スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2023年11月号では、第112回ゲストとしてサムライTVニュース番組『速報!バトル☆メン』の三田佐代子キャスターが登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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ついに人生の半分が
サムライTVになりました
三田佐代子(FIGHTING TV サムライ『速報!バトル☆メン』キャスター)
一つの団体に特化しない
メディアとしてできること
前回(2020年5月)にご登場いただいた時は、コロナの影響でプロレス界が無観客試合に入ったタイミングだったんですが、その時に三田さんが言っていた「コロナが収束したら「サムライTV開局5周年でやったような試合ありトークショーありのさまざまな団体、選手が集うイベントをやりたい」が実現することになりました(11月5日、プリズムホール「FIGHTING TV サムライ開局27周年記念イベント サムライTVファン感謝祭2023~プロレスを未来につなごうNOW and Future~」)。
三田 最初、この話を聞いた時はビックリしました。30周年とかでやるのかと思ったら、27周年という。えっ、今年!?って思ったんですけど、できることはできるうちにやった方がいいというのをここ数年で私たちは感じてきたので、今がそのタイミングであるなら嬉しいことだなとも思いました。以前も、闘魂三銃士が集まってトークショーをやった時に、年齢が上がってくるとともにどこが痛いという話になって、その時はみんな笑い話にしていたんですけど、その数年後に橋本(真也)さんが亡くなって。できることはできるうちにやった方がいいんだなと感じたんです。だから30年まで待つ必要はないんですよね。夢の対決も、いつかって言っているうちに実現しないまま終わることがあるじゃないですか。
これは三田さんの方から「こういうのをやりましょう」的に呼びかけたものなんですか。
三田 まったくしていなかったです。だからこそビックリしたんです。ここ数年、興行もそうですがイベントというのがあまりなくて、ファンの方やレスラーの方々と直接一緒に何かを作るってなかったんですよね。それはコロナ前からもそうだったんですけど、サムライの最初の頃って団体さんと一緒にイベントをやったり地方にいったりというのも時々あったんです。ただ、幅が広がっていくにつれて団体さんが独自にやるようになったのが増えてきた。私自身も久々にこういうことができるのは嬉しいですよね。
サムライTVが手掛ける興行としては、5周年イベント(2001年12月28日、後楽園ホール)以来となるんですか。
三田 サムライの周年というくくりではなかったんですけど、そのあとDEEPとディファ有明で一緒にやったイベントがあって(2005年1月9日、生ゴン1000回記念サムライ祭り&SAEKI祭り2)、大江慎さんの引退試合だったんです。スタジオからの放送が終わったあとディファに移動したんですけど、ちょうどスタジオに矢野通選手がゲストでいらっしゃって、私たちはこれからディファ有明にいきますって言ったら自分もいきたいと、みんなでディファに向かったんです。まだYTRになる前だったと思うんですけど、矢野選手がいかにレスリングエリートでいらして、でもやっぱりそれとプロレスは違うんだという話を道中で聞かせていただいて。それでディファに着いたら男・大江慎の散り際と、相手を務めた武田幸三選手の男気に矢野選手がすごく感動して、その姿を見て私も感動したっていうのを憶えています。
2011年の年越しプロレスが開局15周年記念として開催されましたが、これはサムライTV興行とは違うものだったので本当に長い間、こうした形のものはなかったことになります。
三田 その間に新日本さんと全日本さんの合同40周年や、ALL TOGETHERのような大会が開催されて団体の枠を超えたものになりますけど、サムライTVのとなると久しぶりですよね。そこに、5周年に続いてまだ自分がかかわっていられてよかったなって思います。サムライTVのキャスターという立場上、どこかの団体だけを見るわけではなく幅広く見させていただいているので、そういう方たちが一堂に集まるのはすごく嬉しいことです。昔と比べて今は、より皆さんが好きなもの、好きな団体しか見なくなっていると思うんです。新日本さんが好きな人だったら新日本しか見ないとか。団体さんが専用の配信サービスを持つようになって、その団体だけ見るのが可能になった。一般のニュースにしても新聞で読まずにネットで自分の興味があるニュースだけを拾う時代ですよね。でも私は、それがすごくもったいない気がするんです。たとえば1時間番組の『バトル☆メン』を見れば、いろんな団体のニュースが流れるわけじゃないですか。そこで自分が知らなかった選手を見たり、興行を見たりして興味を持ってもらって、今度はそこを見にいってみようってなるのが私はいいなって思っているので、その意味でもサムライがいくつもの団体さんとイベントをやるのは、意義があると思うんです。今回のイベントもこの団体を目当てに来たら、あの団体も見て面白かったっていうきっかけになったら…こういう時代だからこそサムライTVの専門性が高くなっていると思うので、今まで以上にそういうことの意義があるのではと思うんです。一つの団体に特化しないメディアならではのやり方として、できることですよね。
三田さんはイベント当日、どのような役割を担うことになるのでしょうか。
三田 私は仕事柄当然、全体を進行させていくことになると思います。試合をするわけではないので。
それはそうです。
三田 生放送になるので、そのへんの管理をさせていただくことになります。
舵取りですね。
三田 逆に言うとそれぐらいしかできないので。あとは各団体さんに知っている方がいらっしゃるので、何かあった時にじゃあこうしましょうって言いやすいかなとは思います。
プロデューサーさんは「三田さんはサムライTVの象徴なので」と言っておりました。
三田 では使い勝手のいい象徴ということで。永遠に使い勝手のいい立場でいたいと思っております。
団体、選手、ファンと一緒に
乗り越えられたことの自信
会場が普段プロレス会場として使用されている後楽園ホールやTOKYO DOME CITY HALLではなく、プリズムホールです。プロレスとしては昨年アイスリボンが開催したぐらいですね。
三田 プリズムホールではないんですけど、プリズムホールの脇にある「ドームスタジオ」というケーブルテレビのスタジオ…今もあるのかな、それが1996年、サムライTVのスタートだったんですよ。なので、帰ってきた!感があって。そこで私と(アナウンサーの)矢野武さんで試験放送を始めて。橋本選手に来ていただいて、週刊プロレスのニュースページに小さく載ったという。
ではスタート地点に回帰を果たすということになるんですね。
三田 プリズムホールと聞いた時にそれを思い出して懐かしいってなりました。その頃の話を知っている人も少なくなりましたしね。
プリズムホールに入ってみたいからいってみようという会場マニアもいるでしょう。今回は27周年ということですので、これが成功すれば30周年に向けて毎年…となればいいですよね。
三田 やれたらいいなと思います。やはり30年が大きな目標ですから…でも、27年続いたというのも私はすごいと思うんですよ。そんなにも長く自分はやらせていただいているんだと思うと。
それもコロナという大きな壁を乗り越えて続いているわけです。
三田 最近よく思うのは、最初はサムライTVってなんだろうというところから始まっていますから、プロレスラーの方にもファンの方々にも認知されていなかったんですけど、長くやっているとサムライTVを見てプロレスラーになりましたっていう人が出てきて。私が今でも憶えているのはKAI選手がメキシコでデビューして日本へ戻ってきて初めてゲストにいらしてきた時、会うなりいきなり「僕は三田派でした!」って言われたんです。工藤めぐみさんもキャスターをやっていた時に「三田派・くどめ派」というちょっとしたニッチなことになっていて、それを憶えていたらしくて。その時に「ついにサムライを見ていた人がプロレスラーになったんだ」と思って、そういう人たちがどんどん出てきているんですよね。もっとすごいのは、阿部史典選手のご家族がプロレス好きでサムライに加入していたから、CS放送だと思わずこの番組はフジテレビ、この番組はサムライみたいな感じで見ていたらしいんです。だから私のことをそれこそ安藤優子さんのような存在だと思っていたらしくて。いやいや、そうじゃないからって言ったんですけど、4チャンネル、6チャンネル、8チャンネル、10チャンネル、12チャンネル、サムライみたいなものだと思っていたそうなんです。
子どもはそう思うでしょうね。
三田 竹下幸之介選手もそうですけど、そういうサムライTVネイティブと言いますか、二十代後半だといるので、そういう話を聞くとこれほど続いていることのすごさと、いろんな方の人生に影響を与えることができているんだなと思います。
ちゃんとプレイヤーを生み出してきているんですね。樋口和貞選手も紋別で大日大戦を見て育ったそうです。
三田 それは嬉しいですよね。紋別で大日大戦が見られるんだぞって。やってきてよかったって本当に思います。「まだ三田さん、やってたんだ」って言われることもありますけど、そういう話を聞くとちゃんとお伝えしてきてよかったと思えます。
ひとつの物事を27年間、続けてこられたというのは自身の人生においてどんな意味づけができますか。
三田 27年間続ける物事自体がなかなかないですからね。学生生活だってあっという間に終わってしまうわけで。私、ついに人生の半分がサムライTVになりました。始めた時はプロレスを見ていたわけではなかったですし、その負い目がずっとあったんです。でも、長くやっていると私がプロレスを見ていなかったことは誰も知らないので、それを言うと驚かれるぐらいなんです。20年以上やって、そろそろその負い目も持たなくていいのかなって思えるようになりました。
プロレスメディアに携わる者も、27年ずっと在籍している人は少なくなりました。
三田 プロレスラーもそうですし、現場でご一緒する記者の方々も私より若い世代の方が多くなってきているので、それはそれでフレッシュで楽しいなと思いますし、あるレスラーのデビューから引退までというのを、もうけっこう見ているので、それをちゃんと責任持ってこれからも見ていきたいし、伝えていきたいなと思います。
若い世代のプロレスマスコミと接して変わったなと思うことはありますか。
三田 どうなんでしょう…最初は、私がどこの誰?っていう感じで見られていたのが、今は若い方が挨拶に来てくださるので、なんだか申し訳ない気持ちになりますよね。自分は菊池孝さん、門馬忠雄さん、竹内宏介さんに育てていただいたというのがあるんですけど、自分がキャリアの長い側にいってしまっていることに対する戸惑いはあります。菊池さんも「まだやってるの?」って天国で笑っていると思うんですけど。
前回のインタビューで「これほど長く見ていてもプロレスに対するモチベーションがまったく下がらない」と言われていましたが、ほかの物事も一度好きになったらとことん追求するタイプですか。
三田 そうかもしれないですね。それがお仕事になっているのは本当にありがたいことであって、プロレスは日々いろんなことが起きるので、飽きようがないんですよね。コロナの時はどうしようとは思ったんですけど、あれほどみんなで知恵を絞って、手を変え品を変えいろんな形でプロレスを続けたことに対しては今思い出しても感動しますし、今でも選手たちと話すとあれを乗り越えられたっていう自信があると同時に、あれを乗り越えてくれたファンが本当に強いって言うんですよね。正直言うと、お客さんの数としてはコロナ前にはまだ戻っていないところもありますけど、この数ヵ月で声を出して応援できるようになって、人数が減った気がしないぐらい皆さん楽しそうに見ているのが伝わってくるし、それによって選手側の嬉しさも伝わって、みんなが一緒に喜べるようになれたんだなって感じますよね。
レスラーにとってもサムライが
何かのきっかけになってほしい
団体もそうでしたが、プロレスメディアの存続も危ぶまれました。特にサムライTVは毎日放送されるわけで、コロナ禍において一日も放送を休止しなかったんですよね。
三田 東日本大震災の時は電力の問題があって数日停波しましたけど、コロナの時は膨大な25年のアーカイブがあってこそ乗り越えられたので、そこは本当にレガシーですよね。自分のことではないんですけど、誇らしかったです。
これが開局して3、4年だったら…。
三田 3、4年であってもあの頃は独創的でアヴァンギャルドな番組があったので、それをもう一度見ても面白かったかもしれませんね。延々とスクワットをしているところを流す番組とか。
古武直城ディレクターの「チャンネルZERO-ONE」とか。
三田 そうそう。今だと初期の番組はコンプライアンス的にどうなのかなっていうのがあるんですけど、自由だったなあ。
コロナで各団体の試合がなくなった時は、これは今の仕事以外も考えなければ…という危機感はありましたか。
三田 いえ、その時はもう夢中で考えられなかったですね。なんとかなってほしいっていう気持ちの方が大きくて…無観客の後楽園ホールにいった帰り、誰もいないラクーアで噴水が上がっているのを見た瞬間がけっこうショックで、落ち込みはしたんですけど一晩寝るとそうも言っていられないとなって。いろんなところがいろんなやり方でなんとかしようと頑張っているのを追いかけることで夢中で。そこで誰も何もしていなかったら困ったってなったんでしょうけど、無観客試合を配信したりしていたのを追いかけるのがモチベーションになって支えられていました。ほかにやりたいこと、なかったですもん。早く帰ってきてほしいなと思うばっかりで。
有観客の再開一発目がプロレスリングFREEDOMSの新木場1stRINGだったと思うんですけど、あれは足を運ばれましたよね。
三田 あの時、お客さんがすごく節度を持ってやろうとしていたんですよね。自分たちが何かやってしまったらまたプロレスにお客さんを入れられなくなるじゃないかっていう、全員の緊張感と使命感のようなものが強く感じられて。それが切ないほどの健気さで、みんなで興行を作っているんだっていう顔をレスラーの皆さんもお客さんもしていたのを憶えています。代表の佐々木貴選手がリーダーシップを持った方なので、東京都と交渉してなんとかできるようになって、大会終了後に「俺たちがお手本になるんだ!言ったけど、ちょっと言いすぎてみんなが萎縮しちゃったとしたら申し訳なかった」っていう言い方をされていたんですけど、みんなが「俺たちが(再開の)きっかけなんだ!」っていうのをすごく意識してやっていらしたのが…。プロレスは誰かレスラーだけのものではないし、お客さんみんなでこれを成功させようとしているのがジーンと来て。よかったーではなくて、ここからがスタートなんだ、俺たちが始めるんだっていう意識の高さを見ました。
そこから声出しOKという段階を踏んでいきました。
三田 最初はみんな恐る恐るな感じでしたよね。OKだけどちょっと出しづらそうで、それを選手の方が一生懸命煽っていた。これは最近の話なんですけど、プロレスリングBASARAは「宴」というお酒を飲みながら声出しをできる大会ができるようにならないと本格的に戻ったとは言えないってずっと(木髙)イサミさんが言われていて、それで8月末にコロナ以後初めて「宴」を再開した時、みんながすごく楽しそうで。全員が大きな声で『不死身のエレキマン』(イサミの入場曲)を歌っているのを見て、あれはよかったーって思いましたよね。それと後楽園に関しては外国からのお客さんが増えたのを見て戻ってきたなって。私は仕事だから飲めないですけど、あのレモンサワーを飲みながらチキンを食べているのを見て、またこのために戻ってきてくれた、日本のプロレスを海外から見に来にきてくれるようになったというのがすごく嬉しかった。
そういう過程を団体、選手、ファンとともにこの数年で歩んできて、プロレスの底力を実感されたのでは。
三田 本当ですよね。選手だけでも、お客さんだけでもなく、届け伝える私のような立場も含めてひとつでも欠けたらダメだし、みんなが揃っていることのありがたみをすごく感じましたね。ちゃんと我慢して、みんなが我慢してルールを守ってきたからこそ、今ここで爆発できているんだなって。
11月5日もそういう大会にしたいですよね。
三田 全力で前のめりにかかわりたいと思っております。この大会はサムライTV視聴者だけが入場できるというものではなくて、一般の方も普通に入れますので今までサムライを知らなかった層にも届かせるためのものでもあると思うんです。サムライTVに加入すれば、こんなにいろいろなプロレスが見られて、プロレスはこんなにもいろんなことがあるんだってわかると、楽しさが伝わると思うので。この仕事を続けていく中で、そこなんですよね、いろんなものがあるよっていうのを伝える。同時に、昔見ていたけど今はサムライを見ていたけど最近は見ていないっていう方々にも帰ってきてほしいですよね。お帰り、(三田佐代子は)まだいるよって言ってあげたい。
今後、プロレスを伝える媒体として以外で、サムライTVはどんな役割を担っていくべきと思われますか。
三田 10月15日、みちのくプロレスの矢巾町大会をサムライTVで生中継しますけど、そこでやるフジタ“Jr”ハヤト選手と髙橋ヒロム選手の試合も、ヒロム選手が『バトル☆メン』にゲストで出演している時にハヤト選手が番組宛にメッセージを送ったのがひとつのきっかけになっていて、もちろんそれはジュニアオールスター戦があってのことでなんすけど、レスラーにとってもサムライTVの存在が何かのきっかけになってほしい。番組を見て、この人と対戦してみたいなと思ってつなぐきっかけになるのもこちらの立場だと思うんです。
もう一つ、三田さんが夢としてあげていたプロレス版FUJI ROCKもいずれかは。
三田 3年後の30周年では山を借りきってリング3つぐらい組んで、こっちはデスマッチのリング、こっちは通常ルールのリング、こっちはマットプロレス…というようにやれたら。
フェスはやはり山の中ですか。
三田 山の中でなくても、まさにプリズムホールと東京ドームとTDCホール、後楽園ホール、昔やっていたジオポリスも含めて開催したら幸せですよね。さらにゲリラ的に路上プロレスをやってもらったり…水道橋のあのスペースはプロレスの聖地という認識が皆さんの中にもあると思うので、そこに来たら一日中どこかでプロレスやっているみたいな…それが夢ですよね。