スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2022年10月号では、第100回ゲストとして東京女子プロレスのプリンセス・オブ・プリンセス王者・中島翔子選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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真ん中へいる選手には
なれないと思っていました
中島翔子(東京女子プロレス)
🄫 東京女子プロレス
チャンピオンの仕事は勝つ
ところで終わりじゃない
3・19両国国技館で山下実優選手からプリンセス・オブ・プリンセス王座を獲得し、チャンピオンとしての活動をスタートさせて半年になります。ここまでの感触はどんなものでしょうか。
中島 両国からCyberFightフェスのさいたまスーパーアリーナ、東京女子の大田区総合体育館と規模の大きな会場でタイトルマッチを経験したんですけど、こんなに大きなところで短期間にタイトルマッチをやること自体がなかったので、その大きさに負けたくない気持ちでやってきたなと思いますし、このままじゃいけないという思いがやるごとに強くなっている気がします。
団体としても順調にビッグマッチをおこなえるまで成長してきた中で、このままではいけないと。
中島 ベルトを巻いてトップと言っているだけじゃダメで、自分は目に見える形で成長していかないと勝ち続けることはできないと思っているんです。そこは団体が大きくなっていることと自分の勝負という気持ちが強くて。
これほど短期間でビッグマッチにおける防衛戦が続いたチャンピオンは歴代でいなかったので、ハードルが高くなっているとは思います。
中島 そうかもしれないですね。そこでのプレッシャーはありますけど、あると言い切ってしまうと緊張して悪い方向にいってしまう気もするので、あまり意識しないようにはしています。どんな状況でも、自分が持っているベストなことはしたいので勝ち切りたいし、最後に自分が立って喋っているところを会場に来たお客さんが見て、いい気持ちになって帰っていただけるまでがチャンピオンの仕事だなって思いますし。勝つところで終わりじゃないっていうのを、この半年の中で改めて思いました。
ベルトを獲った以後、入場時の表情にチャンピオンとしての役割をしっかりやらなければという姿勢がにじみ出ている気がします。
中島 ベルトを巻いていることって、これほど(選手の)人数がいる中でその顔になることだと受け取っているので、自分らしさももちろん大事にしたいですけど、胸を張って団体のチャンピオンだって言えるようにしたいとは常に思っています。
3・19両国の前に「自分の力ではなく山下の指名で両国のメインに上がれる」と発言されていました。チャンピオンになってからも自分でいいのかという自問自答のようなものはあるんでしょうか。それともキッチリと自信を持って自分だからメインに上がっていると思えているのか。
中島 そこは私の性格だと思うんですけど、常にこれでいいのかなとは考えちゃいますね。旗揚げからずっと一緒にやってきたメンバーは、すごい人たちだと思っているんです。特に山下はベルトを持っていない今だからこそ自由な立ち回りで、やりたかった海外への挑戦とかも積極的にやっていて。東京女子の外で見る山下や坂崎ユカのすごさを体感していると、勝ったり負けたりとは別次元のところで刺激をもらうことがすごくある。私は私でどう闘っていけばいいのかというのが常にあって、そういう自分との闘いでもあると思うんですけど。
そのうちの一人である坂崎選手とのタイトルマッチですが(10・9TDC ホール)、6月のCyberFightフェスに続き4ヵ月の間に2度やることについてはどう受け取っていますか。
中島 自分の中に課題が2つあって。一つは坂崎ユカに対してで、さいたまスーパーアリーナでは私が勝ったんですけど、その翌週に後楽園ホールでタッグのタイトルマッチをやって私たちのチーム・享楽共鳴が坂崎たちのチーム(坂崎&瑞希のマジカルシュガーラビッツ)に負けているんです。そして夏の東京プリンセスカップでは坂崎が優勝して…坂崎ユカは常に追い越し追い越されをしている相手だと思っている中で、前回のタイトルマッチには勝つことができても今現在はちょっと追い抜かれていると思っていて、さいたまで勝ったとしてもTDCホールはまた違った「勝ちたい」との気持ちがあります。もう一つは夏のトーナメントで感じたことなんですけど、今年は世代交代ということがファンの皆さんの間でも出ていて、それは私が(トーナメント準々決勝で)渡辺未詩に負けたことや鈴芽が辰巳リカに勝ってベスト4に入ったことの影響だと思うんですけど、後輩たちが勝ちを望まれているというか、後輩たちが描く新しい景色をファンの方が見たくなってきている。ネガティブな言い回しはしたくないんですけど、自分たちに対しては負けることを望まれているのかなと思ってしまったんですよね。
下から追いかけてくる方が応援されるのはよくあることです。
中島 そうなんですけど、自分が勝ちを望まれないようではダメだと思ってしまって。自分が闘うことで期待はしてほしいけれど、そこよりも渡辺未詩に対する期待の方が上回ってしまった事実は、私の実力不足だったという解釈なんです。だからこそトーナメントの結果、私と坂崎の再戦になったのであれば新しいものを見せなければダメだとの思いがすごく強くて、選手と選手は同じ人間だとしてもこの夏を経てCyberFightフェスの時と同じ選手に見えちゃいけない。後輩たちが見せる風景以上の新しいものを見せたい。それがTDCホールでの私にとってのテーマになります。
それはけっこう難解なテーマです。
中島 同じ自分ではダメだということは常に思っていますし、坂崎もこの夏の短期間で成長しているに違いないので、そこに私も負けないぐらいの成長をしないと、勝負でも負けてしまうでしょうし。
自分がベルトを持っているとしても坂崎選手の方が前をいっている感覚なんですか。
中島 今の時点ではそうですね。この夏、後輩たちに期待が集まっているところを見て心が折れてしまった部分があったんです、勝手になんですけど。もちろん、自分のことを応援してくださる方は「残念だったね。でも、これからも応援するよ」って言ってくださるんですけど、フラットな目線で見ている方は未詩が勝ったことで喜んだだろうし、そこで心に来たものが大きかったんです。
坂崎ユカとの初対面は
お互いにサービスし合った
そんなにもあの一敗は重かったんですね。
中島 山下や坂崎は後輩たちが勝ち進んでも気にしない顔をしていたんですよ。山下の場合、自信があるから本当にそういうのを気にしないんです。坂崎は実は気にしていたけど隠していた節があって、それを聞いた時にけっこう孤独な中で勝ち進んで優勝したんだなって。ユカと未詩の決勝戦を見て、ユカに勇気づけられたところがあって。励まされたということは、自分はユカの背中を見ているのかなって思ったんです。
それで優勝した坂崎選手とのやり合いがエモーショナルなものになったんですね。
中島 はい。坂崎ユカって試合の時は怖い顔をしているんですけど、優勝してマイクを持った瞬間に弱みを見せられたんです。その時、同じような感情を持っていながら表に出さず試合をしたんだなと思うと…悔しかったですよね。うん、悔しかった。それほどトーナメントベスト4にいった4人がカッコよくて、自分がそこにいないのはシンプルに悔しかった。
話をお聞きしていると中島選手はチャンピオンとして堂々と構えるタイプではなく、ベルトを持っていようがいまいが中島翔子なんだなと思います。
中島 それも性格ですよね。ただ、ベルトがシャキッとさせてくれていはいます。そこをしっかりしろよって言ってくれる。
ベルトと会話をしているんですね。
中島 しています。自分の一部というよりも、もう一つの別のものであって、励ますよりもカツを入れてくれる存在のような気がします。
東京女子の初期メンバーとして坂崎選手とは長く、濃いつきあいになります。出逢った頃のことは憶えているものですか。
中島 あの頃は今よりも先輩後輩でしたね。もともと(坂崎)は、プロレスと別の活動をしていて(音楽ユニット・DPG)、初めて会ったのはDDTのビアガーデンプロレスでビラを配っている子たちがいるなっていうところで。その時は会話もなかったんですけど、そのあと私がDDTの両国国技館2DAYSの初日にデビューして、翌日に売店で片づけをしている時に初めて会話をしました。メッチャ憶えているんですけど、初対面の人に対するサービス精神なのか坂崎はひょうきんでした。お互いに認識していながら喋ったことがなかったことで楽しくなって、過剰にフザケ合ったんです。
お互いにサービスし合っていた。
中島 そうです。「こちらこそよろしくお願いします!」ってお互いにお辞儀が低くなっていって、最終的には土下座になるという変なノリでした。そのデビュー戦が終わってからですね、ツイッターかDMでやりとりしたと思うんですけど、練習生になりますとなってそこからは道場で会うようになって。坂崎は練習、全然休まない子で運動神経のよさが印象に残っています。入った順番的には後輩になるので向こうは“さん”づけで呼ぶ感じだったんですけど、東京女子の旗揚げ戦以後、一緒に試合をするようになってからは先輩後輩もなくなりました。
中島選手は山下実優、KANNA、木場千景の3選手のあとに4人目の選手として加わったじゃないですか。そして自分の直後に坂崎選手が入ってきた。上と下それぞれの接し方はどんなものなのかと当時、思っていました。
中島 どちらかというと3人とも坂崎ともフランクだったと思います。あの頃は人数も少なかったので、ライブハウスでのマットプロレスが終わったあとには全員でご飯を食べにいっていました。練習が終わったあともだいたいみんな一緒で。のの子さんだけはずっと私、敬語で喋っていたんですけど、結局は全員がお互いをタメ口で呼ぶようになっていきました。山下、KANNA、木場の3人に対しても最初は敬語でしたけど、デビュー戦が決まってDDTの両国に4人で出られるとなった時に敬語はやめようという話になりまして。それは、年齢的には私の方が上だったので、逆に私に対し敬語を使ってくれていて、私は私で後輩だから敬語で呼んでいたんですけど、もうそういうのはやめようと。そういうのを決める時って、山下が率先して張り切るんですよ。「もうさ、タメ口で喋ろうよ!」って。
学級委員長みたいですね。
中島 そんな感じです。だから山下と最初にタメ口になって、そのあと木場、KANNAともなって、デビューする時にはフラットな感じになっていましたね。
あの3人の中に4人目として入っていくのに、敷居のようなものは感じていたんですか。
中島 全然なかったです。そもそも入団の決め手が、東京女子に敷居の高さを感じていなかったことなので。女子プロレスって十代の頃から練習生になって、しっかり下積みを重ねて、選ばれし者だっていう印象があったんですけど、DDTが東京女子を作った時はニューコンセプトで文化系といううたい文句があって(旗揚げ戦前の)プレイベントでも3人しかいないっていう情報を見てこれは緊張しなくていいんだなと思って選んだんです。そこで入ってみると、3人だとプレイベントでもカードが1人余ってしまうのもあって、4人目が来ることに対し山下が特に喜んでいてすごく歓迎されたのを憶えています。5人目じゃなく、4人目っていうのがよかったんでしょうね。
偶数というのが。
中島 打たれ強かったからなのか、リングでデビューする前の(マットプロレスにおける)初めてのエキシビションマッチまで1ヵ月半しか練習していなかったですし、そこから考える暇もなくプロになることが決まり…みたいな。私の想像ではもうちょっと準備期間があるものだと思っていたんですけど。
まあ、団体的には4人目が入ってきたのは待ってました!とばかりなわけですから、早くデビューさせる運命にあったということです。
中島 そんな状態のままの両国国技館デビューでしたから、それは不安でしたしできることもなさすぎて。
あれほど多くの人前で何かをやって見せることは、それまで…。
中島 なかったですね。プロレス技の名前がわからなかったので、やってみたい技は?と聞かれて答えらえなかったですから。でも、その時点でプロレスに対する気持ちだけは強かったので、今はこんなだけどちゃんとプロのレスラーになりたい感じでした。
両国国技館でこれからなっていこうというのもすごいですよ。普通はなってから両国国技館に到達するものなのに。
中島 アハハハハ、順番が逆ですよね。
未知なる巨大生物をどう
攻略するかの世界にワクワク
そういうマットプロレスの時代を知らない選手たちの方が増えた現在の東京女子は初期メンとしてどう映っていますか。
中島 そこは、これほど仲間がいるのが心強いです。その分頑張らなければという気持ちも強くなるんですけど、シンプルに人が増えるたびに嬉しいし。何もできないプロレスラーだった当時の自分と比べると、今の方がプロレスラーとしてはいい選手だと思います。過去を知らない人が増えて、今ではたぶんそういうファンの皆さんの方が多いと思います。特に去年からCyberFightフェスごとに東京女子のファンになってくださる方が増えていて、やっと東京女子を知らなかった人たちの前で試合をしてもちゃんと見てくれるようになったんだなって思いますよね。そういう中で、古くからずっと見続けてくれているファンの方もいらっしゃって、そこはメチャクチャありがたいです。最初から見ていて、今でも売店で自分のところに並んでくださる方もいるんです。
あの頃、DDTのニコ生で芸人時代の写真をネタにされていた中島選手が団体最高峰のベルトを巻く存在になるとは…という感慨を抱くファンもいるでしょう。当時は、いわゆる正統的なプロレスの道を歩みたいと思っていたんですか。
中島 そもそも当時は団体のチャンピオンベルトさえなかったですから、想像もしていなかったです。私はHARASHIMAさんやヤス・ウラノさん、入江茂弘さんのようなDDTのトップの方々を見ていて、これがプロだなって思っていたから、早く(本当の)プロになりたい…一人前じゃないけど、とにかくその気持ちが強くて。
ああやっていじられたのは、実は不本意だった?
中島 いえ、そういう方でも頑張れた方が本当はよかったのかもしれませんよね。ただ山下、木場、KANNAが羨ましかったところはあります。少女たちが夢としてプロレスラーになりたいと思っていて、そこはシンプルに応援されるけど、私は芸人を挫折してプロレスラーを目指しているような括りになっているのかなっていうのは、ちょっと嫌でしたね。
昨年10月、伊藤麻希選手が山下選手のプリンセス王座に挑戦してメインに立つにあたり「自分がベルトに絡むようなプロレスラーになるとは思わなかった。もっと賑やかしのようなところが自分の役割になるんだと思っていた」と言っていたんです。中島選手はあの頃、どう思っていたのですか。
中島 私は伊藤ちゃんのように自己主張はできていなくて、ただ中途半端に負け続けていたと思います。今、お話を聞かせていただいて、伊藤ちゃんとは違ったなとは思うんですけど、山下のようにはならないなとは思っていました。DDTでいうとHARASHIMAさんのようにはならないなと。
HARASHIMA選手を見ていたのに。
中島 ならないというより、なれないだろうなって。あんなふうにカッコよく真ん中へいる感じにはなれない。もうちょっと横にずれている人。それはプロレスラーとして一人前になったとしても、真ん中にいる選手ではないよなと。
ところが堂々とセンターに立っています。
中島 真ん中に…なれたんですかね。
チャンピオンベルトを持っているんですから、本人が嫌がってもド真ん中ですよ。
中島 みんなが真ん中に押し出してくれている気がするんですよね。後ろの方に引っ込んじゃう私の背中を押してくれている。その上でですけど、自分が想像していた以上のプロレスラーになれたんだなとは思います。
よかったですねえ。
中島 いえ、まだまだです。
まだまだという姿勢はもちろん大切ですけど、少しは達成感、充実感を味わってもいいのでは?
中島 充実感と反省が常に表裏一体なんですよね。これはどんな時もそうなんで、もう変わりようがないんだと思います。
プロレスラーになる前からですか。
中島 なる前がどうだったかも憶えてないぐらい、そんなに頑張っていなかったですね。芸人時代はそもそも人前に立てることがなかったですし…いや、やっぱり今よりも頑張っていなかったですね。
ではプロレスが頑張らせてくれたんですね。この数年に東京女子へ入ってきた選手の中で引っかかる存在はいますか。
中島 今のところは未詩が一番特別ですね、私にとって。これはトーナメントで負ける前からなんですけど、それが今年のトーナメントで未完成だったものが完成したなと思いました。これはよくする話なんですけど、道場で二人っきりになった時に話すことが多くて、オフの日に道場へいっても彼女がいたりして、練習も他人の2倍ぐらいしている。いろんなポテンシャルがどんどんすごくなっていっているから、それを見ていると自分も頑張らなきゃなって。それを言ったらみんながそうなんですけど。試合結果じゃないところで実はものすごいことができる子が多いんです。隠し武器がすごい人たちが東京女子に集まってくる。遠藤有栖とか1998年生まれがけっこう多いんですけど、その子たちはみんなすごいですね。技がすごいというだけではなく、水をいっぱい吸い込むスポンジなんですよ。試合のたびに変わっていって、先月とはまた違った闘いをしている。荒井(優希)ちゃんもベルトを獲った以後は試合中の表情が違ってきているし。
🄫 東京女子プロレス
そういう選手たちに囲まれる中で、ベルトを持ち続けるのは大変なことです。
中島 大変なんですよね、きっと。一回、下の子たちの練習に参加してみたらすごく刺激があって。そこからは、いろんな空気感を知っておかないとなと思うようになって、人をよく見るようにしています。
自分がチャンピオンであるタイミングで、夏にホンモノの怪獣がやってきました。マックス・ジ・インペイラー(178cm、95kg)が挑戦してきたらどうするんですか。全長1.47メートルの大怪獣(中島の異名)としては避けられませんよ。
中島 それはそれで楽しみです。あの規模感が自分の好きなものすぎて、未知なる巨大生物をどう攻略するかの世界は特撮オタクとしてワクワク感しかないです。そこに挑戦してみたい気持ちがあって、この言い方はよくないのかもしれないけど、そこで負けても落ち込まない気がするんです。
自分が特撮の世界に飛び込むようなものですからね。
中島 もちろん勝ったら最高に気持ちいいと思います。SNSでこっそり見たんですけど、本人(インペイラー)も日本のビッグ怪獣には興味があるらしいので。
そういうことも含め、プロレスラーになったことで得られるものは多かったと思います。多くの人の前で何かを表現したり、写真集を出したりと一般の人では味わえないことを経験してきています。
中島 プロレスをする前がどうやって生きてきたか思い出せないぐらい、自分のすべてになっているんですよね。だからプロレスがない人生が想像できないぐらいに私にとってのすべて。逃げ出したくなる時もなくはないんですけど、何かしら前へ進むために悩むことも嫌ではないし、これほど頑張れるものに出逢えたのが一番の財産。転んでも立ち上がって克服するまでのすべての時間が自分にとって大事なものになっていくから、失敗しても失敗じゃなかったんだなってなれるし。生きた心地がするものに出逢えたから…プロレスラーになるまではそういうのがなかったんです。学生時代、部活で頑張ったりはしていましたけど、こんなに悩んだり追いつめられることがなかった。追いつめられることがなければ乗り越えていく自分もいないわけであって。プロレスが私を前向きにさせてくれるんです。
🄫 東京女子プロレス