたのって、俺が全日本に入門した年だったんだよ。

1974年3月19日ですから、本当に渕さんが全日本の門を叩く数週前になります。

 そうそう。これからプロレスラーを目指すっていう時に日本中がその話題でいっぱいになったんだから、それが意識しなくてもいろいろ聞くだろ。ただ、俺は子どもの頃から馬場さんのファンだったから、そこで新日本に入ろうかとはならなかった。まあ、新人時代っていうのは先輩たちの世話をしなければならないし練習はキツいしで一杯いっぱいなんだけど、練習中に新日本の新人はどんなことをやっているんだろうか、それに負けるわけにはいかないなっていうのは、強くは意識しなくても頭の中のどこかにあった。それでキャリアを積んでくるとマスコミの人たちから、新日本はこんな感じだっていう話が入ってくるようになって…直接的な接点はなくとも、情報として入ってくるから遠くて近い存在だったということだな。

当時は新日本、全日本と国際プロレスの3団体しかなかったので、今以上に他団体の存在を意識せざるを得ない時代でした。よくプロレス大賞のような席で顔を合わせてもピリピリしていたと言われますが…。

 それ、よく言われるんだけど俺が努力賞っていうのをもらって初めて授賞式に出席した時(1976年=第3回)は、みんな普通に挨拶を交わしていたんだよ。ジャンボ鶴田さんが「俺、猪木さんのところまでいって挨拶してきたよ!」って言ってて。

鶴田さんはフランクに接するタイプの方でしたよね。

 パーティーのような席でピリピリするわけにもいかないだろうし、むしろそういう場だからこそ普段は緊張感があっても笑顔でいようっていうのもあっただろうしな。当時、馬場さんが「プロレスラーは100人もいないんだから」ってよく言っていた。その頃はまだ、元をたどればみんな同じ日本プロレスっていう時代だったから、同じ釜の飯を食った者っていう意識の方が強かったんだと思う。もちろん俺はその時代を知らないわけだけど、若手として猪木さんや坂口(征二)さんのところへいって挨拶はしたよ。そんなのは当たり前じゃない。

馬場さんと向き合うのとはまた違った感覚だったのでは?

 直立不動だよ。普段は会わない分、よけい緊張したな、ワッハッハッ! 坂口さんも藤波さんも馬場さんのところに来たりね。

新日本に乗り込んだ時、
噛まなかったのが不思議

リング上での交流がなかったあの時代、可能であれば新日本の選手と対戦、あるいはタッグで絡んでみたいとの思いは抱いていたのでしょうか。

 国際プロレスとは交流戦をやったんだけど、それが刺激的でみんないい試合をやったんだよな。俺もスネーク奄美さんとやったけど、早く上の人同士の中に入れたらなと思っていた。だから他団体と絡むというのはファンが見ても興味が湧くのはもちろんだけど、やる側もいい方向にいくのはその時にわかったんだよ。ただ、新日本となるとお互いの会社云々以前にテレビ局の縛りがあったから。

新日本はテレビ朝日、全日本は日本テレビ以外の局に出られないという契約ですね。

 それがある限り不可能なことはわかっていたんで、新日本と絡めたらというのは…考えなかったと思うよ。意識したという意味では、アメリカ遠征から戻った時のことかな。

1983年の夏に凱旋帰国しました。

 俺がアメリカへいっている間に、新日本でタイガーマスクがデビューしただろ。それでこっちもジュニアヘビー級のサイズだったから、そこは比較されるわけだ。

帰国前の6月にアメリカでチャボ・ゲレロのNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座に挑戦して、8月の凱旋試合でもう一度チャレンジしたんですよね。

 ところがその直前にタイガーマスクが引退しちゃって、宙に浮いた形になってしまった。話題になったことで、これはもしかすると…という思いはやはり芽生えるもんだろ。具体的な話は何もなくて、それ以前に消滅する形になったけど…あの時ぐらいかなあ、新日本との対戦を意識したのは。あとは引き抜き合戦があったり、猪木さんが馬場さんを挑発したりだったから、これは交流なんてあるはずがないって思っていた。向こうがやっていた異種格闘技戦も話題としては大きかったけど、金銭面で大変だと内情は聞いていたから、たまに馬場さんが「猪木は大変だよなあ」ってボソっと呟くのを聞いたな。こっちはファンクスだ、ミル・マスカラスだ、アブドーラ・ザ・ブッチャーだって人気のある外国人選手が来て地方もけっこう入っていて、年に2、3回はNWA世界ヘビー級チャンピオン(80年代まで世界最高とされたタイトル)も呼んでいたのに対し、新日本はまったく違う路線のものをやっていたから、そこまでかけ離れると絡む対象というにはならなかったんだろうな。

1983年8月に佐山聡さんが虎のマスクを脱がなかったらと思うと、惜しい気がします。渕さんのレスラー人生も違ったものになったかもしれません。

 アメリカまで取材に来る日本の記者みんながみんな「タイガーマスクというすごいプロレスラーが現れた!」って言うんだよ。カール・ゴッチさんもすごく誉めていたしな。

渕さんと佐山さん共通の師匠になります。そういう関係性が2000年まで続く中、渕さんが新日本の両国国技館大会に単身乗り込み「30年の長い間、全日本プロレスと新日本プロレスの間には厚い壁がありました。今日、その壁をブチ破りに来ました!」と歴史的なマイクアピールをおこないました。

 あれから20年以上も経つと、あんまり自分の中でも残っていないんだよ。まだ髪がフサフサだったことしか憶えていない、ワハハハハ。まあ、あの時は開き直りだよな。全日本は(川田利明と)2人しか選手がいないわけだから。あれ、今だったら動画として残って見られちゃうんだろ? そういうのがなかったら、今頃忘れ去られてこうして話に出ることもなかっただろうな。俺も見たことがあるけど、今思うと不思議だよなあ。

不思議?

 俺がマイクでまったく噛んでいないんだよ。よく噛まずに言えたよな。普段の自分だったら噛みまくっていたよ。ということは、何か不思議な力が働いてああなったのかもしれない。

これほどの歴史的な出来事を自分が動くことで形にしたわけです。

 そこなんだけど、自分がやったっていう意識がないんだよな。実は年明けの1月に東京ドームで馬場さんの三回忌追悼興行をやるって押さえていて、そこまでは全日本プロレスとしてやっていこうって(馬場)元子さんも言っていたんだよ。そこまでやったら、ノアを起ち上げた連中に対しても意地を見せられるし、馬場さんにも顔向けできるだろうって、その思いだけだったよ。そうしたら武藤(敬司)がこっちに来るってなって、思わぬ方向に進んで歴史が途切れることなく今でも続いているんだからな。全日本プロレスの50年分の歴史を見ても、何がどうなるかなんてわからないってなるだろ。俺自身のプロレスラー人生も同じだよ。ここまで続けてきたからこそ、それがすごく実感として来るんだよな。

他団体の選手を見た時に
目がいくところは…

2000年代を迎える頃にはもはや誰も正確に数えられないほど日本のプロレス団体が増え、スタイルも派生していきました。その流れは渕さんの目にどう映っていたのでしょう。

 俺自身は、アスリートしては今のレスラーの方がすごいと思っている。身長は昔の選手の方が高かったけど、今の選手は体型もしっかり維持しているじゃない。昔はああいう体型のレスラーは数えるほどしかいなくてぽっちゃり体型が多かったけど、じゃあどっちがプロレスラーっぽい体かって言ったらどう思う?

後者の方となります。

 そうだろ? アスリートらしさの前にプロレスラーらしさっていうのが当時の体型だった。今の時代に合っているのは酒を浴びるほど飲まされ、胃から戻ってくるぐらいに食わされてできあがった体ではないっていうことだろうな。でも、一般人ではマネできないぐらい食って飲んでこそプロレスラーっていうのがよかった時代じゃない。

そこがリングに上がる者と一般人の境界線の一つでした。

 そうやって体をデカくした人間が、大技だけでなくヘッドロックやキーロック、レッグロックのような寝技でもお客さんを魅せるっていうのがあったけど、今は大技が限りなくすごいもんな。だから同じ「プロレス」であっても俺なんかからすると別モノの感覚なんだよ。別モノだけど、どちらも「プロレス」。そういう時代の中だからこそ、ボディースラムと首固めしかやらないような俺が(印象に)残っちゃう。

技を出さないことが個性になっています。

 正直、俺もトシだからそこは出さないんじゃなくて出せないんだけど、出せる技を大切使うという思いでやっているのが伝わっているのかもしれないな。それでもお客さんが喜んでくれるんだから。そうすると、一つの技にこだわりを持つしかないのよ。ひきだしも、もうないしね。

けっしてないのではなく、必要がないんだと思います。王道プロレスのイズムを継承しつつ、時代に合わせて全日本のリングもスタイルの幅が広がり、受け入れられています。

 これも不思議なもんで、スタイルはバラエティーになっても大型の選手が揃っているというのはちゃんと受け継いでいるんだよな。これは会社として大型選手を集めようとしているわけではないのに、ちゃんと揃う。

🄫全日本プロレス

諏訪魔、ジェイク・リー選手という生え抜きだけでなく石川修司選手のように他団体出身の大型選手もいます。

 コロナがだんだん収束すればデカい外国人選手も呼べるようになるし。大きい選手による闘いが中心となりつつも、ジュニアの選手もしっかり育ってきているじゃない。そうやって従来の継承してきたものを守りつつ51周年、52周年、53周年…と広がっていけばいいんだと思う。

対する50周年を迎えた現在の新日本はどう映りますか。

 印象としては昔も今もイケメンレスラーが多いよな。武藤が来た時に「昔はバレンタインになるとチョコレートがトラックで運ばれてきた」っていう話を聞いて「ウチだって三沢や川田や小橋の時はすごかったぞ」って返したんだけど。そんなところで意地を張ってどうすんだって話だよな。今も新日本はそういう印象で、人気があるのがわかるよ。あれだけテレビに出ているっていうのもあるんだろうけど、個性がハッキリしていてそれがプロレスファンにも伝わっていて人気を高めているんだと思う。どんなに団体数が増えても、今では唯一地上波で放送されているプロレスだろ。そこは大きいよ。昔はそれが猪木さん一人のネームバリューだったのが、今はたくさんの選手が知れ渡っている。でも、全日本には大きいレスラー同士がぶつかり合うという全日本でしか見られないプロレスがあるんだから、それに自信を持って届かせていけばいいんだと思うよ。

老舗2団体以外のプロレスはどうでしょう。

 俺もそこまで一つひとつを細かくは見てないからなあ…ただ、腕の取り方や受け身、ロープワークの時のロープの持ち方っていうところに目がいくよな。全日本にも他団体の選手が上がるけど、見ちゃうのはそういう部分で、基本はしっかりしているなって思ったりするよね。本当にたまたまだけどDDTや大日本の選手を見た時に、おっと思わされるんだけど、DDTには秋山(準)がいて、大日本は(グレート)小鹿さんだろ? そこでそういうことかって納得する。

馬場さんがご存命で今のプロレスを見てなんと言ったでしょうね。

 馬場さんの考えは「プロレスとは非日常をお客さんに見せる」だった。その意味でも今の全日本を見たら満足してくれると思うな。あのね、タックルやボディースラムを受けた時の音って、団体によって違うはずだよ。全日本には、大きな選手にしか出せない音というのがあって、それが受け継がれている。馬場さんに今の全日本の音を聞いてほしいよね。

🄫全日本プロレス