スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2024年2月号では、第115回ゲストとして全日本プロレスの双子タッグ、斉藤ジュン&斉藤レイが登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
※『月刊スカパー!』(ぴあ発行)の定期購読お申込はコチラ
※鈴木健.txt氏 twitter:@yaroutxt facebook:facebook.com/Kensuzukitxt
一人でやるよりも
二人だからやれる
タッグの方がいいと
最初から思っていた
斉藤ジュン&斉藤レイ(全日本プロレス)
生まれた瞬間からの呼吸という
ほかのチームには得られないもの
お二人は三十代でプロレス界に入ってきた時点で「俺たちには残されている時間が少ない。だから最速で上にいく」ということを宣言しておりました。その結果、実際にキャリア2年強でGLEATのタッグ王座であるG-INFINITYと、全日本プロレスの世界タッグ王座を獲得しました。ここまでは想定していたものと比べての手応えはどうでしょう。
ジュン 今がデビューして2年半か。まあ、去年は比較的いい年になったと思うよ。でも、一方では世界最強タッグリーグ戦も優勝できなかったし、自分たちが望んでいたものを全部達成したわけではない。その意味では2024年にやるべきことを残しちまったな。プロレス大賞の最優秀タッグ賞にしてもそうだ。とはいえ、よく2年でここまでって言われるけど、俺たちからすれば想定していたよりも早いなんていうことはまったくない。それだけの自信はあったから。
レイ この世界に入った最初の頃は相撲とプロレスの違い…練習内容にしてもなんにしても勝手が違うことでの戸惑いはあって、それに慣れるまでは時間がかかったっていうのが正直なところだけど、それでも続けていくうちに、やれば形にはなるんだっていう感触をつかめてからは自信がついてきた。世界タッグに関して言うなら、俺はむしろ遅かったって思うよ。海外遠征から帰ってきて(2022年)9月に日本武道館大会があっただろ。あの試合で俺らはすぐベルトを獲れるって確信できたんだよ。でも、結果的にはそれから1年以上かかってしまった。その意味では遅かった。普通に考えたら早いってなるんだろうけど、斉藤ブラザーズにとってのタッグチャンピオン奪取はむしろ遅かったぐらいだ。
プロレスを始めてみて比較的早い段階で自信が持てたんですね。
レイ 受け身もプロレスの場合は特殊だし、ブリッジ系もそれまであまりやってこなかったんで最初は苦労した。ただ、基礎体力運動に関しては入った時点でほかのレスラーよりもできていたし、俺の場合は体重があった分、キツかったけどこの身長と体重と、そして体力があればすぐに上へいけるって思ったな。
ジュン タッグチームって、組み始めた時は呼吸が合わないところから始まるものだろ。それが俺らにはなかったから、早くて当たり前っていえば当たり前なんだよ。こっちは生まれた瞬間からの呼吸であって、ほかのタッグチームは望んでも得られないものがあるんだからな。
生まれた瞬間から優位っていうのもすごいですよ。
ジュン タッグに関しては双子以上に強いものはないだろ。
レイ ああ、そうだよな。
他の競技で実績をあげた選手も最初のうちは壁にブチ当たるものですが、お二人はほぼそれもなく来ていると。
ジュン その壁にブチ当たるより前に海外遠征へ出られたのも大きかった。向こうでは本当にいろんなアドバイスをもらえたし、日本では経験できないことも学べた。だけど、一番大きかったのはTAJIRIさん(九州プロレス。当時は全日本プロレス所属)の存在だった。俺たちの師匠のようなものだから、ここは“さん”づけで呼ばせてもらうぞ。TAJIRIさんとは、一緒にヨーロッパ遠征にもいったんだけど、現地のプロレスを体感した上でのアドバイスだったから、話を聞くだけのものより質のいいアドバイスを得られた。体のデカいプロレスラーがそれをどう表現するかというところまでを含めて教えてもらえたしな。
レイ あれは大きかったよな。俺もジュンも、子どもの頃から見ていたプロレスラーのイメージって、全日本プロレスなんだよ。スタン・ハンセンやスティーブ・ウイリアムス、ベイダーといった外国人勢が暴れていた時代を見ていたし、もっとガキの頃までさかのぼるとジャイアント馬場さんが現役でテレビに出ていた頃を辛うじて見ているんで、今でも記憶として残っているからイメージしやすいっていうのはある。
あの頃に見たプロレスラーたちが巻いたベルトを今、自分たちが持っていることになります。
レイ そこは俺らも歴史の重みっていうのは感じている。キャリア2年半であっても、自分たちが見てきた分、全日本プロレスの歴史は頭のどこかにちゃんと置いてあるからな。
ジュン 俺らの口からこういうことを言うのもアレだけど、初めて世界タッグのベルトを獲った時は感動したよ。テレビの中に映っていたものを自分が持っているんだからな。あのベルトは歴史が古い分、正直匂いがキツいんだよ。でも、リアルに歴代のチャンピオンの血と汗と涙の匂いが感じられて、熱いものが伝わってきた。ベルトって、古くなると新しいものに変えられるだろ。でも、世界タッグに関してはリニューアルされず古いままの方が俺はいいと思うんだ。
歴史を重ねてきたベルトにしかできないことですからね。
ジュン 自分たちが獲ったから言うわけじゃないけど、世界タッグの4本のベルト(インターナショナルタッグ&PWF世界タッグ)が俺は世界で一番カッコいいと思っているよ。
斉藤ブラザーズならではのタッグチャンピオン像はどのようなものを考えていますか。
レイ チャンピオン像とはかけ離れるかもしれないけど、タッグチームってずっと続くものじゃないだろ。どんなタッグにも解散したり別れたりする日は訪れる。でも、俺らは兄弟だから、そうはならない。ある程度の実績をあげたらやることがなくなったというようにはならない。これから防衛を重ねていくけど、終わりがないのが強みっていうのかな。
わかります。
レイ その意味でも真の無敵になれると思っているんで。これはちょっと手に負えないチームだなっていうようにしていくから。
ジュン そうだな、大みそかにシングルで対戦して、そこで勝者と敗者に分かれてもバラけることなく続けられているのを見ての通りだよ。これからも、シングルマッチで対戦することはあるだろうけど、そこでタッグチームとして割れることがないのが斉藤ブラザーズだ。
レイ さっき言っていた「タッグはいつか別れる」っていうのを俺たちは変えたいと思っている。永遠に続くタッグチームがいたっていいだろ。
この業界で言ったら同じ双子のバラモン兄弟ぐらいでしょうね。
ジュン そうだな。いつでもやってやるぞ。
レイ もちろん勝つのは俺らだけどな。
いや、あのご兄弟との対戦は勝敗とは別次元のところで墨汁だ、ボウリングだと普段は経験しないことをされる覚悟を要すわけですが。
レイ 最近、DDTのD王GPに出場したり、大仁田厚と電流爆破デスマッチをやったりと全日本ならではの王道的なものとはかけ離れた試合をやってみて、それも楽しく感じられたんだよ。だから、バラモン兄弟ともちょっとやってみるかって思うよ。
ジュン どうなるかわからないけど、なんでもやればいい経験になるからな。
レイ 斉藤ブラザーズとバラモン兄弟がやったら盛り上がると思うか?
いや、盛り上がるなどという騒ぎではないですよ(取材後、大鷲透自主興行2・29新宿FACEでの実現が決定!)。今言われて思ったんですが、キャリア2年で電流爆破デスマッチを経験するというのも実は異例ですよね。
レイ もちろん闘っている最中のダメージもあるけど、アドレナリンが出ているからなのか終わってからダメージに気づくんだよ。なんかいてーなーって思っていたら、背中に大きな火傷ができていたりとか。それでも楽しいって思えたんだよな。
斉藤ブラザーズが巻くことで
そこのタッグ王座の価値が上がる
タイトルの位置づけとしては、やはり三冠ヘビー級、世界タッグの並びになりますよね。お二人であれば、三冠ヘビー級戦が組まれる興行で世界タッグタイトル戦をメインにすることができると思うんです。
ジュン 確かに、どの団体でもタッグよりシングルの方が上という位置づけをされているよな。でも、シングルじゃできないことを可能にするのがタッグマッチなんだから、タッグのタイトルマッチがメインになってもおかしくないはずだ。
レイ 今まで、そういう前例はあるのか?
90年代の全日本ではありました。
レイ それはやっていきたいことだな。タッグのタイトルに関しては今、G-INFINITYも持っているけど俺らはベルトに上も下もないと思っていて。確かに歴史については圧倒的に世界タッグの方があるし、G-INFINITYはできてまだ新しい。それでもG-INFINTYのベルトは世界タッグと同じぐらい大切なものだと思うから、どちらの価値も高めていきたい。
ジュン 全日本以外のリングに上がることで、いろんな団体が視野に入ってくるようになるだろうし。最優秀タッグ賞が獲れなかったことに対するこだわりでもあるけど、毘沙門(後藤洋央紀&YOSHI-HASHI=昨年の最優秀タッグ賞受賞チーム)とは直接対戦して本当に上なのはどっちかをハッキリさせたいし。
レイ 上がるリングでそこのタッグタイトルを獲って、斉藤ブラザーズがベルトを巻くことによって、タイトルの価値が上がるようにしてやるから、俺たちに感謝しろ。
ジュニアにスーパーJカップがあったり、G1クライマックスやチャンピオン・カーニバルのようなリーグ戦に他団体の選手がエントリーされることはあったりしても、タッグで団体の枠を超えた大規模な大会って今までなかったんですよね。お二人が団体の枠を超えて活躍すれば、そうした機運も高まるかもしれません。
ジュン タッグのグランドスラム(世界タッグ、IWGPタッグ、GHCタッグ)を目指すぞ。
レイ フッフッフ…思い浮かべるだけでニヤけてくるぜ。プロレスのタッグチームと言ったら斉藤ブラザーズってなるようにしたいよな。
その意味では、すでにそうなりつつあると思います。
レイ うーん、でもな、正直言ったら今の時点でようやくちょっとだけ思い描いていた形になってきたかなぐらいの感触なんだよ。その分、のびしろしかないっていうことにもなるけど俺らが考えるプロレス像っていうのは“つかみ”しかできていなくて、イメージしているのにはなりきっていない。本当、始まったばかりでしかないんだよな。やりたい技もたくさんあるし、頭の中で考えていてまだ実際には出していないのもある。DOOM(ダブルインパクト)に関してもイメージは早くからあったんだけど、経験が浅いうちは全然使えるようなレベルじゃなかった。それに出すタイミングっていうのもある。それで俺たちの地元・角田で世界タッグ王座に挑戦ってなった時に、ここしかないって出して、そこからはこれなら使っていけるっていう手応えをつかめた。
プロレスの技はシチュエーションも重要ですよね。
レイ そう。今後は合体技や連係に限らず個々の技も増やしていくつもりだから、楽しみにしておけ。
そういうアイデアは普段からお二人で話して出し合っているんですか。
レイ そうだな。プロレスの映像を見る時も二人で見て意見を出し合っているしな。よく見るのは昔の試合の映像だな。俺はベイダーとか昔の外国人レスラーの試合を見るのが好きなんで、よく見ている。
ジュン 俺もロード・ウォリアーズをよく見る。これもTAJIRIさんから言われたことだけど、試合の映像を見るなら新しいものではなく昔の、それも海外のプロレスを見た方がいいって。それまでは、あまり見ていなかったんだけど、見ると今よりも昔のプロレスの方がパワフルな感じがする。それこそ体の大きな者同士がぶつかり合うシーンでも、やっていることはシンプルなのに今よりずっとパワフルなんだよ。それを見ると、自分たちでそういうのをどんどん体現していきたいって思うようになるな。
大きな男たちがぶつかり合うプロレス=全日本と認識されているだけに、お二人のプロレス=全日本とも言えます。
レイ 馬場さんが昔、言っていた通りだよ。大きい選手がやるからプロレスは面白いんだって。それ自体が俺の中にあるプロレスのイメージだから、これからもやっていくことは変わらない。TAJIRIさんからは、ただ早く動けばいいっていうもんじゃないんだって言われたよな。動くのは必要最小限でいいんだって。
その方が静と動のメリハリがつくという意味ですね。大きい選手は、そこで緩急をつけることが武器になります。あのう、小さい頃からプロレスを見ていながら、進んだのは相撲だったということは、当初はなりたい対象ではなかったんですか。
レイ それを言ったら相撲取りも最初はなりたいとは思っていなかったんだけどな。学生時代にアマレスやアメフトをやっていて…。
ジュン 体を動かすうちに、こういうので食っていけたらなって思うようになって、レイから誘われたのが相撲だった。
大学と高校がアメリカということで、向こうの文化的には相撲よりもむしろプロレスとなりますよね。
レイ 俺たちがハイスクールの頃にはもうYouTubeがあって、空いた時間に相撲を見ていたんだ。その頃は朝青龍関が横綱で、俺が思っていた相撲のイメージがガラッと変えられた。筋肉質で強い!っていう人を見て、相撲がすごく好きになったんだよ。
日本にいた頃はそこまでは見ていなかった?
レイ 相撲というのがあるんだ…程度だった。それが高校生の俺にとってはすごく怖く見えて。まあ、実際に会っても怖かったけど。稽古場で横綱の塩持ちをやったことがあって、普通は横綱ほどになると下の力士に目をくれることさえないんだけど、俺がデカかったからか、初めて稽古場で一緒になった時点ですげえガン飛ばされて「おまえ、やるのか?」みたいな空気をビンビンに出してんだよ。
ジュン 俺たちがいた出羽海部屋に白鵬・朝青龍の両横綱が出稽古に来た時、二人で塩持ちをしたんだけど、その時の迫力といったら…すごかったよな。
一度だけやめたいと言った時に
兄から言われた「おまえ●すぞ」
レイ選手から誘ったということは、ジュン選手は最初、相撲に進むつもりはなかったんですか。
ジュン 俺は当時、K-1の方に興味があって。アメリカで大学を卒業したあとトラックの運転手をやっていたのをやめてキックボクシングをやるために日本へ帰ってきた。埼玉のキックボクシングジムに合格して寮生になったんだけど、キックは減量があるから腹いっぱい食えないだろ。それで毎日動いているのが辛くて辛くて。
レイ 今よりも食うことが好きだったもんな。
大好きな甘いものとか、もってのほかですもんね。
ジュン 高校でレスリングをやっていた時に減量は経験していたけど、それ以上に辛かった。それでこれは、俺にはできないなと思っていた時に、弟から相撲をやらないと誘われてな。いろいろ悩んだんだけど、相撲って23歳までに入らないとできないんだよ。その頃、22歳だったからこのタイミングは入った方がいいって思って。いやあ、減量は二度とやりたくないな。
レイ プロレスラーならいくらでも体重増やせるからな。
そもそも出羽海部屋といったら、名門中の名門ですよね。
レイ 何もツテがなかったんでアメリカから帰ってきた翌日、日本相撲協会に「自分はこういう者で相撲取りになりたいんです」って電話しようと思ったんだけど、母の知り合いの人が相撲好きで、俺が相撲をやりたくてアメリカから帰ってきたのを知っていて「出羽海部屋に連絡を入れておいたよ」って。その時点ではどの部屋とかもまったく決めていなかったし、部屋の違いなんてわからないからな。それ以外の部屋にもいくつか電話したそうなんだけど、そういう時って普通は新弟子が電話を取るから曖昧な対応になるものだろ。でも出羽海部屋だけ現在の高崎親方が出たみたいで、しっかりとした受け答えで「いつでも一度来てください」って言ってくれたらしくて。
なんというタイミング。
レイ それで母の知り合いの人にも出羽海部屋がいいんじゃないかって言われて、連絡がついたのであれば俺もそこがいいと思ってな。
ジュン いくつか電話をかけたっていうから、もしかすると貴乃花部屋や九重部屋へいくことになっていたかもしれない。それで出羽海部屋に決まったっていうのを聞いてから誘いが来て、キックボクシングをやめて入門したんだっけな。
でも、そのお母様の知り合いの方が連絡した時は、入門するのは一人と説明していたんですよね。
レイ 最初、俺が一人でいって、そのあと二人でいったらビックリしていたよな。
しかも同じ顔をしていると。
ジュン ハッハッハッ。あれは驚いていたよな。
まあ、入ったら入ったで厳しい世界だったでしょう。
レイ よく、プロレスとどっちが厳しいかって聞かれるけどやっていることがまったく違うからどっちがっていうのは言えないんだよ。ただ、体のぶつかり合いという点では相撲のダメージはすごいと思うな。
その後、お二人とも8年で相撲を引退することになります。
レイ お互い三十手前ぐらいになって、関取になれないっていうことはこのまま続けるのは厳しいと。それでいったんアメリカへ戻って、また日本に帰ってきて仕事をしているうちにプロレスをやってみたくなって、ジュンを何度も誘った。
ジュン 本当は、同じタイミングでやめるはずだったんだよな。
ジュン選手の方が5ヵ月ほど早く引退していますよね。
ジュン 二人でやめることは師匠に許してもらえなくて。それでずらしたんだよな。本当なら、一緒にやめることで二人の間ではまとまっていた。俺の方が先にやめて、もともとやっていたトラックの運転手に戻るためアメリカへ渡ったんだけど、そんな時にレイからプロレスに誘われた。
やはり気持ち的に30歳というのが区切りになったのかもしれませんね。
レイ 確かに、体力的にはまだ全然相撲をやれたんだけど、先の展望が見えなかったっていうのもあったし。
やるとしたら兄と一緒にという考えだったんですか。
レイ そうだな。あとは、兄は体を鍛えるのが好きだったんで、そういう世界で生きていった方がいいんじゃないかっていう考えがずっとあったんで、やるなら二人っていう気持ちは強かった。別にずっと一緒にいたいわけじゃないけどな、ウハハハハ。でも、二人でやった方が面白いんじゃないかっていうのは思っていたな。
双子というだけで話題になりますからね。
レイ プロレスもやりたいと思った時に、一人でやるより二人だからやれるタッグチームの方がいいって最初から思っていたし。
それでジュン選手はプロレスラーになる時、5回ぐらい断ったそうですね。
レイ いや、7回は断られたぞ。
なぜ、そこまで拒絶したんですか。
ジュン そこは相撲をずっとやってきた中でまったくやったことがない世界がいかに厳しいかっていうのが頭にあったんだよ。年齢的にも30歳を超えているのに、そこから新しいことを始めるなんて、こいつ頭おかしくなったんじゃないのかって思った。ただ、何度も誘われるうちにいろいろ考えて、最後はあまりにしつこかったんで「ああ、わかったよ。やってやる!」って言っちゃったんだよな。
キレ気味に。
ジュン あそこで自分がやるって言ったのは、相撲で十両にも上がれずやりきれないまま終わったっていう思いがあって、それでもう一回チャレンジしてみるかってなったんだと、今にして思う。その代わり、プロレスのトレーニングがどれほど厳しいかのイメージはあったんで、弟には「絶対にやめられないからな」と言った。
ジュン選手は自分が弟にやめるなと言った手前、よけいにやめられないですよね。
ジュン いくら厳しくても始めたらやめるっていう考えはなかったよ。
レイ これは全日本に入ってからの話だけど、俺はケガが多くて脚や肩を痛めたことがあったんだよ。それで一度だけ、続けるのは難しいってなってジュンに「もうキツくて体を動かせない。やめるよ」って言ったら「おまえから誘っておいてやめたら、本当に●すからな。二度と俺と斉藤家に近づくな。お袋の人生に二度と近づくな」って言われてな。こっち(兄)の方が気持ちは強いんだよ。それを言われてからは、二度とやめるなんて言わないってなったよ。
そういうことを言ってくれる兄でよかったんでしょうね。
レイ そう思う。
ジュン やめなくてよかったよなあ。
レイ そうだな。
ジュン 俺はやめるっていう選択肢が始めた時からなかったんで、やめたいと言われた時は、何言ってんだ?ってなったからな。
レイ 今でも練習生が入ってくると1週間もしないうちにやめていく人間はいくらでもいる。そいつらは帰る場所があるんだよ。でも俺らには帰る場所がなかった。三十を超えてアパートも解約して仕事もやめて、本当にいくところがなかったし、もちろんプロレスラーになれてもいないから実家にも顔向けできないので帰れない。だから一度、ジュンに言われてからは行き場所がなかったっていうのも逆に続けられた理由の一つだな。
全日本へ入門する前にやった仕事は
山小屋、酪農、さとうきび獲り…
相撲を引退したタイミングでプロレスという選択肢が入ってきたのは?
レイ 俺は相撲をやめたあと、住み込みの仕事をしていて山小屋とかで働いていたんだ。
今の風貌だとピッタリです。
レイ それと農業の仕事もしていて、ジュンも酪農をやっていたんだよな。
ジュン お互い、北海道でな。
レイ その空いた時間で、やめてもまだ好きだったから相撲を見ていて、それと同時にYouTubeでプロレスも見ているうちに、もう一回こういう体を使ってやることをやってみたいなって思うようになった。
その時に見た中で一番自分を突き動かしたのはどの試合、あるいは誰でしたか。
レイ それがだ、もちろん全日本プロレスもそうだったけど九州プロレスのドキュメンタリー番組が上がっていたのを見て、熱いなーって思ったのが大きかったんだよ。若手がデビューするまでを追ったドキュメンタリーで…。
現・九州プロレス選手権者の野崎広大選手のことですか。
レイ いや、その前にデビューした選手で加島大輔っていうんだけど、それを見ていてプロレスをやりたいって思って。これはTAJIRIさんにも話したことがあるんだけど、まさかそのあと、TAJIRIさんが九州プロレス所属になるとは思わなかった。
レイ選手は、けっこう感化されて動くタイプなんですね。
ジュン 最初にレイからプロレスをやろうって誘われた時はとうとう頭がおかしくなったって思ったよ。そのドキュメンタリーは、俺も見ていて確かに熱い話だったけどまさか自分がやろうとは思わないだろ。そういう番組を見ていたこともあって、だいたい自分の中でイメージができていた。腕立ては何回、スクワットなら何回やれば合格できるみたいなのが。だから、やるからにはテストを受ける前にそれができるようにしておこうと。本当はもっと早く入門テストを受けるつもりだったんだけど、コロナ禍の影響で1年遅らせた。
レイ やろうと決めた時点では、今この状況でなるのは難しいと思ってそこから1年半ぐらいはトレーニングをずっとして入団テストを受けたのは、逆によかったのかもしれないな。
ジュン そうだな。準備期間があったからできたというのもあったし。
レイ 農業も酪農も朝早くて、朝から仕事をして昼間の空いた時間にトレーニング、仕事が終わって帰ってきて寝る前にトレーニングっていうのを1年半続けていたから受かったっていうのはあるな。住み込みの仕事って、シーズンのようなものがあるから1年中やるわけじゃなくて二人別々の仕事をする時期もあった。
ジュン いろんなとこにいったよな。俺は沖縄でサトウキビを収穫する仕事も経験したし、弟は北アルプスの山小屋で、俺は愛媛でみかんを獲ったり、けっこう全国あちこちで住み込みをやったけど、決まった時間さえ働けばわりと時間は自由なんで、それをトレーニングにあてられたっていうのはやりやすかったと思うよ。
お二人ともアクティブですよね。一つの場所にずっといるというこだわりがない分、フットワークが軽くて。
ジュン タイプ的に一つの場所へいるっていうのは…。
レイ 二人ともできないよな。仙台で住むところを借りた時も何年か借りていたのに実際には1年も住んでいなかった。あれはムダだったな。
いや、動ける人って強いですよ。ミヤギテレビ『OH!バンデス』の人気コーナー『TAXIめしReturns』も、そのつど東京から現地にいって収録しているんですよね。
レイ そうだ。でも、まったく苦にならない。
ジュン 俺たちは巡業も大好きだからな。
ほかにも宮城県出身のタレントやスポーツ選手がいる中でお二方に白羽の矢が立ったのは、どういう経緯だったんでしょう。
レイ 去年のチャンピオン・カーニバルの前に、あの番組の告知コーナーに出させてもらって仙台大会をPRしたんだよ。それ、時間にしたら2、3分だったからそんな大したことは言えなかったんだけど、それをミヤギテレビのお偉いさんが見て「あの二人、面白いな。何かできないか」って。
わずかな時間でもインパクトがすごかったんでしょう。
ジュン もともと食べるのは好きだから、仕事の内容自体は嬉しかったよ。ただ、リング上の俺たちのカラーでできるのかとも思ったけど、そこはリングで斉藤ブラザーズをちゃんと見せればいいだろうって話して。
ここまで人気コーナーになると思っていましたか。
ジュン いや、ただ街をブラブラして飯食っているだけで、これで大丈夫なのか?って思っていたぐらいだったから、こんなに反響があるとはまったく予想していなかった。
レイ 面白いって言ってくれるけれど、俺たちは普通に話しているという意識しかないから、面白いって言われても実感が湧かないんだよ。
ジュン 感じたことをお互い喋っているだけなのにな。
レイ そこは俺たちというよりもミヤギテレビさんの編集の力なんじゃないか。昔から二人の会話はあんな感じだったから、それを面白いって言われても、そうなのかって思うしかないよな。
狙っていない方が面白いということです。プロレス大賞新人賞は、そういったリング外での活躍に対する評価も含まれてのものだと思います。
ジュン このコーナーをやってから、試合はもちろん重要だけどそれ以外の活動も大事なんだって思うようになったよな。
レイ 知られてナンボっていうところあるからな。だからこういう仕事はどんどんくれよな。大募集中だ!
そうした露出が増えていけば、期待感もさらに膨らんでいくでしょう。そうしたものを背負いながら今後、斉藤ブラザーズとして達成したいことは何になりますか。
ジュン さっきも言った通り、各団体のタッグを総なめにすることと、俺は国内だけでなく海外も視野に入れてやっていきたいと思っている。
レイ 俺が言おうとしたことを言うなよ! まあ、そこに加えるとすれば俺たちはタッグだけでいいとは思っていないんで。今年は三冠ヘビー級に挑戦するぞ。世界タッグのベルトを持ったまま三冠も獲るのが俺の目標だ(取材後、2・20後楽園で中嶋勝彦に挑戦することが決定)。
ジュン それは俺も同じだ。
究極の夢は、兄弟による三冠戦ですね。
ジュン & レイ そうだな。
日本に限らずプロレス団体のエースって、必ずシングルプレイヤーじゃないですか。どんなタッグチームも、二人で団体のエースになるということはほとんど例がありません。でも、お二人なら誰もやれなかったことをできるのではないかと。
ジュン 言われてみるとそういう前例はないよな。今まで、エースっていうのは意識したこともなかったけど今、話を聞いて興味が湧いてきた。
レイ 全日本プロレスのエースがタッグ屋っていうのは面白いかもしれない。そうなったら、ますます俺たちから目が離せなくなるからな。楽しみにしておけよ。
ジュン & レイ DOOM!!