スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2023年12月号では、第113回ゲストとしてみちのくプロレス・MUSASHI選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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これだ!と決めたことに縛られず
もっと自由にやっていいと
考えるようになったんです
MUSASHI(みちのくプロレス)
デスマッチでみちのくに
新しい刺激を入れたかった
まずはYOH選手とのコンビで「SUPER Jr TAG LEAGUE 2023」に出場した新日本プロレスでの経験についてからお話ください。
MUSASHI 率直に、レベルが高いっていうのが一番感じたことですね。選手の一人ひとりのポテンシャルが高いというのは参戦する前にからわかってはいたんですけど、思っていた以上にそれを感じました。細かい気づきについて言うなら、こういう技もあるんだとか、この技ではこういう入り方もあるんだとか。自分が使う技を使っている選手も何人かいたんですけど、自分の知らない面白い入り方をする選手がいたり、あとは試合の組み立て方がうまい選手がいたりで、今までほとんどみちのくプロレスの中でやっていた人間としてとにかく見るもの経験するものが強く印象に残ることばかりで。その意味では1シリーズではありますけど、本当にいい経験になりました。その中でリーグ戦の戦績もそうですけど、何か爪痕を残したいという思いでやったシリーズでしたね。
他団体のファンの前で継続してファイトすることに関してはどんな感覚でしたか。
MUSASHI 初めて参戦したこともあって、周りの選手に声援があっても自分にはないっていう中でやっていました。(シリーズの)最後の方になったら少しは応援の声もあったと思うんですけど、こういうところも課題だよなって思いました。自分はまだ知名度を上げなければならないんだっていうのを実体験させられましたよね。
プロレスラーになってから、いつかは新日本に上がりたいとは思っていたのでしょうか。
MUSASHI いや、まったく想像していなかったです。だから今回のことは本当に想定外でした。もちろん新日本プロレスは日本だけでなく世界で注目されている団体ですから、上がれたらいいなとは心のどこかにありましたけど、それを目標においてやっていたわけではなかったので、このタイミングで来るとは…でした。
もともとMUSASHI選手はほとんどみちのくプロレス内で活動していて、去年あたりからGLEATなどの他団体に上がる機会が巡ってきました。
MUSASHI でも、他団体に出たいというのはずっとあったんです。それによって、今のみちのくプロレスをもっと知ってほしいという意味でですけど。おそらく今でもみちのくプロレスって聞いたら出てくるのはザ・グレート・サスケ、新崎人生だと思うんです。実際、自分が営業にいって「今度みちのくプロレスがあるんで見に来てください」って言うと「あー、サスケ選手のところね」って今でも言われる。それほどサスケさん、人生さんのネームバリューがすごいのは確かですけど、今のみちのくは自分たちであって。だから、自分が他団体に出ることであの頃ではなく今のみちのくを見に来てほしい。それには他団体に出て顔と名前を売るのが一つの方法ですから。
サスケ選手、人生選手の代も他団体に出ることでその存在が知れ渡りました。特に第1回SUPER J-CUPに出場したことでみちのくは全国区になったという史実があります。
MUSASHI そうですよね。もちろん、東北のファンの皆さんは大事だし、みちのくが何よりもまずやらなければならないのが東北のプロレスを盛り上げることなのは変わらないです。その上で、みちのくだけでやっていればいいとは思っていませんでした。だから今回、YOH選手の指名を受けて新日本プロレスに出られたことは大きかったし、それを今後、みちのくに還元させていくのが自分のやるべきことだと思います。
シリーズ中、東北での大会もあったので、これを機に「次回はみちのくプロレスのMUSASHIを見てみるか」となるのが理想ですね。YOH選手は組んでみてどうでしたか。
MUSASHI こういう表現が適切かどうかはわからないですけど、YOHさんはひょうひょうとしているというか、控室とかで会話していても正体を現さない人で、どこまでが冗談なのかの判断が難しいと申しますか。
ここは笑うところなのか、それとも真面目に喋っているのかがつかみづらい?
MUSASHI そんな感じですね。でも、その距離感が面白くて。コミュニケーションはそんな感じなのに、リングに上がってタッグを組むと不思議に呼吸が合って、それも面白いなと思いました。最初はやっぱりお互いのタイミングとかが合っていない部分もあったんですけど、リーグ戦が進むごとに楽しくなってきて、YOHさんも同じことを言っていました。だから最後の大阪でも言ったんですけど、このチームは継続したい。「武蔵小松」というチーム名もついたんで、これで終わらせたくないしもっと面白いものになるという手応えはつかめたんで。
もうひとつ、新たな流れとしてはデスマッチへ足を踏み入れたことです。9・17滝沢大会で葛西純&佐々木貴と有刺鉄線ボードデスマッチで対戦し、11・18矢巾町では葛西純と有刺鉄線ボード&画鋲デスマッチで一騎打ちをおこないます(当日前に取材)。自分がデスマッチをやるということは以前から考えていたことなんでしょうか。
MUSASHI デスマッチをやりたいとは思っていなかったですし、ファン時代も見ていなかったですね。でも、葛西純を相手にするのであれば普通の試合形式でやっても意味がない。
みちのくのジャパニーズルチャに葛西選手を引き込む手もあったでしょう。
MUSASHI うーん、こういう時って相手の土俵に上がった方が絶対に刺激を得られると思うんですよ。普段からやっているスタイルでいった方が有利なのはわかっていても、それで勝って自分が満足するかっていったら…じゃないですか。そういう有利かどうかなんていうのも考えずに、やってやろうじゃん!っていう意識の方が先に浮かんだんで、そこは 自分に正直でしたね。
みちのくのイメージとデスマッチはあまりにかけ離れていますよね。日ごろからハードコアな目に遭っていて“ミスター満身創痍”の異名をほしいままにしているサスケ選手を別とすると。
MUSASHI だからこそ今のみちのくプロレスに新しい刺激を入れたかったというのも自分の中にあったんです。葛西選手とのシングルマッチに臨む前の時点で、ここ(左上腕の裏部分)に傷ができて残っています。たぶん一生残る傷なんでしょうけど、これも勲章ですし、残ったところ嫌だとも思いません。
仮に葛西戦でデスマッチに開眼したら続けるつもりですか。
MUSASHI どんな形になっても、もうやらないと思うことはないでしょう。
東北のファンがデスマッチの刺激を受け入れるかどうかというのもあります。
MUSASHI そこは求められているかどうかはわからないですけど、受け入れてはくれると思っています。9月の有刺鉄線ボードの時もやめてくれとか見たくないという声は出なかっただろうし、少なくとも僕のところにそういう声は入っていないです。デスマッチをやる理由とはちょっと違ってくるんですけど、新日本プロレス参戦も含めて経験した今思うのは、自分は視野がすごく狭かったなということなんです。これだ!と決めたことに縛られていたというか。もちろん芯は必要ですけど、もっと自由にやった方がいいんじゃないかっていう考え方に変わってきた。だから自分にやる気さえあれば、やれることならなんでもやってやろうっていうのが今の自分です。それも、もっとみちのくを広めるということにつながってくるのであれば。
ハヤトの復帰戦でブレーキが
かからなかったのはハヤトの教え
みちのくの名前を広めるということに関しては、やはりフジタ“Jr”ハヤト選手との闘いが絶大なる求心力を派生させました。ただ、あれはどうしてもハヤト選手が注目され、何をやってもハヤト選手が“主”になってしまう中での闘いでした。そこに自分が臨むにあたり、どのような姿勢でやろうと思っていたのでしょうか。
MUSASHI 今だから言えますけど正直、いろんな葛藤はありました。それは対戦相手だけでなく会社、とりあげるメディア、ファン…周りのすべてに対してです。5年休んでいた人間が復帰することはすごいことだし、ましてやあのような境遇(ガンからのカムバック)ですから。でも、それでいきなり(東北ジュニアヘビー級)タイトルマッチというのは…。
ある意味、勝ってもベルトを防衛することと先輩・ハヤトに勝ったこと以外のメリットはないシチュエーションです。だからこそ、よくぞやったと思ったんです。
MUSASHI もちろん5年休んでいた相手に負けるわけにいかないから、遠慮なんてするつもりなかったし、そんなのは相手に対しても失礼になるんで手加減をしないのではなく、できなかったです。ただ…何かしらのハプニング、ケガをしたらどうするんだっていう思いはありました。向こうがタイトルを懸けてやれと、それを受けて会社がOKを出した。今言った通り、こっちはだからといって遠慮なんてできないんです。
そこは会社としてもGOを出すことに関し、覚悟は要したと思われます。
MUSASHI それに…これはジェラシーなのかもしれないですけど、5年ぶりに復帰する人間にしかスポットライトが当たらない。いや、チャンピオンは俺なのに、なんで誰も俺に聞きにこないんだよ!って…悔しさ? いや、なんて表現したらいいのかわからないですけど…。
憤り?
MUSASHI ああ、そうですね。タイトルマッチで自分が勝って防衛したところで、それさえも(ハヤトの)ストーリーになる。それはどうやったところでひっくり返らない。だから当日(2022年7月1日、後楽園)は、あの場にいた全員に対し見とけよ!っていう感情が強かったですね。正直、周りは全員敵だって思うように自分を持っていきました。言い方はよくないかもしれないけど、それは会社に対してもです。そういう方向に自分を持っていくことで、あそこまでやれた部分はあると思います。ただ、負けてしまったんで何を言っても仕方がない。
だからこれまで口にしてこなかったんですね。
MUSASHI そういうのって、自分自身も気持ちのいいものではないんです。でも、あの立場にならないと…負けたことで、悔いは残りました。
年末の日本インディー大賞でベストバウト賞に選ばれたように、確かにあれはハヤト選手の物語でしたがMUSASHI選手のあの姿勢と闘いぶりが評価されたのだと思います。本当に、よくぞあの難しい立ち位置で闘い抜きました。
MUSASHI 自分は勝ち負けを常に一番に考えているんで、負けていただくのはスッキリしない部分があったんですけど、周りに評価されたという意味ではすごく自信になりました。 今でもあの試合に関しては本当、全部を鮮明に憶えているし、その時の自分の気持ちも忘れられません。
いや、そういう本心が聞きたかったんです。これまでのMUSASHI選手は、自分の内なる思いをあまり外に出さず、黙々とその時その時のやるべきことをやってきた印象だったので。先ほど、ケガをしたらという話が出ましたが、病魔と今も闘っている人間と対戦することで気持ちのブレーキはかかったんですか。あるいはかかってもそれを振り払ったのか。
MUSASHI これも正直に言いますと恐怖心は最初、ありました。でも、最初だけです。防衛戦が近づくにつれてその気持ちは徐々になくなっていきました。当日はまったくなく、あれほどの闘いで来られたこともあっていつもの自分で100%いけました。何より(ハヤトから)MUSASHI、遠慮しているじゃねえかって思われるのが嫌だったので、ブレーキはかからなかったです。
いや、それってすごい世界だし、すごい関係性ですよ。
MUSASHI 若手の頃、一番自分の試合を見てくれたのがフジタ“Jr”ハヤトという先輩だったんです。終わったらアドバイスとかもしょっちゅうくれて。当時、九龍(反体制ユニット)のメンバーだったのに、若手の試合は見てくれていたんです。リング上で対戦した時も蹴りまくられて、アドバイスをもらうような若手なのに、まったく手を抜かない。だから、それによって厳しさを教えてくれたと思うし、今の自分の中に残っているからブレーキがかからなかったっていうのもあるんでしょうね。
影響を与えられた先輩だったんですね。自分にそういったものを叩き込んだ当事者に対し、その姿勢でいくというのはMUSASHI選手の物語ですね。
MUSASHI だからこそ…勝ちたかった、勝ちたかったですよね。あのあと(東北)タッグタイトル戦では直接僕が獲りましたけど、これからも闘いは続いていくわけです。そして、僕の見えないところで病気と闘い続けながらリングに上がる。そこでの葛藤は、ないですね。なぜなら、試合をやっている中でまったくそういう要素をリングの上で見せないじゃないですか。我慢して見せないようにしているのかもしれないけど、やっている分にはまったく心配していない。とにかく今言いたいのは、自分が挑戦するまではベルトをずっと持ち続けてくれっていうことです。やはりあの人から獲り返さないと、あの時に残った悔いは消せないと思うんで。
DOUKI、東郷、拳王、T-Hawk戦…
もっとみちのくの名を広めるために
今年、みちのく旗揚げ30周年を迎え、50ヵ年計画に向けてあと20年歩み続けていくわけですが、先ほどもお話にありました通り今でもサスケ、人生、ディック東郷といった先人たちの名前が壁になっています。現世代をけん引する者としての思いは?
MUSASHI それがここから先、みちのくとしてやっていく中での最大の課題だと思っています。じゃあ、直接対戦して勝てば変わるかというとそういうものではない。
人生選手には6・25仙台サンプラザの一騎打ちで敗れてしまいましたが、サスケ選手には1・7道場マッチの一騎打ちで勝っているんですよね。
MUSASHI はい。でもそれによって見方が変わったわけではないですから。
二人とも、20年後も現役でやっていると言っています。
MUSASHI 自分自身もあと20年経ってもやっているとは思いますけど、20年後も変わらずみちのく=サスケ、新崎人生だったとしたら、それはちょっと違いますよね。
実質50年…半世紀変わらなかったということになります。
MUSASHI それはそれですごいんでしょうけど…僕が学生の時に見ていたみちのくプロレスって、義経さんや景虎さんがいた頃だったんです。
新崎人生社長体制になった2005年あたりですね。
MUSASHI 僕も地元が滝沢市なんで、地元の団体ということで会場にいっていて。だから、サスケさんや人生さんが中心だった頃はリアルタイムでは見ていないんです。それで、自分もプロレスラーになりたいと思って、なるために盛岡工業のレスリング部に入りました。
盛工レスリング部OBにTAKAみちのく選手やHi69選手がいるのは…。
MUSASHI もちろん知っていました。だから、ここに入ればみちのくに入れると思って。
入るとしたらみちのくと考えていたんですか。
MUSASHI ほかの団体も見てはいましたけど当時、僕はのはし(たろう)さんの大ファンだったので、みちのくに入りたかったんです。入って最初のうちはのはしさんに教えていただいて、そこから(日向寺)塁さん、拳王さんとコーチが変わっていきました。
郡司歩選手とはまったくの同期なんですか。
MUSASHI 入門は自分の方がちょっと早いです。数ヵ月前に入った人がいたんですけど、デビュー前にやめてしまって、同期としては2人だけでした。
みちのくと言えば、デビューするまでのハードルが高いのが伝統ですが、そこは同期同士で励まし合って耐えたんですか。
MUSASHI いえ、あまり仲がよくなったんで、特に励まし合うこともなく自分でなんとか頑張っていたんだと思います。それがよかったんじゃないんですかね、自立心がついてお互い「あんなやつには負けねえ!」っていう感じで頑張れたから。あとは、よく外国人選手が留学というか、来日すると道場で寝泊まりしていたんで、それもよかった。ずっと2人だけだったら、たぶんどっちかがやめていたでしょう。
フツーは支え合いますよね。
MUSASHI ですよね。でも自分らは先にやめると言ったら「じゃあ、やめろよ」と言われると思ったから、どっちも意地になって言い出さなかったという。
入門からデビューまで1年以上って、今のプロレス界では長いですよ。これ、本当にデビューできるのかと不安にならなかったですか。
MUSASHI それを考える暇もなかったというか、余裕がなかったのが本当のところで。毎日の練習をコツコツやっていたらある日突然、デビューだよって言われた感じでした。自分の場合、ほかにやりたいこともなかったんでいつデビューできるかわからなくても続けられたんだと思います。工業高校にいってもプロレスラーなることしか考えていなかったから、なんの資格も取らなかった。本当に、プロレスラーになるしかほかの道はなかったんです。
みちのくは新人が入ってはやめの繰り返しなので、全部の雑用が回ってくる。練習よりもそれが大変でまたやめていくと、以前にGammaさんから聞いたことがあります。
MUSASHI 自分たちもそんな感じでした。あとから何人か入ってきましたけど、結局はいなくなっちゃってまた(郡司と)2人で全部やることになるという繰り返しでした。確かに、そこはシンドかった部分ではあります。
もう道場・合宿所は滝沢だったんでしたっけ?
MUSASHI そうです。今は盛岡市内に出て住んでいますけど。
滝沢の道場は山奥過ぎて携帯の電波が届いていないという都市伝説…いや、地方伝説を聞いたのですが、本当なんですか。
MUSASHI 合宿所内の位置によりますね。窓際だと拾うけど来ない部屋もありました。
コンビニエンスストアも車でいくとか。
MUSASHI 最近は近くにできましたけど、当時は車で10分ぐらいのところまでいっていました。あと、外に明かりがまったくなかったので、夜になったら本当の暗闇で。
都会の夜とは明らかに違うでしょう。野生の動物は出なかったんですか。
MUSASHI ああ、出ます。熊とか。
OSO11ではないですよね? 大丈夫なんですか、それ。
MUSASHI 一応は大丈夫です。今のところ被害はないので。
でも道場に入ってくる可能性はゼロではないですよね。
MUSASHI 普段道場はちゃんと締め切っているんですが、なぜかわかんないですけどドアが開いていて夜練習にいって電気点けたら、リングのど真ん中に何か黒い毛が生えたやつがいたんですよ。熊か!?って思ってゆっくり近づいていっても動かない。結局それは、野良犬だったんでよかったんですけど、脅かすなよ!ですよね。
いやいや、プロレスの道場に野良犬がいることもあり得ないです。そういう環境だからむしろ続いたんでしょうね。みちのくの人間だけではと思います、そういう経験ができるのは。携帯の電波が届かないところで生活して、そこまでしてなりたいのであれば諦めませんよね。
MUSASHI そうですね。デビューして終わりじゃないし、ベルトを獲れば終わるというものでもないし。やっぱり名前も今以上に売りたいって思いますし、みちのくプロレスをもっともっと有名にしたいっていうのも言い出したらキリがない。表現はちょっと違うかもしれないですけど、プロレスラーをやっている限りは何かインパクトを残したいっていうのは常に思っています。
こうして他団体にも出場する機会が増えてきた中、いつかは対戦してみたい相手はいますか。
MUSASHI まずは最近、新日本で再会したDOUKIとは一騎打ちをやりたいです。向こうもやろうって言ってくれているみたいなんで、そこは実現させたい。
メキシコで一緒だったんですよね。
MUSASHI タッグを組んでいました。一緒に住んではいなかったんですけど、生活の方でも助けてもらっていましたね。タッグリーグ戦で直接ピンフォールを獲られてしまったんで、そこはシングルで借りを返したいし、あの時の感謝の思いを勝つことで返したいです。あと他団体ではないですけど、ディック東郷さんとの一騎打ちをまだやっていない。もう若手がチャレンジするんじゃなく、勝たなければいけない立場になっていると思うので。
拳王選手に関しては?
MUSASHI 教えてくれた先輩の中では、拳王さんが一番長かったんです。だからもちろん、今の自分を拳王さんにぶつけてみたいというのはあります。あともう一人、GLEATのT-Hawkが同い年で、ずっと気になっていました。一度タッグで絡んでいますけど、その時も少しだけだったのでシングルで当たりたい。僕も逆水平チョップをけっこう大事に使っているので、打ち合いをしてみたいというのがあります。
ハヤト選手が発言することで髙橋ヒロム戦を実現させたように、まずは発言することからなので、これからもどんどん発信していくべきだと思います。
MUSASHI そこも、もっと自由にやっていいんでしょうね。すべてはみちのくの名を広めるためなので、これからはどんどんアピールしていきたいと思います。
最後に、MUSASHI選手もいつかは宇宙大戦争に参戦したいと思いますか。
MUSASHI ……見たいですね。別に宇宙大戦争を否定はしないですよ。嫌いでもないですけど、見ていたいです。
やるものでなはないと。ハヤト選手はやりたいそうです。
MUSASHI 自分は見ていたいです。
やりたくないんですか。
MUSASHI 見ていたいです。